ヒガシノゲンブ
外伝パート2です。
「今年も、リーディングサイアーか」
こんな事をテンション低く呟けること自体、最高級の贅沢だって分かってる。
真冬だってのにぬくぬくと過ごし、来年春の種付けを待つ。
こんな生活が送れるのは誰のおかげなのか。
お前自身のおかげだろとかって褒め言葉をくれるのは嬉しい。でも、そこまで俺は威張りくさっちゃいない。
かつての、あいつのように————————————————————。
日本ダービー、菊花賞、天皇賞・春、宝塚記念、凱旋門賞。
この脚四本で、積み重ねて来た栄光。
取り分け凱旋門賞とか言う、日本の全てのサラブレッドとそれに携わる存在が求めても得られなかった勲章を俺は取ってしまった。
そして、殿堂入りと言う肩書。
GⅠを一つや二つ、いや五つや六つ勝っても得られないそれ。
俺の名前は、競馬と言う存在が滅ぶまで消えなくなった。
元々日本ダービーを勝った時点で「Higashino Genbu」って名前は世界の誰も付けられなくなり、歴史に残る名前になったと言うのにだ。「Wonder Program」や「Kokorono Daichi」だってそうだが、それらより一年以上前に俺の名前はそうなった。
と言うか今年も去年も、次々と二度と付けられない名前が増えて行く。その内馬名が切れるんじゃないだろとか思うけど、そんな事を心配してもしょうがないだろう。
だが俺は、それらすら飛び越してしまった次第だ。
(狂気の逃走者、様か……)
現役時代、俺はそんな風に呼ばれた。戸柱さんはともかく浅野先生すら手を焼くとんでもない逃げっぷりを形容した言葉だけど、実際全く間違っていない。それこそ後先考えずに先頭に飛び出し、そのまま誰も付いて来させないようにする。ついて来るような奴がいても圧倒的に突き放すか、道中でスローダウンしてスタミナを残して逃げ切る。そんな事が出来てしまったのがこの俺だった。
スピードの絶対値が違うからだ。
いやあんなレースをやっても切れない底なしのスタミナだ。
両方持ってるからだ。
これしかないと割り切ってる根性があるからだ。
みんながみんな強さを、勝手に分析している。俺だって自分がどれだけ強いかなんてはわからない。わかるのは、ただ自分なりに懸命にやって来た事だけ。その結果がこれだと言う事だ。今更何の悔いもない。
(あれから十年か……)
四歳の時に凱旋門賞を勝って引退した俺は、来年で十五歳になる。種牡馬としての生活も、もう十一年目。デビューから引退まで二年も経ってないのに、この生活はもう馴染み切ってる。もちろん現役生活に何の悔いもありゃしねえけど、来年もまた牝馬を孕ませるだけの仕事なのかと思うと嬉しいとか以前に申し訳なくなって来る。
一回に付き1000万円もふっかけてる(っつーかこれでも全盛期よりは安い)のに、予定としては200頭近く。まだ確固たる跡目がいないせいもあるんだろうがそれにしてもまた今年もこんな数を相手にする事になるとは本当に参った話だ。
「しかし、現役時代を知れば知るだけ今のヒガシノゲンブは不可解だ。
あの日本ダービーの時の高笑い、それこそ自分こそダービー馬であり他の誰も折れにはかなわないのだと言う事を示すようなそれを耳にして脳を焼かれたファンは、今のヒガシノゲンブを見に行かない方がいいかもしれない。
好々爺と言うにはまだ若いが、少なくともあの時のような威圧感はない。去勢されていないはずなのにやたらとおとなしく、こちらがよほどの真似をしない限りはじっと草を食んでいる。そのくせ体重も現役時代から二十キロほどしか増えておらず、見た目だけならばそれほど変わらないように見えるから問題である」
引退して種牡馬になると、だいたい四~五十キロは重くなる。俺もデブになったと思っていたが、どうもそんなに太った方ではないらしい。種付けは大変な作業だが、しょせん一年の内三ヶ月しか仕事をしないから暇ではある。
その間にやる事と言えば、多くの子どもたちの動向を追う事ぐらいだ。昔はまだ現役をやっている同年代の馬たちの事も追ってたけど、一頭減り二頭減り最後に残ったのはココロノダイチだけだった。あいつは結局、俺の娘のノーザンスザクが阪神ジュベナイルフィリーズを勝つ年まで現役をやってた。しかもその阪神ジュベナイルフィリーズの前の週にやった引退レースを勝利して競馬場を去ったと来てるから呆れるしかない。鉄の馬とか言われてたけど、ああいうのこそ殿堂入りすべきなんじゃねえか。
ま、あいつよりは可能性もあるだろうけど。




