第10R だから言ったのに
「………………………………」
パドックに入っても、アスタリスクガールは変わらない。
(ラストチャンス、か……)
ふとそんな言葉が頭に浮かぶ。
僕は六歳。お父さんと同じ時まで現役を続けるならばあと二年あるが、それが許されるかは分からない。
おそらく、今年で引退させられる。確信はないが、それでも世間的には三歳の時からGⅠを勝っておいて六歳まで現役を続けるのはめったにない。
(今年もまた…)
南部杯からJBC、チャンピオンズカップに東京大賞典。
いつも通りの、GⅠ四連戦。すべて勝てばこの帝王賞を含めGⅠ十八勝、トータル二十二勝と言う事になる。お父さんですらトータルで十五勝だと言うのに。
でもアッパーグレードも言ってたように、僕はもう種牡馬入りしていてもおかしくない立場。フェブラリーステークスの段階で引退だと言われても受け入れるしかなかった存在。
下手すればもう—————
いや、何を弱気になっている!
「それが君の挑戦なら、僕は喜んで引き受ける。そして、勝つ。最後まで僕は戦う。それこそ、僕の役目だから」
「………………………………」
アスタリスクガールは、何も言わない。
何も言わないまま、笑顔を崩す事もない。
ただじっと僕と共に進み、僕をその笑顔で見つめる。
だけどどんなにきれいな顔をしていても、そこから来る闘志を覆い隠す事なんてできない。それに応えないと言う無礼を働く事など、僕には出来ない。
号令がかかった。
山本さんが来た。
背中が重くなる。
本馬場入場。
『そしてココロノソニック!また一つ、最強伝説を築き上げて行くのか!堂々たる入場です!』
全部いつもの事だ。
ならば、本職もいつも通りにするしかないじゃないか。
『やっぱりココロノソニック!ココロノソニックが真っ先に飛び出していく!二番手はラインラインライン!着実に前へと出る!しかしココロノソニック、またスピードを上げ引き離す!』
僕のやる事は変わらない。変えない。変える理由がない。
いや、地方からやって来た馬が一頭強引に付いて来ている。
そう言えば2000mどころか2400m級を主戦場にしていた馬でスタミナには自信があるとか言ってたけど、それでもスピードは違う。側にいるだけで息が乱れているのが聞こえるほどであり、正直脅威にはならない。玉砕覚悟の特攻だとしても、相手が惑わされなければ効果は薄い。
「………………………………」
アスタリスクガールの物真似でもないけどじっと無言を貫き、一瞥だにせず前へと走る。差を開いてはやらない。僕だってずっとこんなペースで走れば止まる。一時は差を詰められるかもしれないが所詮は一時だ。
いつも通りスローに落とすと、その馬は差を詰めて来た。二馬身が一馬身になり、半馬身差になる。そして馬体を合わせて来た、これが1000m戦であれば素晴らしいほどの速度で。もちろん2000mの帝王賞でそんな事をすればどうなるかなど明白だ。
だから、これまたいつも通り少し突き放してやる。
「うおお…!」
僕が出した訳じゃない声。断末魔とか言うには早いはずなのに、必死について来ようと力を振り絞っている。
無駄だ。もし無駄じゃないとか言うならば付いて来い。
一挙に引き離す。山本さんのGOサインもある。来るなら来い。
ほら、来られないじゃないか。残念だが、それまでだ。
もう、後ろを振り向く必要はない。
最終コーナーだ。このカーブももう慣れた。いつも通り先頭で曲がり、先頭で直線に入る。
直線と言う場所に勝負をかけて来る存在の心を折るため、最後にもう一伸びしてやる。
そう、僕がやる事は、何も変わらない。
そんなに難しくもないはずの方法。
その方法を破れないのは、それが有効だから。競馬は生き物だと言うのは簡単だけど、その生き物をどう御するからは僕らの役目。
残り200の看板だ。更に本気で行く。
脚は軽い。重たくて軽い。
ここぞとばかりにさらに気持ちを込め、前へと向かう。
なんとなく後ろを見てやる。
「…!」
相変わらず無言のアスタリスクガールが追って来ている、らしい。山本さんと同じ青い帽子——でも山本さんのは染め分け帽だ———がチラッと見えているのが可愛らしい。
そう、チラッとに過ぎない。
そういう事だ。
「ダメでしたね…」
アスタリスクガールが、ようやく口を開いた。
「まともじゃココロノソニックさんに勝てないと思って」
「それがこの作戦か…なるほどね、ま、知ってたけど」
成果は、あったのだろう。
堂中並走していたらしいラインラインラインを最後に追い抜き、後続の追い上げも振り払ったのだから。
だがその五馬身先に、僕はいた。
「やっぱりココロノソニックさんには、敵わないんですか……」
「ったく命がけの作戦をも簡単に踏み越えるんだからさ、普通もうちょい動揺するだろ」
「ココロノソニックさんに勝つには、油断するのを待つしかないんですね。まあ、そんな日はもうないでしょうけど」
ラインラインラインから写真判定の末に三着を奪ったフィールマイハートも、どこか遠い目をしていた。爽やかなイケメンが台無しとか言う訳ではなく、愁いを帯びた顔がますますかっこよく見えて来るから困る。
そして同時に、彼らが嘆いている姿を見ていると自分が勝った事を実感できてしまうからなお困る。
(「涙の数だけ強くなれるよ…か…」)
浅野先生が歌っていた昔のヒットソングだって歌。本当なら何度挫折してもくじけず立ち上がれって意味なんだろうけど、同時に多くの馬に流させた涙の上に立っているとも取れる。僕は一体何頭の、何リットルの涙の上にいるのか。責任感ももちろんあるけど、それ以上に達成感もある。
こんな醜いかもしれない部分を、僕は隠す気はない。それをひっくるめて僕だし、それもまた僕の十三個目の栄光の礎だからだ。




