第1R シーズンを棒に振って
第三部開始。いよいよ五歳になったココロノソニック、そして弟の本格的な登場です。
「フェブラリーステークスは…」
厩舎に戻ってほどなくして聞く羽目になった、こんなニュース。
あの時の故障、全治四カ月半の骨折。
フェブラリーステークスは間に合わず、ドバイへの再遠征もなし。
もちろん、去年秋のGⅠシーズンも全休。
「……仕方がないけどさ」
気が重い。頭も重い。体は足を含め元気なのに、ブリーダーズカップどころかドバイへの再遠征も吹っ飛んだ。だからこそ無念をこぼしながらも気合を入れていたのに、アッパーグレードもボンバーエンドもテンションが低い。
「執念深いこったね」
「競走馬ってのが何のためにいるのか」
「お前は競走馬じゃなくて競争馬だな。そんなのと張り合う身じゃなくて良かったぜ」
「本当それ。死ぬまでそうやってギラついてるのかしらね」
「まだ枯れるような年じゃないだろ!と言うかもっと背筋を伸ばしてもいいじゃないか!」
二人して何なんだろう。
僕がここに戻って来てからの数週間の間に自分らが何を成し遂げたか、すっかり忘れた訳でもないはずなのに。謙虚とか言うより、どこか情けない。空威張りはみっともないけど、全く威張らないのも良くないと思う。
まあそんな僕自身、威張り方を知らないんだけど。
ここ数週間の浅野厩舎は、すこぶる景気が良かった。
五歳になったアッパーグレードが京都記念を叩いて臨んだ大阪杯で二つ目のGⅠを戴冠し、その翌週のGⅡ・阪神牝馬ステークスでボンバーエンドが安田記念以来の勝ち鞍を上げた。GⅠにGⅡを勝てるだなんてそれこそすごい話じゃないか。
人間の世界における門出であり僕らにとっても出産シーズンでありこの時期が誕生日と言う馬も多い所にこの勝利、実際厩舎の雰囲気はかなり良かったはずだ。
「お互いまだ次があるからって事。私はヴィクトリアマイルと安田記念、アッパーグレードは天皇賞から宝塚記念」
「そうだよね、まだまだ戦いはこれからだからね」
「お前こそ、立ち直りの速ええこった。かしわ記念まであとひと月もねえのによ」
「出してくれるかは分からないよ、出られれば勝ち負けするつもりだけど」
まあ、確かにその通りではある。一つでもGⅠを勝つ事は素晴らしいが、それでレースが終わる訳ではない。欲張りとかじゃない、それが本領であり役目でもあるからだ。僕もまた、かしわ記念に向けて調教を受ける事になる。そこから帝王賞へと進みたい。
目標はまず、お父さんを越えるGⅠ九勝目。
そしてそこから日本記録であるGⅠ級レース十一勝を越えて、十二勝。今年四つ勝てば届く。
夢みたいだけど、夢でもない現実が、そこにある。僕にしかできない事をする。それだけの事。
「おいおい…少し気合入り過ぎじゃないか」
「心底から好きなんでしょう、走るのが。その上で故障の後遺症もない。まるでただ放牧しただけみたいですね」
慣れたはずの坂路を走るタイムは、我ながらかなり速い。まるで追い切りの時の様についスピードを出してしまい、そのまま息も切らさずに走り切ってしまった。我ながらどこか本気の出し場所が違うような走りで、調教助手さんたちも戸惑っている。
自分だってびっくりするほどの結果であり、そのくせ息も大して切れていないのになおさらびっくりした。
(……シャットダウンを、見るとな……)
焦っているのか。一刻も早くレースに出られるぞってアピールして、お父さんの記録を塗り替えたいのか。
まだダート界じゃ五歳なんてひよっことまでは行かないにせよ老雄ってほどじゃない。中堅と言うか、中核世代。いくら三歳の頃から鳴らして来たからと言って五歳になって枯れると言うか落ちるとは限らない。戦って負けたら話は別だが、まだ一戦も戦ってないのに負けただなんて言えるか。
それに何より、シャットダウンだった。
三歳一杯で引退したシャットダウンは去年の春に種付けを行い、今年パパになった。子どもの数は一五〇以上、種付け数は二〇〇以上。再来年にはシャットダウンの子どもがデビューする事になる。
と言うか、シャットダウンは特別としても僕は正直いつ引退させられてもおかしくはなかった。
自分で言うのも何だが四歳までにGⅠ級レースを八勝もできる馬がそうそういるのだろうか、そんな貴重な存在を守らなければならないとなるのは自然な事のはずだ。ふざけるなとか言うならば牧場にいた時長引くようなら来年から種牡馬にとか言った人間を呼んで来いって話だ。
僕はまだまだ走りたい。シャットダウンになんかなれない。そう思ったから故障から四ヶ月で回復できたかはわからないけど、とにかく僕に残されている時間は思ったよりずっと短いかもしれない。
その思いが、身体を動かしている。
「何だ、思ったより早いじゃないか。アンタレスステークスとか平安ステークスとか叩こうかと思ったけどこれはかしわ記念行けそうだな」
そしてやってみる物であり、僕は早速GⅠを走れる事になった。正直、気分がいい。
僕がかしわ記念を勝つ事によりヴィクトリアマイルを走るボンバーエンドにもいい影響があるはずだ、宝塚記念を走るアッパーグレードにも。あ、できれば春の天皇賞がいい結果だったらなおいいけど。
「なんだよあの馬マジすげえな」
「なんか別世界の存在って感じ」
「オレダート路線行く事になりそうなんだけどさ、まだ現役じゃねえだろうな」
「二歳でしょ、大丈夫…かしらね、だって三歳秋になったら古馬の人たちと一緒にやるんでしょ、その時まだココロノソニックさんは六歳よ」
「………………」
若い仔たちも、感心したり失望したりしてる。敵となるかもしれない仔もいる。その仔の前でみっともない真似は出来ない。別に威圧する気はない。ただあまりにも多くの物を背負ってしまった存在としてみっともない真似だけは出来ない、それだけの事だ。
「何のつもりです」
「何のつもりって」
「そんなにいきり立って、どうしてもレースに出たいんですか、勝ちたいんですか」
「出て、勝ちたい。そのために僕らはここにいる」
「その事がどれだけの存在に迷惑をかけているかご存じですか」
「わかってるよ、でも勝負に情けは禁物だ。そうだろう、ココロノサケビ」
そしてこの弟は、僕の思いを分かっているのかいないのか分からない。




