第18R 「弟」の怒り
「あーもう!」
ココロノサケビの声が、年末の厩舎に響く。
感情のやり場を探すその声は僕らの耳へと入り、古馬たちはかつての自分たちに思いを馳せ二歳馬たちはため息を吐いている。
朝日杯フューチュリティステークスから帰って来たココロノサケビは、それほどまでに近寄りがたい存在だった。
兄として、やらなければならない。その思いで僕は近づく。
「何ですかいきなり!」
「何があったか話して欲しいんだけど」
「離しても解決するわけじゃないですから」
「気分はすっきりすると思うけど」
「しません!」
だってのに弟はなおさらとげとげしくなる。文字通り取り付く島もない様子であり、よほどひどいレースをしたのだろうかと言うにしてもおかしいほどの荒れぶりであり、明らかに内容に合ってない。
惨敗した訳ではない。
四着。
人気と同じ、四着。
勝ち馬とは三馬身差だが、二着とは一馬身差、三着とは半馬身差、五着とは一馬身半差。
惜しかったと言うには差が大きく、諦めるには差が小さい。
さらに言えば四着と言う馬券に絡む事の出来ない「着外」と言う着順は一度しか経験した事がない身からしても正直もどかしいだろう事がわかる。僕らの戦績は一着-二着-三着-着外と言う形で表される以上、四着と言うのは記録はともかく記憶に残りにくい。
「そんなに問題のあるレースだったか」
「ハイペースだったのに前に構えすぎて、ジョッキーさんが抑えるのも聞かずに前に出ちゃって、それで次々に差されちゃって…!」
「それでも最後まで気を抜かずに走ってる辺り大した物じゃないか」
「自分には厳しい癖に他馬には甘いんですね」
「他馬に厳しく自分に甘いより数段ましだろ」
「勝ち馬たちからも言われましたよ、本当見事な走りだったなって」
「お前実に人気あるんだな」
「あなたが怖いだけです!」
勝者総取りの世界で四着だと言うのに称賛されるのはそれこそココロノサケビそのものの馬望だろう、そうに決まっているはずなのにココロノサケビは思いを寄らぬ事を言い出して来た。
「僕が怖い?」
「GⅠレースを十個も勝っておいてよくそんな事言えますね、あなたに媚びを売りたい馬なんて山と居るんですよ」
「正々堂々とレースに挑む存在なら誰でも歓迎だけど」
「確かにそれは正しいです。その正しさにみんな怯えてるんです、どんなにあなたが寛容を気取っても無駄なんです」
「僕だってわざと妨害行為を行うような存在には不寛容だ」
「あなたを妨害しようなんて度胸の持ち主は一周回って尊敬できますけどね」
「自分の勝利すら望まなくなったような存在を尊敬しちゃいけないと思うよ」
「皮肉も通じないほど余裕がないんですか。強者が余裕がないのってみっともないですよ」
「みっともなく勝つのは悪い事なの?」
「だから怖がられるんですよ」
スポーツなんてのは、ルールのある喧嘩だ。
ルールを守る事は大事であるが、その中でどう振る舞うかが何より肝要だ。
逆に言えば、ルールを守った上であがく事はそれほど悪い事でもない。極論もいいとこだがどんなに遅れていても前の馬が全部大ブレーキを起こして止まってしまえば一着になれる。その可能性がゼロだって誰が言い切れるのか。最後まで全力を尽くして何が悪いのか。無論後先を考えるべきではあるが、キレイに走って負ける事と泥臭く粘り倒して勝つ事のどっちがいいかと言われたら僕は後者を取る。
どうもその泥臭い勝ちっぷりとその根源にあるはずの正しさ。どうやらそれらの事をみんな恐れているらしいけど、正直情けないと言う単語だけが頭に浮かぶ。
「本当は何やってんだお前はよって笑いたい奴もいました。兄さんがいなければそう言われてたと思います」
「油断してくれればくれるだけありがたいと思うけど」
「だから油断してくれないんです。畏縮はしてくれるみたいですけど」
「どっちみちパフォーマンスにとってはマイナスだからいいじゃないか」
でも同時に、それでいろいろ乱れてくれるならば好都合なのも事実だ。さすがにラインラインラインやフィールマイハートのような超一流には無意味だろうけど、そうでもない存在がいなくなるだけでも対象が絞りやすくなる。
「非合法じゃなきゃ合法みたいな言い草やめてくれます?」
「じゃあ聞くけど、どういう答えを期待してるの?どんな僕がココロノサケビにとって一番嬉しいの?」
「質問に質問で答えないでくれます!」
「悪かったね、僕はココロノサケビの言う所の非合法じゃなきゃ合法みたいな言い草はやめないよ。それが正しいと思ってるから。で改めて聞くけど」
「ほどなく六歳になる馬が今更変われると思うほどぼくもバカじゃありませんから。今更何も変わらなくてもいいです」
「ココロノサケビの不利益になるんならいくらでも変えるつもりだけど」
「あなたと話してるとこっちが悪者になるだけです」
そしてその程度には正義の味方でも何でもないはずの僕に対し、ココロノサケビは何かを諦めたように投げやりになる。
「一体僕の何が悪いんだ!」
「だから言ってるでしょ、あなたは何も悪くない。強いて言えば対馬運だけです。浅薄な弟と成功を認められない狭量な敵、そんな相手しかいない環境に心底同情しますよ」
「誰が浅薄な弟だって!」
「格の違いもわきまえずに突っかかるのが浅薄じゃなくて何だって言うんですか」
「自分を卑下するんじゃないの!」
「あ、ボンバーエンド」
そんなとこに割り込んで来た、ボンバーエンド。
彼女の姿を見たココロノサケビは顔を元の色に戻し、冷たい空気を吸うように首を下げまくる。そして笑顔になったと思ったら、またすぐ落ち込む。
「ココロノソニック、あんたに子守りの才能はないわね」
「ボンバーエンド、有馬記念を最後に辞めるんだって?」
「ぼくらはあなたから旅立てって事ですか」
「もう甘えるのはおよしなさい、とは言わないわ。甘えるべき時は甘えてもいいのよ」
「はい…」
ボンバーエンドが軽く声をかけるだけで、ココロノサケビの体温が上がって行く。性別とか以前に僕には絶対たどり着けない境地にたどり着いていたボンバーエンドに感心すると同時に、一体何がどうしてこうなったのか知りたくもなった。
「知ってるでしょ、ったく三年少々走って来てGⅠも勝ったし、やるだけの事はやれたと思うわ」
「素晴らしいな」
「その言葉が上っ面だけならばいいのにね」
「僕だって何もかも燃え尽きて駄目になるまで走りたい」
「あんたの場合あと四年はかかりそうね」
「ぼくが先に引退しそうじゃないですか!」
「そう。ココロノソニック、あんたもその先の事をもう考えていい年よ。アッパーグレードだって引退レースになるかもしれないんだから」
引退レース。そんなのがいつのどれになるのか、僕にはわからない。
それでもボンバーエンドの最後と、アッパーグレードの最後になるかもしれないレースを見ておく事は僕にとっても大事なはずだ。




