第1R 「そう思われてるって事ですよ!」
いよいよ第四部です。
いよいよ僕も六歳になった。
アッパーグレードはまだ現役でいるらしい。
「前走の出来からしてまだ行けるって事になったようでな。でももう無理だと判断されたら即引退らしいから、いつ辞めるかわからねえぞ」
「お互い様だよ」
「お前は怪我してもすぐ治るからな」
「四ヶ月はすぐじゃないと思うけど」
「そう思われてるって事ですよ!」
ココロノサケビも三歳になった。いよいよクラシック路線…かどうかは知らないけど競走馬として一番大事な年だ。
「あのさココロノサケビ、そんな風に無駄に感情を向けてもしょうがない。目の前の戦いに向けて集中する事が大事だ。次はどこだっけ」
「シンザン記念ですよ」
「だったらあまりグダグダしてる暇はないぞ、ちゃんと疲れは取れたのか」
だってのに年明け二週目のレースを無視してこんなに絡んで来るなんて一体何のつもりだ。それで一体何の得があるのか、意味があるのか。こんな年になった今でも全然わからない。
「取れてなきゃこんな事言いません。ってかあなたはいい加減自分が普通じゃないって自覚してください」
「あのさ、お前も案外往生際が悪いな。確かにレースで最後まで全力疾走するのはいい事だよ、でも勝ち目がないと見たら諦めるのも処世術だぜ」
「処世術って」
「毎回毎回全力で走ってたら体と心がいかれちまう。こいつでさえも骨折って休養する羽目になったんだ」
「ひどいなあ!」
「こちとらお前に三年以上付き合ってんだよ、いい加減慣れるっつーの。わかったら素直に言う事聞いとけ、追従も世渡りだ」
「はいはい…」
納得もしないような顔で去って行ったココロノサケビだけど、あんなんでシンザン記念を勝てるのか心配になって来る。僕が身を乗り出すと、やめとけと言わんばかりにアッパーグレードが道を塞いで来る。
「兎に祭文だけどよ、お前は弟に言われた通り普通じゃねえ。GⅠをいくつ勝ったとかって問題じゃなく、お前は存在自体が競馬なんだ」
「意味が分からないんだけど」
「お前は走る事をちっとも苦痛だと思っていない。勝つ事も、戦う事も。正しいルールの上であればどんな手でも平気で使える。決して卑怯な訳じゃねえ、ルールの上で戦って負けた分には大して悔しがりもしない。いや内心では悔しがってるけどそれを無暗に表に出さない。
美しいよ、実に美しいよ。でも、それ以上に息苦しいんだよ」
「息苦しい?」
「お前みたいに四六時中走る事だけを考えているような存在には俺らはなれない。それで成績が悪ければ笑えるがお前は優秀だ、優秀過ぎる。隙がねえんだよ」
「ハァ?」
隙が無い。アッパーグレードも変な事を言うもんだ。
去年のあの三連敗。
あれは全部隙があったから負けたんじゃないか。
だからこそ少しばかり頭に来てチャンピオンズカップと東京大賞典で相手を木っ端微塵にしてやったけど、僕に隙がなければもっと早くGⅠ級レース11勝と言う日本タイ記録に達し、それどころか今頃その記録すら乗り越えていたはずだった。
だから僕が心底からの本音として言ってやると、アッパーグレードは深々とため息を吐いた。
「…お前と絡んでると、すぐこうなる。たいていの心配は下衆の勘繰りにされちまい、俺ら絡んでた方がみじめになる」
「絡むだなんてそんな」
「お前はさっきも言ったけど競馬って代物そのものだ。そのお前に反抗する事はそれこそ自分じゃびた一文稼げねえくせに飯をくれる相手に逆らうようなもんだ」
アッパーグレードの言葉はさらに膨れ上がる。
何、僕が競馬って存在そのものだって!
ついさっきもサラッと言ってたけどあまりにもスケールが大きすぎる。僕はただの一頭のサラブレッドだ、どうあがこうともサラブレッドだ。そんな存在に何を背負わせようと言うのか、全くアッパーグレードは何を考えてるんだろう。
「人間が言うとこの反抗期ってのはそんなもんじゃないの」
「それが許されるのはココロノサケビぐらいの年までだ。だがお前はお前に関わった全ての奴をそうさせる魔力がある」
「魔力って!」
「前にも言ったかもしれねえけどよ、名馬って奴は人や馬をとろかす力がある。名馬であればあるだけより強くとろけちまう、そして俺らはそれこそお前の魔力を全身で受け止めちまう立場だ。
お前知ってるか、うちの厩舎の若駒が芝路線ばっかり進んでる理由」
魔力。そんな言葉も前に聞いた。
そのせいでみんながおかしくなってしまうと言うのか。
それこそ僕と同じ所にいたくないからダート路線を選ばなくなったって言うのか。
「アスタリスクガールもクラシック路線でこけた後ダート路線に回るかかなり迷ったんだよ」
「僕のせいだって言うの」
「ああ。ダート路線に回ればいずれお前とぶつかる。獅子は兎を狩るにも全力を尽くすとか言うがな、お前は兎どころかネズミ一匹でも狩り尽くす。ってか踏み潰す。もしお前がスプリント戦にも対応してたらアスタリスクガールはそれこそ八方ふさがりだったろうよ」
「手を抜くだなんて失礼じゃないか」
「そうだよ、お前はいつもそうだ。善悪の問題じゃなく、お前はいつもそうやって生きて来た。そしてそれが許されるだけの才能があった。だがそんな才能誰も彼も持ち合わせちゃいない。多くの奴らが挑んでは焼かれを繰り返し、そしてやがて誰も近付かなくなる」
「それでもGⅠは全ての馬にとって夢だろう、可能性がある限りは」
「ああ、来る。お前の衰えを期待してな…そんなもんなんかねえのに」
衰え。それはどうしても隠し切れない要素。
六歳にもなれば多くの馬は成績が落ちる。単純に使い過ぎて体が動かなくなるのもあるけど、後ろからやって来る強い馬たちの数が増えるのもまたしかり。四歳五歳の時には年を取って衰えた存在を踏み台にして上に上がった僕らが、今度は踏み台にされる番って訳だ。
(でも、お父さんはここからが本番だった……!)
しかし僕にとっては、むしろ今からこそが楽しい時の始まりのつもりだった。
お父さんだって、六歳の時この時期にあった川崎記念でGⅠ初制覇しそこからさらに七つ重ねた。
僕が同じ事を願って、何が悪いのか。




