第5R 二人の父さんの事
「それだからアンタモテないのよ」
いきなりそんな事を言い出したボンバーエンドって牝馬は、既にフェアリーステークスって言う重賞を勝っている馬。
「だから…」
「だからじゃないの、格の問題じゃなくて同い年の牝馬は大半がシャットダウンに憧れてるのよ。まさかそれを忘れてた訳」
「忘れちゃいなかったけど競走馬なんて実力主義でしょ。今モテるのは分かるけど」
格の違いとか抜きに、シャットダウンは人気があった。僕が初勝利を挙げシャットダウンがまだ走ってない頃から、いや二勝目を挙げてからもシャットダウンの方がずっと牝馬から人気があったのはあまり意味が分からない。
「あーそういう事言うんだー、まあ何となく言いそうな気はしたけど。まあ次は流石に外枠当たるんじゃない、その時のこと考えておきなさいよ」
「わかったよ、優しいんだね」
「ハイハイ」
まあ、僕にもこうして言葉をかけてくれるぐらいだからボンバーエンドが優しいのか、それとも僕も三戦三勝と言う実績なりの人気はあるのか。後者の気がするけど、ボンバーエンドを貶めるような事も思いたくないから前者なんだろう、多分。
彼女もデビュー二連勝と勢いに乗っているから余計な事を言う意味もない。
それでとりあえず馬房に戻った僕が見た、十年ほど前の映像。
この浅野厩舎に所属していた三頭の競走馬の物語。
「ヒガシノゲンブとワンダープログラムは、最初ライバルだった。
二人は共に競い合い、お互い切磋琢磨していた。だが皐月賞でどちらも砕け散り、ダービーの前にワンダープログラムが心無い言葉でヒガシノゲンブの心を逆撫でした。
それからご存じの通りダービー、菊花賞、春の天皇賞とGⅠをその圧倒的名逃げ足で勝ちまくるヒガシノゲンブといつもヒガシノゲンブの後ろに甘んじ続け有馬記念などヒガシノゲンブのいない場所でも勝ち切れないワンダープログラムの二頭の間に実力でも心理的にも埋められないほどの溝が出来てしまった。
その二頭の間にいつも立っていたのが、ココロノダイチだった。」
ココロノダイチ。僕のお父さん。
そのココロノダイチが、ヒガシノゲンブやワンダープログラムと言うこの厩舎で育った名馬二頭と同じ厩舎にいた事は知っている。
でもその二人の親友だったなんて、信じられない。
ココロノダイチ。ヒガシノゲンブ。ワンダープログラム。
この三頭の中で、ココロノダイチって存在だけが明らかに異質だ。
ヒガシノゲンブさんはクラシック二冠を取り、凱旋門賞まで勝ったけど走ったのは僅かに十戦。ワンダープログラムさんも皐月賞からずっとヒガシノゲンブさんと戦って来た。
一方で僕のお父さんは、ダービーの日にやっと初勝利。オープン馬になったのも一年近く後。芝とかダートとか抜きにしても、明らかに格が違う。ワンダープログラムさんの引退レースのすぐ後の東京大賞典を勝ち切れず、それまではGⅢ二勝。ワンダープログラムさんはGⅠを五つも勝ってたのに。
もちろん競走馬としての格と馬同士の相性ってのは別物だし、って言うか全然別の道をたどっていたからこそ仲良くできたかもしれないけど、よくお父さんはしんどいと思わなかった物だ。
ノーザンスザクさんこそもういないけど、今もまだ浅野厩舎にはアッパーグレードとシャットダウンを除いてもまだ四頭の重賞勝ち馬がいる。GⅠ馬こそいないけど僕らとは十分世界が違う。ダートで活躍している先輩もいるし僕もいずれ戦わなきゃいけないと思うと正直気が重いので、今はまだ考えない事にしている…と言いたいけどあと三ヶ月もすれば強制的にそうさせられるのがダート路線だった。
(お父さんは古馬との初対戦もあっさり乗り切ったとか言うけど…)
クラシックではまだ菊花賞の時期までは三歳同士で戦えるけど、ダート路線はその三ヶ月前のレパードステークスってレースがせいぜい。いや、ジャパンダートクラシックって言うレースがあるから菊花賞と同じぐらいかもしれないけど、それでも市場としては狭い。と言うかそんなレースに出られるのは言うまでもなく一流だけであり、二流以下は百戦錬磨の古馬と戦わなきゃいけなくなる。最初は斤量もまけてくれるらしいけどそれもなくなる。
(今の内に勝つしかないのか…)
お父さんはやはり特別だ。そんな厳しい戦いを続けてオープン馬になり、重賞を勝ち、GⅠも取った。
そんな事が僕に出来るのか分からない。
目の前のレースを勝つしかない。勝てば楽になる。
それしか出来る事はない。
「九連敗もしといてよく言うよ」
「ここから勝てばいいんだろ」
「お前はココロノダイチかっての、っつーか三着すら一度っきりなのによくんな事言えるな」
同期の仲間が言うように、お父さんはデビューから九連敗した。その時、どんな気持ちだったんだろうか。
未勝利戦は三歳の八月いっぱいまでしかないから、五月にやるダービーのその日でもダメとなるとあと三ヶ月しかない事になる。そうなるともう後は引退させられるか地方に送られるか、それとも勝った事のある馬と無理矢理対決するかしかない。いずれにしても良い印象のない話であり、二歳の内に二勝できて本当に良かったと思う。
地方送りが悪い事みたいに聞こえるかもしれないけど、実際あまり良くない。ヒヤシンスステークスの一着賞金1900万円を稼ぐのに、地方競馬だと十勝以上必要らしい。ヒガシノゲンブさんが生涯で八勝しかしていないのに12億円近く稼いでいるってんだから文字通りの桁違いだ。
(でもダートって事は地方を回る事になる。多分そこではかなりの大金がもらえるんだろうけど…)
お金のために走るもんじゃないとか言うのは簡単だけど、お金があればレースに出やすくなるのも間違いない。
そんな事を気にせずに走れた二人と、お父さんは本当に仲良くなれたんだろうか。
僕には正直、わからなかった。




