第9R 「ラインラインライン」
いよいよパドックだ。
四枠七番、ほぼ真ん中の絶好枠。先入れではあるが気にはならない。
レースのために気を落ち着かせねばならない。
(作戦は既に決まっている…)
2000m。
先頭に立ち続けて押し切れるスタミナはある。だがそれは目標にされると言う意味でもある。構いはしないと言いたいが、それこそレースの展開そのものを乱しかねない。いくら乱れても勝てばいいが、それを承知で来る馬がいないわけじゃない。
だから三番手ぐらいで道中待機し、最終コーナーの辺りから抜け出して直線突き放す。それが山本さんと打ち合わせた作戦。抜けないかもしれない?そんな事が連続であってたまるか!
「だから、前を行く馬にピッタリと貼り付く」
「わかりました」
作戦は完璧だ。後は精いっぱい戦うだけ。
「おーおー、王者様って感じだねえ。まるで自分が勝つのは当然だって言わんばかりにさ、いい年して」
「…………」
「んなつまんねえ奴がいつまでも王者様でいるとオレらはメーワクなんだよ!いい加減オレ、とまでは行かねえにせよ後進に道を譲れこの老害!」
「…………」
「真摯であればあるだけ重いのです、その事をみんなわかっている。あなただけがわかっていない」
「…………」
雑音を気にする意味はない。
誰が何と言おうが勝たねばならない。もし番外戦術とか言うなら、それはそれで立派だと思う。でも屈する意味はない。男は黙って背中でとか言う気はないけど、競走馬の本懐は走りじゃないか。
何度でも言う。早くゴールできる奴が偉い。その理屈で言えばこの二戦の僕は偉くない事になるがそれは先刻承知だ。僕が強いと言う事を、見せ付けねばならない。本気を出せば鎧袖一触だと言う事を、見せ付けねばならない。
弱い風が吹く。十一月にしては生温い。そう言えば今日の最高気温は二十二度だったか。 その弱い風が好ましい。
雨は嫌いじゃないけど、強い風はあまり好きじゃない。いつそうなったかはわからないけど、いつの間にかそうなっていた。氏より育ちなのか、それとも僕が僕になって行く間にそうなって行ったのか。その質問を僕は山本さんにさえしていない。レースが終わってから聞いてみよう。そのためにもここは勝たねばならない。
騎乗命令だ。山本さんの57キロが乗る。実際には51キロぐらいだけど重りを身に付けて57キロになっている。その重さは嫌いじゃない。何度も何度も背負ってきた重さだ、むしろ気合が入っていい感じだ。
JBCクラシックのファンファーレが鳴る。これもいい。勝負に向けて気合が入る。どんどんとやる気が湧いて来る。
ゲートだ。いよいよと言う本番の舞台装置。そう、全てが僕の舞台だった。
ゲートが開く。予定通り三番手に構える。前を行く馬の半馬身ほど後ろに構える。
ペースは速くない。このまま前の馬が楽そうなのは少しムカつくがムカついた所でどうにかなる訳でもない。あくまでもマイペースを保たねばならない。
しかし経験上分かる。こういう時は誰かが動く。少し押し下げられるかもしれない。
その場合は山本さんの言う事を聞きながらも、早めにこちらも上がって行く。スタミナ比べならばこっちに利がある。
(んっ!?)
そのはずなのに、いきなり前を走っていた馬が下がった。崩れたと言うよりポジションを下げただけって感じであり、まだ800も走っていないはずなのにあまりにも奇妙だ。
まあその結果三番手から二番手に押し上げられたが感触は悪くないと思いながら後ろに目をやるとカースブレイカーとフィールマイハートが見える。二頭して僕を狙っているのか。
しかしなぜあんなクソみたいなおっさんとまでは行かないにせよ品行方正にはほど遠いカースブレイカーがモテ男そのもののフィールマイハートに慕われているのか、とんとわからない。文字通りの真反対だから魅かれ合うのかもしれないけど、アッパーグレードは少なくとも競走に対しては真面目だ。あるいはカースブレイカーも競走には真面目で相手の心を乱すためだけにあんな事を言っているのかもしれない。やはり表だけで判断してはいけないのか。とにかくいずれにせよ、目の前の敵を倒さねばならない。それが僕の役目だ。
残り800。まだ最終コーナーは見えない。そろそろか。
大井競馬場の直線は長めだ。あわてて仕掛ければさらに後ろの馬に差される。その事は山本さんもわかっている。まだ手綱は動かない。
…来た!
左手の手綱が強く動き、右手の鞭がお尻に響く。
この合図を待っていた!
最終コーナーから一気に仕掛ける!
後続を突き放す、直線に向けて飛び出し前も捕らえさらに差を付ける!
前には何の障害もない、やってみせるまで!
そのはずなのに、なぜか差が詰まらない。半馬身ほどしかないはずなのに、その半馬身が変わらない。
走っても走っても、目の前のフィールマイハートに似た彼を抜く事が出来ない。スタミナでは負けていないはずなのに、スピードで追い付けない。
声援が鳴り響く。僕に向けられた物ではないのは間違いない。彼もまた僕とは違う世界の馬だと言うのか。
ふざけるな、僕は強い!僕は負けない!今まで何度も何度も戦って来た、勝って来た!こんな、こんな事で!
「ああああ!」
叫んだ。力の限り叫んでさらに気合を入れ、首を前に突き出す。
なのに、差が詰まらない。いや詰まっているが、半馬身差がクビ差になっただけ。もう時間がない、と言うか距離がない。
隣に目をやるまでもない。おそらく焦っていないか、焦っていたとしても表に出さない。
何だって言うんだ!
僕は結局王者でも何でもない、いや王者であったとしてもそれはローカルチャンプに過ぎず世界王者でも何でもないお山の大将だったと言うのか!
あれほどまでに勝って、勝って、勝ちまくって!
あそこまで多くの馬の夢を奪い取ったはずの僕が!
ただの、ただの……!!
一着 ラインラインライン
二着 ココロノソニック アタマ
三着 フィールマイハート 4
また、負けた。
そして今回は、本当に、負けた。
全力で走ったはずなのに、負けた————————————————————。




