第5R 「期待に応えられない」
二年ぶりのドバイ。
今回はアッパーグレードはいない。
ひとりでも平気とか言う気はないけど、どこか寂しい。
まだ三月末だからでもないけど砂漠のはずなのに風は涼しく、砂ぼこりも舞わない。
「改めて思いますけど凄い都会ですね」
「ビルは東京とかより高い。世界中の富が集まっているからこそ、こんな派手なレースも出来る」
「派手なレース…ですか」
いくらこのドバイではギャンブルが禁止され純粋なレースとして行われているからとは言え、熱気は日本のそれに負けず劣らずである。ドバイワールドカップの一着賞金は十億円以上。フェブラリーステークスの一億五千万の六倍、いや七倍近い。それこそ一勝で僕の十二勝の半分は稼げることになる。それこそ僕がローカルチャンプに過ぎない証であり、世界一ではない証拠でしかない。
(ワンダープログラムって名前は本当に知られてないんだなって…)
一昨年ドバイに行った時、僕のお父さんの名前を知ってる人も馬もいた。「Higashi no genbu」の名前を知ってる馬もいた。でも「Wonder program」の名前を知ってる馬はほとんどいなかった。知ってた馬も、Higashi no genbuの脇役としてのそれでしかなかった。同じGⅠ五勝であったとしても、二頭にはそれだけの差がある。
名声が欲しいか欲しくないかと言われれば、欲しい。何としてもここで勝ち、「Kokoro no sonic」の名前を「Kokoro no daichi」以上にしたい。それがここまで来た理由のはずだ。
そのはずなのに、なぜかテンションが上がらない。
GⅠを走り慣れてしまったと言うのか?二度目のドバイに慣れてしまったと言うのか?
「勝つ、勝つ、勝つ……」
「どうした」
「いえ、何が何でも勝たなければいけないと思いまして」
「珍しいな」
山本さんの言う通り、こんなのは初めてかもしれない。まるで、勝つ事だけにこだわっているお前はダメだと言わんばかりの強烈な呪詛。まさか本当に誰かが僕の事を呪ってる訳もないだろうけど、なぜだか力が入らない。年齢?そんな訳あるか。使い減りと言うほどには僕は走ってないしフェブラリーステークスを振り返っても自分はまだまだ元気なつもりだ。それなのに、なぜか意欲が湧かない。
一体何だって言うんだ。とりあえず鼻を鳴らし空気を嗅いでみる。
紛れもない戦いの空気であるはずなのに、妙に湿っぽい。
ここはドバイだぞ、砂漠なんだぞ。そう叫んでも空の青さは弱く、夜になっても白い。闇ではなく、白い。照明が白さを引き立たせる。
涼しい、ってか寒い。
この時期のドバイの一日の平均気温は23℃ぐらいだが、今日の最高気温は18℃、最低気温は11℃。
これはドバイだと真冬どころか寒波ってレベルの低温であり、暑さを想定して行われたはずの夜競馬もある意味台無しだ。フェブラリーステークスからと考えればありがたいが、その日は晩冬と言うか初春と言うべき温かさであり最高気温16℃、最低気温8℃と全く差がない。
好都合?いや不都合だ、せっかくドバイに備えて暑くなるだろうなと思っていたのに。見れば山本さんを始め関係者の皆さんもやたら厚着であり、この天気に戸惑っているのがわかる。
そんなのは皆同じだ、とか言うには気が乗らない。
まるで何かがここがドバイではない、お前が輝くべき場所ではないと言っているように聞こえる。
いや、誰かが言っている!
(一体誰だ、こんな事を言うのは。なぜだ。なぜ勝利を望まない!)
対戦相手でもないのに、勝利を望まない。なぜだ。
馬券とか言うそれすらないのに、なぜ普通に戦って勝っただけの存在を憎むのか。
わからない。わからない。わからない。
お前が壊した。
お前が駄目にした。
お前は去り行くべき存在だ。
いつまでも過去にしがみ付いて未来を壊す存在だ。
まだいくらでも機会はあるはずなのになぜそれを奪った。
これ以上欲深になるのはよせ。
そんな言葉が頭中を回る。
その言葉の主に、パドックに入った僕は気が付いた。
(弟…!)
そうだ。
あの時のココロノサケビたちの声は、益体もないそれなんかじゃない。
もっと実体を持った恐ろしい物だ。
(勝利を喜ばない馬が、いるのか?)
敵味方でもないのに。
ましてや兄であるはずなのに。
アスタリスクガールの事か?
彼女を負かした事がそんなにも問題なのか?
手を抜くだなんて最大の冒涜だしそれこそ可愛い子には旅をさせよとか言うじゃないか。
だがココロノサケビたちの圧は、そんなごもっともなはずの言葉を封じ込めるには十分すぎるほどに強い。
世界が違うって言うのか?
敗北を望むような馬がそんなにも多いのか?
対戦相手ですらないはずの。
敗北を得て笑顔を得ると言うのか?
自分の勝利じゃなく?
負けちまえ。帰って来るな。
あれはただの罵詈雑言じゃない。
自分が崇める信念を破壊された時のような強烈な反発心。
なぜだ、勝利を追い求める姿勢よりも大事な物が彼らにはあるって言うのか。
いったい何が彼らを突き動かしているのか。
この勝利は、一体誰のためのそれなんだろうか……。
「気合が入ってないじゃないか」
「…ですね」
三馬身差と言う数字と、二着と言う数字。
どっちも真実だ。
フェブラリーステークスと同じように逃げたはずだった、ちゃんと後ろも離したし道中息を入れる事も出来た。
だが後ろから来た外国馬を前に、不思議なほど闘志が湧かない。まるでおとなしく見過ごす事が正義であるかのように足が動かず、ただ黙って見送ってしまっていた。いや正確には残していたスタミナを吐き出すつもりでいたのだが、その脚が重くならない。
軽い、あまりにも軽すぎる。
ただ速いだけでちっとも重みがなく、切れ味もない。
こんな脚じゃないはずなのに、もっと強く相手を叩きのめし相手に徹底的に敗北を味わわせるはずの脚なのに。
「何か気が抜けてしまったような感じですね」
「このドバイの天候に戸惑っていたとも聞きますが」
「過酷な環境は苦にしないタイプなので…」
山本さんの顔も冴えない。多分僕の顔も冴えない。
まったく、我ながらひどいレースだ。




