第11R 見切りをつけたと言う事、しがみつくと言う事
「有馬記念?」
「そう、そこで引退って決まった。そこまでにオールカマーとか秋の天皇賞とか挟んで二度ほど走ってそこで引退だってよ。ま、少しでも怪我とかあったら即引退だけどな」
「引退式とか」
「やるかやらねえかわからねえよ。あー、正直くたびれたぜ。ようやくのんびり出来るのかって」
アスタリスクガール共々厩舎へと帰って来た僕に、アッパーグレードはアスタリスクガールが振り回して来たそれと違う笑顔を向けながら引退レースのプランを話して来た。
まあそうなるなとは言いたくなるルートだけど、笑顔がやけに緩い。GⅠ二勝、百戦錬磨の馬のそれじゃない。
アッパーグレードはもう、本当にやる気がないのかもしれない。
宝塚記念の着順は良かったじゃないかと言おうにも言えないほどに笑顔は崩れ、目が遠い方向を向いている。
牧場か。
種牡馬入りするための牧場か。
しょうがないとは思うけど、正直淋しい。
「お前は元気そうだな、前走の着順と言いお前の顔と言い」
「僕だってしばらくは休みだよ」
「しばらく、な。お前の事だからまた秋になったらあっちこっち駆けずり回ってGⅠを勝ち漁るんだろうな」
「だといいけどね」
「お前にまともな手で敵う奴がいるのかね、三歳路線もどうだかって話だし」
その間にも僕はGⅠを勝ちまくり、さらに数を伸ばしていくのかもしれない。
そしてまた多くの馬たちの涙を浴び、彼らの敗北の上に栄光を築く事になるのだろう。もちろん僕が敗北して新たなる英雄の礎になる事も考えられる。
でも、もしそうなった時、僕は耐えられるのか?
(あるいは…)
僕ももう世間的に言って引退してもおかしくない年。
そろそろ衰えの文字が出て来ても一向に驚けない年。
——————————全盛期は、もう過ぎているのかもしれない。
あの帝王賞の後から、そんな不安が急にちらつき出した。
(シャットダウン、ボンバーエンド…)
かつての仲間たちの顔が目に浮かぶ。
シャットダウンの仔は一歳になった。来年か、あるいは今年の早いうちに入厩して来るかもしれない。
ボンバーエンドも無事繁殖入りし、今は立派な赤ちゃんをお腹に抱えている。パパはシャットダウンとか言う話もあるけど、それこそ同期の、同じ厩舎のスター同士の組み合わせだ。相当な関心を集めるだろう。
とにかく、二頭して今頃は競争から離れてのほほんと暮らしているんだろう。僕らもほどなくすればそういう生活になる。
その生活に馴染めるのか。
正直不安になる。
いや、馴染まなきゃいけない。
「でもさ、お互い悠々と引退してその後も安泰だなんてさ」
「まあな」
「僕らの同期はまだまだいる。でも彼らの内何頭が引退後安寧な生活を送れるだろうか」
「そういうこったな」
「三頭ほど、もう見切られたらしいからね」
六歳まで走ってもなお芽が出ないままと言う馬は山と居る、いや六歳まで走れるだけでそれだけ期待されていると言う意味ではあるがそれ相応の成績を修められるかこそ最大の問題である。
引退と言えば体裁はいいけど要するに「もうこれ以上走らせる意味はない、あったとしても別の道を選ぶべきだ」と言うクビ宣告でしかない。自ら辞めますと言って辞めれば潔くかっこいいかもしれないけど、馬はそんな事など出来ない。決めるのは人間だ。もし出来るとすればそれこそ調教も何もかも拒否して走るのをやめればああこいつはもう無理だとなるのかもしれないけど、先生たちはやる気を出そうと必死になるだろうし僕自身にそんな情けない事をする気が毛頭ない。
それに何より、もっと走りたいのに走れなくなった馬たちの何と多い事か。
うちの厩舎だけでも、このひと月で三頭の馬が去って行った。
一頭は僕らと同い年の牡馬で去年の年末に三勝クラスに上がったけどそこから二ケタ着順続きでもう伸びしろはないと見なされての引退。残る二頭はともに三歳未勝利で、片や十戦以上走りながら五着一回が最高だった牝馬、片や三歳四月までデビューが遅れるも二着三着と次こそはと思わせながら故障して未勝利戦内に勝ち上がれない事が決まってしまった牡馬。
皆、地方競馬へと送られる事もなく正真正銘の戦力外通告。もう完全に競走馬としてはおしまい。辛い事だ。
「僕らは彼らのために燃え尽きるまでやるしかないんだろうね」
「……結局、お前は走るのが大好きだからな、そしてそれを全ての馬の本懐だと信じ込んでいる」
「そのつもりだけど」
「でもよ、やる気がなくなりましたからやめますだなんて事出来ねえぞ。出来るとすればお前やシャットダウンのような超一流の中の超一流だけだ。シャットダウンなんか菊花賞の後の時点で既にやる気をなくしてたらしいからな。古馬になってたらそれこそ見るも無惨な事になってたかもしえねえ」
「それはそれで凄いけどね」
「お前の場合親父さんと同じ年になっても走ってそうだけどな。そんで未勝利戦ぐらいならばまだ勝っちまったりしてよ」
「アッハッハ!」
アッパーグレードの小粋なジョークに笑って見せたつもりだけど、アッパーグレードはちっとも面白くなさそうだ。
知っての通りお父さんは十六歳だ、つまりあと十年僕は走るって思われてるって事か。
「俺はざっと六億円は稼ぐ事になるらしい」
「六億!?」
「種牡馬入りのプランももう固まってるらしい。それで最高六億円だって」
「これまで…」
「GⅠ二勝にGⅡ四勝、その他もろもろでだいたいそれぐらいは稼いでる。必死こいて四年かけて走って得た金と一年間牝馬孕ませて得る金がほぼイコールだからな、本当参っちまうよな。
あ、お前の場合多分もっと高いぞ」
「もっと、か…GⅠ十三勝、一つ一億として十三億…」
「途中から数えるのやめたか。ま、お互い選ばれし者たちの特権って奴だな」
自分で口にしていて呆れる、GⅠ十三勝って言う数字。
それをも上回るお金の最中に、僕は巻き込まれる運命なのか。
だったら逃げる事なく、立ち向かうしかない。
あ、レースでは逃げるけど…。




