第6R ドバイシーマクラシック
「眠いか」
「あんまり…」
「眠くはあるのかよ、っつーか寝てろと言いたいけどもう手遅れだよ」
実際、無理矢理寝ていた。日本で言えば午後五時(こっちで言えば正午)から無理矢理三時間ほど寝て頭を強引にすっきりさせ、競馬場に目をやる。実際日本の競馬場でも第一レースが始まってからメインレースの第十一レースになるまで五時間ほどあるから別に驚かないけど実際にそんなに待った事はない。
しかしGⅠが終わったと思ったらまたGⅠか、本当忙しい事この上ない。
この日だけでGⅡが三レース、GⅠがドバイローカルのそれが一つと世界的なGⅠが五つ。
世界だと日本の様に毎週重賞があるのかと言う事もなく、GⅠレース同日開催ってのはせいぜいJBCの日ぐらい。中央競馬だと土日の内土曜日にも日曜日にもGⅠなんてのはごくまれで、GⅠの開催日は基本ダブらない。
今日の開催は最初GⅡだけど、アメリカのブリーダーズカップはそれこそGⅠレースが何と九連続で続きまくる。ちなみにその前の日には二歳GⅠが五連続であるから、二日間でGⅠが十四レースもあると言う訳だ。日本の中央競馬のGⅠレースなんてフェブラリーステークスから宝塚記念までの上半期トータルで数えても(障害GⅠの中山グランドジャンプ込みで)十二個、一年でも二十五個しかないのにだ。ちなみに地方競馬で「GⅠ」とされているのは東京大賞典だけで、後はJpnIと言う日本ローカルGⅠと言うか、あまりよく分からない格付けのそれが十二個ある。
つまり僕は世界的にはGⅠは三勝しかしていないのかもしれない。世界の広さを実感するには悪くない。ここで本当に勝てば世界のスーパースターになれるだろうけど、だとしてもお父さんにはまだ数的には届かない。
「ま、ここまで来ちまった以上無駄なあがきなどやめた方がいい。黙ってレースに向き合うしかねえ。お前は悪あがきを悪あがきだと思わねえだろうけどな」
「可能性があるならば、役に立つならばギリギリまでは戦う」
「そういうお前はそのギリギリの可能性をぶち壊しまくって来たからな」
悪あがき。奇麗な言葉じゃないけど嫌いな言葉でもない。誰だって可能性がほんのわずかでもある以上その可能性を求めないのは良くないと思う、でも僕はそのほんのわずかな可能性を踏み潰して来た側の存在になっていると言う訳か。
「もうちょっとだけ学ぶ側でいたいよ」
「だから浅野先生は海外遠征を勧めたんだよ、海外に出る限りお前はまだお客様だ。ただここで勝っちまったらその扱いも終わりだがな」
「えー」
「お前に怒鳴っても無意味だって分かってるけどさ、もうお互い古馬なんだぞ」
「うん…」
「ま、俺はもうそろそろレースの準備だから行くわ」
四歳ってのがどういう存在か、僕は分からない。古馬と言うそれ以上の年齢の馬とひとくくりにされるタイミングではあるがそのカテゴリで行けばまだ一年生であり本当の本当に「古馬」になれるのは夏、三歳馬と戦う事になってからだ。それまではまだ一年生の特権を生かしたいとか言うのは贅沢なんだろうか。
でも晩成型とか言われたお父さんだって四歳の夏にはオープン馬になり、三歳馬とほとんど戦う事なく重賞勝ち馬になった。五歳になってからは苦戦続きで四歳の馬にやられてたけど、古馬一年生と言うカードをどれだけ使い切れたのかは分からない。もちろんオープン馬になるために使ったと言えるかもしれないし、そこでいろいろ学んでGⅠ級レース八勝の大記録を成し遂げたとは思うけど、僕にとっては何の参考にもならないそれになってしまったと思うと少し悲しい。
ふと薄暗くなった空を見上げる。日本の天気予報は雨、雨、雨。高松宮記念がある中京競馬場も雨。ドバイでも雨は降るらしいけど、照明がこうこうと輝く空の上には雲なんか見えない。馬場は日本で言う所の良馬場。それがいいのか悪いのかは分からないけど見た所先行有利そうではある以上、いやいつも通り山本さんに全てを託すしかないか。
あ、いつの間にかファンファーレが鳴っている。
この日だけで五回目のGⅠファンファーレ。こっちの曲の事はよくわからないけど盛り上がりはずーっと続くらしい。日本ほど大きくはないけど拍手も歓声もある。うるさいからやめろとか言う意見もあるけど、そんなのはみんな同じだ。
アッパーグレードは2枠5番、ああ本当面倒くさい。戸柱さんの勝負服はいつもと同じだけどそれ以外の空間は違う。名前もよく知らないようなレースを勝って来た馬たちが「Upper Grade」を取り囲み、勝ち星を奪おうとしている。
この僕、「Kokorono Sonic」も同じ様に戦う事になる。じっと、じっと見ておかなければいけない。
ゲートが開いた。パシャーンとか言う音ってのは実は作った音であって僕らの耳には本来入らないはずだし実際今回も聞こえなかったはずだけど、なぜか僕の耳に入って来る。その耳に応えるようにアッパーグレードは好スタートを切る。そしてそのまま先頭に立ち、さらにリードを開いて行く。
大逃げとは言わないにせよ、あっという間に二番手に五馬身ぐらいの差を付ける。
僕より五十キロ以上軽いはずなのに、二年以上付き合って来たはずなのに、ついさっきまで隣にいたはずなのに、やけに大きい。
(これが、アッパーグレードの決意…!?)
日本ではあまり前に前にって馬じゃなかったけど、今日のアッパーグレードは違う。まだ終わってもいないのに誰にも負けなさそうに見える。シャットダウンさえも勝てないかもしれない。僕もああならなければいけない。でもどうやってなるんだろう。集中すればいいのか、むしろ逆に何も意識しなければいいのか。
だがそんなもたもた考えている間に、アッパーグレードはいつもの姿に戻っていた。
そう、そんな必要がなくなったからだ。
アッパーグレードが、先頭で駆け抜けた。
GⅠ馬になったのだ。




