第9R 何のつもりだ!
—————十二番、ココロノソニック、単勝オッズ、1.0倍。
つまり、当たっても何も得をしない。何の意味があるのか分からない馬券。
単勝と言う誰が勝つかを予想する馬券にて一頭の比率が80%を越えると1.0倍になるらしいけど、そこまで多くの人が僕の勝利を予想してくれてるとは思わなかった。これまでも1.〇倍は続いていたけど、ついにここまで来たかと思うと感慨深いとか言う前に何も言えない。
と言うか中央競馬だと1.0倍はほとんどなくなったけど、地方競馬だとある。そういう意味じゃある意味ドバイワールドカップ以上に歴史的な舞台じゃないか。
「ドバイワールドカップでは三着も強さは見せた。ここでは文字通りの手合い違い」
「外枠もスタートダッシュが効く馬なので問題はない。フェブラリーステークスと言うかその前で勝負付けが付いた相手ばかり」
「追い切りのタイムからして疲労は取れているようだし体調面の問題はない。秋はブリーダーズカップとも言われているがそのためにこんな所で負ける理由はない」
「帝王賞に向けて仕上がりは八分程度だが、フェブラリーステークスと同等だとすればそれで十分」
「唯一抵抗できるとすれば前走の川崎記念でGⅠ初制覇したダブルブレードだが、その川崎記念では直線にて激しく叩き合った事からして疲労度は高い。帝王賞は回避して秋以降に備えると陣営も言っておりここは目一杯に仕上げて来るだろう。だがそもそもプロキオンステークスのレベルがやや低く2100mの川崎記念を制したようにマイルは短いと言う話もあり逆転は困難」
なんともまあ、ものすごいフレーズが並んでいる。知ってたり知らなかったりする人間のフレーズが僕らの事を評価している。それもまた僕らの運命だと一歳の頃から教えてもらったしデビューしてからもずっと触れて来たけど、ここまで言われたのは一度もなかった。
(でも、別に関係ないし…)
確かに人気があるのは素晴らしい。でも人気だけで勝てるわけじゃない。ここにこうしている以上、どの馬にだって勝ち目はある。もし相手に1.0倍なんて数字を見せ付けられたら僕だってそんな簡単に行くもんかって奮起してやるつもりだ。
それなのに、静かだ。
お客さんたちが静かなのはいいとしても、他の馬まで静かだ。
レースの前に無駄にイレ込んでもしょうがないとか、気合を示しているとか、口でこそ何も言わないけどこちらをじっと睨んでいるとかそういうのもない。ただ淡々と、まるで厩舎で日常生活を送るかのようにパドックを回っている。
不気味とか言うには迫力がなく、平穏とか言うには足音が重い。船橋の空は五月五日と言う日にふさわしく雲もないし馬場も良馬場だけど、どうにもしっくり来ない。気温?平年並み。湿度?そんなに高くない。風?南西方向に1メートル。
「とーまーれー」
いつもの声。聞いた事のない声色だけどいつもの声。僕らに次の段階へ進めと言う合図の声。ゆっくりと足を止め、いつも通り山本さんが寄って来るのを待つ。
よっと、いつも通りの重みだ。GⅠの定量戦だとだいたい57キロだけどハンデ戦ともなると50キロなんて事もある以上、騎手ってお仕事はものすごく軽くなる。浅野先生はまだともかく調教助手さんもすごく軽い、って事になってる。でも僕らからしてみればそれなりに重みはある。障害レースとかだと60キロ越えも珍しくないんだから全く凄い。
いつものように山本さんを乗せ、パドックを回る。
しかし山本さんの手綱が、少し怪しい。
まるで何かに脅えているように震えている。
見えないし聞こえないけど、ごくわずかな揺れを感じる。
「山本さん」
「大丈夫だよ、いつも通り行けばね」
いつも通り行けばいい。そうだ、それだけの事じゃないか。前に行くか後ろに控えるかは分からないけど、とりあえずいつも通りやるだけ。それの何が悪いのか。
本馬場に入る。依然として静かだ。ファンの人の声援はあるけど、他の馬たちの声が聞こえない。
ダブルブレード、アイムキングス、カースブレイカー、ネヴァーロストと言う二~五番人気馬たちに続くように返し馬に飛び出した僕に、誰も付いて来ない。でも一~四枠にいたその四頭はいつの間にか固まり、外枠の僕を待っている。待つのは得意だけど待たされるのは嫌いな僕は返し馬もそこそこにゲートの後ろへ行く。それと同時に他の馬もおとなしく輪乗りと言うレース前の最後の待機時間を過ごす。
ファンファーレだ。いつも通りの時間だ。耳慣れないそれだけど、心地はいい。
拍手と声援が続く。嫌いな馬もいるらしいけど、僕は好きだ。アッパーグレードはそれもまた才能だよって言ってたけど、楽しまなければ損じゃないか。誰か睨んでいる気がするけどそんなのは関係ない、と。
ゲート入りだ。十二番と言う事もあり待たされるけど、それもまたいつもの事だから気にはならない。次々とゲートにみんなが吸い込まれて行く。僕と同じ年の馬はカースブレイカー以外一頭もいない。
おっと、二番の馬が少し渋っている。でもすぐ入った。まあよくある事だ。何歳になっても苦手な馬はいるし二歳でもすっと入る馬はいる。十二頭分が終わるまでじっと待つだけ。
僕の順番だ。ゆっくりと入る。
あと一頭だ。すんなりと入った。
ゲートが開いた。
スタートダッシュとまでは行かないにせよタイミングは十分合った。
いつも通り前に行く。
その僕に先頭に立たせまいとする、内枠の二頭の馬。
あ、アイムキングスさんとカースブレイカー。
二人して競い合うように前へ前へと飛ばし、一気にペースを上げて行く。
奇襲か?いやそれにしてはペースがめちゃくちゃすぎる。二頭で競い合って後ろを置き去りにすると言うより、ただの暴走。
無視するかと言いたいけど、最初の2ハロンで三番手に立った僕に六馬身の差を付けている。まさか行った行ったを狙っているのかもしれないけど、それにしても速すぎる。1200m戦を走ってるんじゃないんだぞ、いい年して何やってるんだか。
とにかく今はマイペースに走り800mぐらい、山本さんの手綱が動き次第一挙に追い抜いて…。
「うわっと!」
どうしたんですか山本さん……!
って誰かが内からぶつかって来た!
押して来たと言うよりぶつかって来た、騎乗停止とか言う次元で済むか分からない蛮行じゃないか!
一体誰がこんな事を…えっと、二枠二番…
ダブルブレードさん!?
うわわ、押すな!




