第12R 寂しい誘導馬の背中
「帝王賞に来るんですかあの馬」
「来るらしい。距離的にきついはずなのに」
「しかしまた同じ事をやればそれこそ札付きどころか業界追放レベルですよ」
「それでもやる奴はいる。気性難ってのはそういう代物だ」
「でもせっかく勢いがあるのに止めたくはないですし負ける気はありませんけど」
それからひと月少々。
翌週に迫った帝王賞を前にして、僕の気分は晴れない。
ダブルブレードがまた来ると言う。ソウヨウアイドルって馬は高松宮記念の勝ち馬で産駒もマイル以下の勝ち馬が大半だってのに。まああくまでも大半であってダブルブレード自身2100mの川崎記念を勝った馬だから問題はないだろうけど、それにしてもと思わずにいられない。
そして言うまでもなくネヴァーロストさん、アイムキングスさん、カースブレイカーと言った面々も来る。ネヴァーロストさんはともかくあと二頭もかなり敵意と言うか害意を抱いている以上また厄介なレースになりそうだ。
せっかく、安田記念をボンバーエンドが取ったって言うのに。
「十番人気まで落ちたからよ」
ボンバーエンドはそっけない。阪神牝馬ステークス五着、ヴィクトリアマイル九着と言う結果が続いたせいで安田記念ではそこまで人気が落ちた中、外から直線一気に抜け出して勝利したってのに笑顔がない。
「でも阪神牝馬ステークスは直線前が詰まりっぱなし、ヴィクトリアマイルは負けたと言っても差は0.9秒だし」
「理屈を振りかざすのはホント得意よね」
「だから人気落ちすぎかなと思ってたし」
「外国から来てた天才マイラー様が人気集めてくれたからね、ほとんどそのおかげ様よ。自力で勝ったとは思ってないから」
香港からやって来た超一流馬が人気を集め、皆がそれを必死になって負かしに行った結果の棚ぼただから威張ってもしょうがないと言う事らしい。でもどんな形であろうが一着は一着だ、アンフェアな手段を取った訳じゃなし。自慢してもいいと思うのに謙虚だ、本当見習いたい。
「言っとくけどさ、もし私の勝利が勢いを付けたとか言うならなんでアッパーグレードは宝塚を取れなかったのって話になるからね」
「少し仕掛けが早かったのかもな、結果論だけど」
「戸柱さんも後ろの足を甘く見てたって言ってたけどね、でもそれって東京と阪神の違いはあるにしてもって思うけど」
「あんたって本当相手の気持ちが分からないのね。二歳の時はそんなもんだって思ってたけどそのまんま最強になっちゃって、この前のかしわ記念もお子ちゃまみたいに八つ当たりしてさ」
「それはひょっとしてギャグで言ってるのか?」
「ありがとう、私にはお笑いのセンスがない事を教えてくれて」
その上で、何が言いたいのかはよく分からない。僕がいつ何時八つ当たりしたって言うんだろうか。僕が心底不思議そうに聞くとこの春だけで四戦したから疲れてるって事でか生あくびをして去って行った。そう言えば僕も帝王賞の後は夏休みになる。帝王賞もフェブラリーステークスから数えて四戦目だし、だいたいそんなもんなんだろう。
「惜しかったね…」
「残り100までは行けると思ったよ、錯覚だったけどな」
—————クビ差+ハナ差の三着、タイム差は0.1秒。
その数字が示すようにアッパーグレードの顔には濡れた跡があった。
「気が抜けてたんだよ」
「それって」
「ああ。国際GⅠ馬なんて言われて舞い上がってよ、それ以上に安心して気が抜けちまったんだ。馬券もその通りになっちまったもんでな。気合を必死に入れようとしたけど方向を間違っちまった結果がこのザマよ」
宝塚記念の一番人気はアッパーグレードだった。
けどかしわ記念の僕と同じようにアッパーグレードも人気に応える事は出来なかった。そしてやはり同じように、秋までは休む事になる。でも僕と違い、敗北を引きずったまま過ごさなきゃならない。ドバイシーマクラシックのおかげで国際GⅠ馬と呼ばれてしばらくはもてはやされるだろうけど、本馬の気持ちが晴れる事はない。
「方向を間違えた…」
「ああ、パドックでボソッと聞こえたんだよ。シャットダウンがいればってな」
「シャットダウン…正直無理だと思うけどね」
「俺らの事情なんか普通の人間は知らねえ。シャットダウン自身が燃え尽きたと認めてるってどう説明すんだ、負ければわかるか」
「いや…」
「そうだ。人間に限らずほとんどの連中は「何事もなく現役続行したシャットダウン」を永遠に想像し続ける。俺だって無理だ」
そして何より、シャットダウンの存在だ。
シャットダウンと戦ったほぼ全てのサラブレッドは、シャットダウンと今なお終わらない戦いを繰り広げている。宝塚記念だけでなく大阪杯でも春の天皇賞でも、シャットダウンならば勝ち馬より前でゴールインしていただろと言われ続ける。
お前は逃れてるだろとか言われた事もあるけど、ドバイワールドカップの際にシャットダウンならばドバイのオールウェザーって呼ばれる馬場でも戦えたと言うか一着でゴールできたかもしれないとかって聞いた時には笑うしかなかった。
実際にはもうすっかりやる事は終えたし終わるとわかっていたからこそあそこまで出来たと言ってる以上多分勝てなかった気がするけど、結局は「多分」でしかない。
「そして俺は出会ったんだ、俺らの親父たちの仲間と言うべき存在に」
「仲間?」
「ああ、ナンダカイケソウって馬だよ。阪神競馬場で誘導馬をやってたんだ」
そして今の僕たちの同期としてシャットダウンの存在が鎮座する中、僕たちが同期として鎮座していた中にいたのがナンダカイケソウさんって馬だった。
若葉ステークスを勝ち皐月賞、日本ダービーに挑戦。
でも日本ダービーであのヒガシノゲンブの大逃げに付き合ってシンガリ負けし、さらにその前後のヒガシノゲンブの豹変ぶりの原因と後ろ指を指された事もあると言うナンダカイケソウって馬はその後ダート路線に転向、お父さんのオープン昇格のレースで共に戦い、その後地方競馬に転厩してフェブラリーステークスとかにも出たと言う。
もし日本ダービーに出ていなければ普通に過ごせたかもしれない存在。
「でも誘導馬って」
「ああ、かなり恵まれてるよ。聞いたとこだけど中央の重賞も勝てずに誘導馬になるのは相当に珍しいらしい。しかもナンダカイケソウさんてただの鹿毛だからよっぽど性格がいいんだろうなって」
そんな存在でもそれなりの第二の馬生がある……ってのは甘い夢なんだろうか。
相当に選ばれた存在しかそんな道を選べない道を勝ち取ったその馬は、やっぱりエリート。
そのエリートが他のエリートに絶望する。
それがこの世界だった。
実際にはナンダカイケソウの実績で誘導馬になる事はなさそうですが……。




