第7R 「グランルークス」
「まだ試さなければいけないそうで、次は芝です」
「そうかい、まあ一度や二度の敗戦でどうにかなる訳じゃなし」
「説得力の欠如を自覚してないんですね、ボンバーエンドさんが言ってた通りですよあなたって馬は」
自分なりに励ましたつもりだったのにココロノサケビは冷たい。ボンバーエンドにはなついているかんじだからいいけど、もっといろいろ聞いて欲しいのにとも思う。
「十六頭立てって事は十五頭が負けるって事。もちろん残る一頭になるのは大事だけど、十五頭になる事を覚悟の上で挑まなきゃいけないの。それぞれのレースにそれぞれの目標があるけど、その上でその先の事を考えなきゃいけない。一戦ごとの勝った負けたで一喜一憂するのもいいけど、それが許されるのは頂点か底辺かのどちらかよ」
そんな事をボンバーエンドは言っているらしい。
そしてそのボンバーエンドに二歳馬たちはオス・メス問わずなついている。今年いっぱいで現役をやめる事が決まっているボンバーエンドだがこの調子ならばいい母親になりそうで何よりだ。
「繫殖牝馬の生活ってどんななのか知ってる?」
「よくわからない」
「一年間重りを抱える生活よ、上じゃなくて中に」
二頭っきりになった僕に、ボンバーエンドは五歳の牝馬の顔をして口を開く。僕が素直に答えると、ボンバーエンドはため息を吐きながら教えてくれた。
サラブレッドの生まれた来た時の体重はだいたい55キロぐらい、つまり僕らがレースの時に乗せてるそれとほぼ同じぐらいである。いきなりそんな重さにはならないにせよパドックからレース終わって少し経つまでの間ぐらい——だいたい一時間未満——しか乗らないような重量を一年中腹に抱えている事になる。
「では種牡馬ってのは」
「その重りを抱えさせるための行いを三ヶ月ほどやって後の九カ月はのんべんだらりと過ごすお仕事」
そして確かにその通りだ。種牡馬ってのは繫殖牝馬を孕ませるために三ヶ月ほど帽を突っ込むだけのお仕事であり残りはそれこそその棒と玉を守るためだけの時間である。
「それでもいつ何時そんな生活を失うか分からないとも言うけど」
「少しの八つ当たりも許さないの」
「ワンダープログラムさんはたった四年であんな事になっちゃったし、それにあまり子どもの出来が良くないとと言うかそもそも作れないとまずいって聞くし」
「私もバカね、三年以上付き合ってるはずなのに」
でも所詮それも優秀な子どもをちゃんと作る事が目的でありそれがあらゆる意味でできなくなればお払い箱だ。子どもが活躍出来ないと思われれば種付け数は減り種付け数が減れば活躍の可能性は低くなりの負の連鎖もあるし、それ以前に子どもそのものを作る事が出来ないともなればそれ以上に悪い。もちろん病気だってある。
そんなごもっともな事を言っただけのはずなのにボンバーエンドは深々とため息を吐き、がっくりとうなだれた。そしてそれを追いかけるようにココロノサケビたちの冷たい目線が飛んで来る。
「で、次は南部杯なんでしょ」
「去年のようにやってやるだけ。調教行って来る」
「頑張りなさいね」
「そうするよ!」
ボンバーエンドに誓って負けられない。あんな真似はしない。
決して山本さんの早仕掛けが悪かったとは思わない。とにかく今は最初から最後まで気を抜かずに走る事だけを考える。それだけだ。
それだけのはず、だ……。
※※※※※※
「ああああああああああ!!」
————————————————————と、吠えたい。
でも単純にみっともないし、敗因も分かってしまっている。
僕は彼と、世界が少し違う存在だと気が付いていなかったから。
南部杯と言うマイル戦。
実は意外と縁の少ない一戦。ヒヤシンスステークスやフェブラリーステークスはマイル戦だがユニコーンステークスは1900mだし、新馬ももちのき賞も1800m。
たかが200mとか言うには、その馬は速すぎた。
「やっぱり、覚えてくれていなかったんですね。まあ、それならそれでいいですけど」
—————————やっぱり、覚えてくれていなかった。
勝ち馬にそう言われてなお、僕の頭の中にグランルークスと言う名前は出て来なかった。
去年の南部杯にもいた、一昨年の全日本二歳優駿と言うGⅠレースの勝ち馬なのに。
でも原因は分かっている。その後の羽田盃・東京ダービー・レパードステークスと全部惨敗し、南部杯でも五着とは言え十馬身近く引き離されてのそれ。
その後故障して前線を離れてしまった僕に取り、彼のカペラステークス(1200m)一着、さきたま杯(1400m)一着と言う数字は頭に入らなかった。全日本二歳優駿だってマイル戦だし、要するに三歳の春夏のひどい結果は距離が長すぎただけだったのだ。
山本さんの言う事を聞いたつもりではある。
でもそれ以上に、僕自身にその彼のスピードを評価する心持ちがなかった。
グランルークスは、序盤から飛ばしていた。そう言えば去年は控えていたけど今年は飛ばしていた。
「まずいかもしれない」
山本さんがあわてていた。確かにかなり速いけど暴走にも見えた。あわてて仕掛ける必要があるのか、僕自身勝手に判断するつもりもなかったからいつも通り山本さんの言う事を聞く気でいたし実際山本さんの言う通りのタイミングで仕掛けたけど、予想外に差が詰まらない。
道中の段階でそんなに大差を付けられていた訳でもないのに、最終コーナーの段階で仕掛けに入ったはずなのに、グランルークスが大きくならない。
どうせ止まるだろ、そのはずだ。
僕はグランルークスの道中のタイムがどの程度の物かわかっていた。僕より速い。と言うかあれはどう見ても暴走だ。そう判断してしまった僕の脚は、どこか鈍くなっていた。
何をやっている、目の前の敵を抜かずにいる意味があるか!
そう思い直して気合を入れ直す。
だが、手遅れだった。
足りない。
わかりたくないのに、わかってしまった。
後はもう、悪あがきだった。
現実はハナ差でも、気分的には二~三馬身ぐらいの差だった。




