第7R ドバイワールドカップ
「すごいね!」
とかって声をかける時間は僕にはない。何せドバイシーマクラシックが終わってからドバイワールドカップまで三十分しかないから、ドバイシーマクラシックが終わると同時に今度は僕がパドックへと向かう事になる。
あの時のアッパーグレードは、菊花賞や有馬記念の時以上に輝いていた。僕も同じようになれるのか。
(もしかして…)
一つの名前が浮かぶ。
シャットダウン。
今でも故障もないのにあまりにも速すぎる引退に対して賛否両論が飛び交ってるけど、少なくともシャットダウン本馬は後悔していない以上僕らにシャットダウンに文句を言う資格はない。笑って送り出すのが役目だ、出来なかったけど。
シャットダウンがもしここにいたら、アッパーグレードの前を走っていただろうか。あるいはドバイシーマクラシックじゃなくてドバイワールドカップに乗り込み、僕と戦っていたんだろうか。その答えは多分わからない。
でもわかる事はある。
シャットダウンが望んでいるのは、僕らの勝利である事。勝利でないとしても、全力で走って来いって事。
そしてそれは、お父さんだって同じはずだ。六歳の時にドバイワールドカップに挑戦したお父さんは五着だった。海外にあまり執着する馬ではなかったと思うしそれはそれで立派な話だとは思うしもちろん尊敬できる。けど僕がもしお父さんなら、いやいずれ種牡馬になって我が子がレースに出る事になれば勝って欲しいと思う。そのためにも、ここは全力を出さねばならない。
ゲートだ。日本のそれとそんなに変わらない。いつも通り、ゆっくりと入る。馬場はいつもより少し重たい。重たいって事はスタミナがいるって事か。
「出たなりで行くしかないか」
山本さんはそう言っていた。出たなり。多分前有利である以上、集中する。なるべく前でレースをする。
あ、開いた。
ほぼベストタイミングで出られた。
その僕に応えるように、いきなりお尻が痛くなった。
もちろん意味は分かってる。一気に前進し、逃げに走ると言う事。わかりましたとばかりに、気合を入れて前に出る。
そのはずだったのに、先頭に立てない。内側からさらに速いスタートダッシュを決めた馬がおり、いきなり二馬身ほど突き離された。それでも二番手だけは確保しとりあえず落ち着いてみるが、ペースが早いのか遅いのかいまいちわからない。いつもならばいつか抜けると言う自信があるけど、今回は違う。前も後ろも、我こそはと言う自信に満ち溢れている。そんなのはいつもと同じだけど、まるでこの競馬場全てが僕を狙っているようにさえ感じられる。もちろん錯覚だと頭では分かってるけど、どうにも急に落ち着かなくなって来る。
ああいけないいけない、落ち着いて前を見なければ。山本さんに全てを任せなければいけない。何をやってるんだ。
それとさっきからポジションも変わらない。二番手。絶好の立ち位置じゃないか。先頭に目をやりつつ、後方もうかがえる。このままでいて、山本さんの合図が来るまでじっと構えていればいい。そうだ、僕には山本さんが付いている!
…そのはずなのに、なかなか手綱が動かないし鞭の感触もない。
まだ距離はあるし脚も鈍ってないけど、その間にも距離がどんどん短くなって行く。このまま二番手で終わるのは嫌だけど、いつ仕掛けたらいいのか分からない。
あ、来た。やはり何の不安も要らない。いつも通りここから一挙に行く。
そのつもりだったのに、前の馬が大きくならない。さらにもう一段階加速されてしまったのか分からないけど、差が詰まらない。
「ええい!」
負けてたまるか。ここだとばかりに、歯を食いしばってやる。目の前の敵を捕らえ、一番にゴールインする。前は空いてるんだ、何の問題がある!
よし捕まえた、残り200!このまま突き放す…………!
そう思いさらにギアを上げ山本さんの鞭にも応えようとしたその途端、広い視界に映った物。
外からやって来た、真っ黒なそれと栗色のそれ。
この!とばかりに力を振り絞るが、こっちの全速力より二つの物体の速度の方が明らかに速い。
あっという間に僕は置き去りにされ、二つの物体は熱狂と共にほぼ同時にゴール板を駆け抜ける。
僕を0.2秒ほど、待ちながら。
※※※※※※
「KokoronoSonic、どれほどの物か聞いてたけど所詮ニッポンの王者に過ぎないんだな!」
ニッポンの王者。
結果的にハナ差勝利した黒い存在からはっきりと言われた言葉。
日本一と言えば体はいいけど所詮お前はローカルチャンプに過ぎないと言う見下しの籠ったフレーズ。
実際、自分なりにやる事はやったはずなのに勝てなかった。
と言うか、完敗だった。
「もうちょっと強引に押してもよかったかもしれませんね…力を余している様子はないので」
山本さんはそう言ってくれてるけど、それをやったとして勝てるかどうかわからない。せいぜい0.2秒差が0.1秒差に詰まったぐらいかもしれない。確かに四着以下には一馬身半差を付けたけど、それが今の僕の立ち位置だ。
「お疲れさん」
「アッパーグレード、おめでとう。すごかったね」
「ありがとな。で、正直な所どうよ」
「世界は広いなと思ったし自分はまだまだこれからだって思ったよ」
「心底からの本音なんだろうな、うん。でもお前、こんな恵まれた体験はもうそうそう出来ねえぞ」
「そうだね、またいつか海外に来て今度は勝ちたいよ」
アッパーグレードと違って、僕は負けた。
でも今の僕ではしょうがないと思った。だって、まだ弱いって分かったんだから。
僕はローカルチャンプから、ワールドチャンピオンにならなければならない。
シャットダウンが引退した今、それが出来るのは僕しかいない。
本当に、有意義な遠征だった。




