父親の思い出
「ワンダープログラムは、僕とは違う世界の馬だった」
「名家の馬であったと」
「不思議なもんだよね。僕はワンダープログラムやヒガシノゲンブとは世界が違うはずなのに、なぜか仲良くなれた。世界が違うせいかもしれないけど」
「ダート路線を行っていたから競合しなかったってのはあるんでしょうか」
「かもね。あと僕が初勝利したのはあのダービーの日だし、初めて重賞を勝ったのはヒガシノゲンブが凱旋門賞を制した直前だった」
同族嫌悪って言葉があるように似た者同士は仲良くなれないと言うけど、父とヒガシノゲンブさんは同じスーパーエリートとでも言うべき存在であり二歳の頃から厩舎の牝馬にもてはやされていた。
一方でココロノダイチさんは年が同じ事以外全く交わる事のないはずの存在で、それこそ浅野先生の所にいなければ一生他馬だっただろう。だがそんな存在ゆえに、引いた視点で父とヒガシノゲンブさんの事を見られた。あるいは着やすい相手と思われたのかもしれないけど、そんな存在を父も無意識の内に内心で求めていたのかもしれない。
「世間的にワンダープログラムって存在はどう思われてるんだい?僕は近すぎてちょっと」
「エリートから苦労を知り開花した存在、遅れてきた英雄。やや悪意のある方向で言うと元万年二位、ヒガシノゲンブの後釜…」
「まあそんな所だろうね」
「ココロノダイチさんにとってはどんな存在だったんですか、やっぱり遠い憧れの存在だったとか」
「威張りくさってた坊や」
そのココロノダイチさんの下した父についての評は、どんな一撃よりも軽いくせに重たかった。
口調は軽いのに言葉は重く、そこに生で接して来た存在としての重さが加わっている。
「具体的に聞かせてくれますか」
「まあ前半については僕もワンダープログラムから聞いた話なんだけどね」
そう前置きしてから話してくれた父についての話は、実に興味深いそれだった。
十一年前の日本ダービーの少し前、今から思うと信じられないほど縮こまっていたヒガシノゲンブさんを父は善意から励まそうとした。前走の惨敗と名家の血に押し潰されかかっていたヒガシノゲンブさんに向けて、自分も同じだと励まそうとした。だけどそれが、ヒガシノゲンブさんの逆鱗に触れてしまったらしい。
「その時ヒガシノゲンブが言ったんだよ、何威張りくさってるんだって」
「威張りくさる…」
「お子ちゃまである自分に向けて大人である自分をアピールしようとしたのかって」
「それって!」
「ああ、傍目から見れば逆ギレって奴だし正当化されるもんじゃない。だけどその結果ヒガシノゲンブはダービーから凱旋門賞まで圧倒的なパフォーマンスを見せ付け続けた。そしてそれが浅野先生たちの目には恐怖を与えるそれとして映り、必死に矯正しようとして失敗したのがあの大阪杯だった」
「そうですか…」
「そしてワンダープログラムはずっと勝手に背負い込んでたんだよ、ヒガシノゲンブがあんな乱暴と言うか強引な走りをするようになったのは自分のせいじゃないかって。あ、口調もかなり乱暴になってたな。それでダービーの時と同じように、ちゃんとしたやり方で勝って目を覚まさせようとした。でも駄目だった。追い込み戦法とまでは行かないにせよワンダープログラムが言うとこの正統派の戦法にこだわってなければ逆転とまでは行かないにせよ少しは差を詰められたしヒガシノゲンブ不在のGⅠを勝てたかもしれない。それなのに、それをやらなかった」
同じ名家の子どもであった存在に活を入れようとして修復不可能なほどに破壊してしまった事に責任を感じ、何とかして「正しいレース」でヒガシノゲンブさんを負かそうとした。
「それが威張りくさってるってのは」
「自分のせいで自分の信じる正しいやり方をしなくなってしまった存在を誰よりも憂えている、それがワンダープログラムだった。でも適性距離も適性馬場も馬によって違うように、馬によって脚質も差がある。ワンダープログラムは、自分の信じるやり方を相手に悪意なく強要してしまった。だから僕ははっきり言ってやった、威張りくさってるってね」
別に派手に大逃げを打ったところでルール違反ではない。
確かにヒガシノゲンブさんが凱旋門賞を勝った四歳秋に引退を余儀なくされたように競走生活は短くなったが、それでも得たものの大きさから比べればって話である。
「平たく言えば、真面目過ぎたと」
「ああ。競走生活に極めて熱心でね、とにかくストイックだった。でもそれゆえに内側に抱え込んで一年以上背筋を伸ばしていた。無自覚なままね」
「あの、それって…」
「今思うとさ、僕は同い年のくせに二頭のお子ちゃまの面倒を見ていたのかもね。ヒガシノゲンブも僕には優しくフランクだったし」
古馬になっただけで大人になれるんならこんな楽な事もない。ヒガシノゲンブさんは日本ダービーの時の膨れた姿のまま大きくなり、父もその時のヒガシノゲンブさんを正さなきゃいけないと言う正義の心を膨らませたまま古馬になってしまった。
「もしかして…」
「そうは思いたくないけどさ、少なくとも最後まで意識ははっきりしていたらしいよ。我慢し過ぎたとは思いたくないけどね」
「そうですよね」
いや、父にとっては生まれながらの性質だったのかもしれない。
その性質を抱えたまま二歳になり、三歳になり、古馬になり、引退しても変わらなかった。
ヒガシノゲンブさんのおかげで少し矯正されても、結局は元に戻ってしまったのだろうか。
「でも確かに問題はあったとしても、最後の最後まで誇り高く生きた父が俺は好きです」
「君はそれでいい」
でもまあココロノダイチさんからそう言われるほどだった父は、結局それなりに幸福なのだろう。
俺は勝手に、そんな結論に達した。達する事にした。




