第4R ドバイへと
「飛行機乗った事あるか?」
「ある…はず」
北海道の牧場から厩舎に来るに当たり飛行機に乗った事はある。でもその時の事は正直もう覚えていない。たった二年前の事なのに。
行先は、アラブ首長国連邦のドバイ。
世界最高峰のレースの一つであるドバイワールドカップを含む数多のGⅠ級レースが行われている。世界中の名馬が集い、そこで覇を競い合う。
そして面白い事に、一日の間にたくさんのGⅠレースをやる。
「忙しいね」
「お前は走るの好きだろ」
「同じぐらい走るのを見るのが好きだから」
「静かにしてろ、移動距離半端なく長いんだからな」
日本からドバイまで、直行便で十一時間。つまり半日。しかも時差があり、日本の正午はドバイの午前七時。つまり計算で言うと、日本を正午に出たとして到着時間は午後十一時であり、ドバイの午後六時である。
と言うかドバイワールドカップの発走時刻は、日本で言う所の午前一時四十分ぐらい。ドバイの時計で言えば午後八時四十分だけど、東京ダービーですら午後八時だったのに深夜二時ってのは本当に未知の領域だ。時差ボケってのはどうすればいいか本当に分からない。
「あのさ」
「知るかよそんなもん」
「だよね」
「だよな」
聞こうと思ったらまだ何も言ってないはずなのに返答がこれ。つっけんどんとか言うより何もかも分かってる感じだ。その事に感謝して自分なりに甘えた声を出すと、アッパーグレードも同じ調子で返して来た。
やっぱり、友馬ってのはありがたい。
「おめでたい頭ね」
「ボンバーエンド、とりあえず中山牝馬ステークス頑張れ」
「だからそれがおめでたい頭だって言ってるの」
そんな僕に向かって寝起きのような顔をして寄って来る、ボンバーエンド。
そう言えば彼女は中山牝馬ステークスから阪神牝馬ステークス、ヴィクトリアマイルに安田記念ってルートで行くらしい。中山牝馬ステークスの結果を見届けた上で僕らはドバイに行く事になる。
「僕がおめでたい頭である事によってボンバーエンドの気が晴れるならそれでもいいけど」
「知ってるわよ、でも言わないと気が済まないの」
「だから言っただろ、こいつに喧嘩を売るなら寝藁を殴ってた方が有意義だ」
「才能ってあるのね、才能って」
で、僕が僕なりに素直に対応するとボンバーエンドもアッパーグレードも深々とため息を吐く。そして他の馬たちもどこかあきらめたように笑う。一体なぜなんだろう。
やがて、移動日当日が来た。
「ボンバーエンド、あれはちょっと」
「しゃあねえだろ、あいつの実績を考えりゃあんな重量当たり前だ」
中山牝馬ステークスでトップハンデの五十六.五キロを背負わされて二着に終わったボンバーエンドに同情していると、次々と他の馬が集まって来る。
「揃ったか」
今年は僕ら浅野厩舎の二頭を含め五頭の馬が出ると言う。その中にはかつてお父さんがドバイに行った際に共に戦った馬の子どももいるらしい。
「彼らとは」
「一緒に行く。長旅になるから今はゆっくり休め、まあお前なら大丈夫だけどな」
「山本さんは」
「そっちのレースの前まで予定があるから後から来る」
「そうですか…」
そして山本さんは一緒に来ないと言う。これまでずっと一緒だった山本さんがいないってのはちょっと不安かもしれない。まあレースの時には一緒になれるから大丈夫だろうか。
「しゃんとしろ。お前が総大将なんだからな」
「はい」
「俺の戸柱さんもしかりだからな。っつーかお前がいつも通り堂々としてねえと俺らは不安でしゃあねえんだから」
「わかった」
「ああいいよそのままで
で、五歳の馬もいるのに僕が総大将らしい。実際僕しかGⅠ馬はいないから格と言う面ではしょうがないかもしれないけどそういうのってよくわからない。アッパーグレードからもそう言われた以上やるしかないと背筋を伸ばそうとしたら止められた。一体何がどうなんだか。
「ってかドバイの後はどうなるんですか」
「おそらく検疫とかでしばらくは無理だよ。宝塚までかかるかもな」
「大阪杯は無論天皇賞もダメって事」
「…普通はな」
そして海外遠征して帰ってとなるといろいろ面倒事も多い。環境の違いによる病原菌その他の問題によりしばらくレースに出る事は出来ず調教さえも軽くせざるを得ない。もちろんレースそのものの疲労もある。でも僕は、たくさんのレースに出たい。
「じゃ僕も次は帝王賞になるのかな」
「お前その前にひとつ使いたいのかよ、例えばかしわ記念とか」
「かしわ記念か、出来るならば出たいですね」
「帰って来てから考えるぞ」
でも川崎記念は無理だとなると、
次はかしわ記念になるかもしれない。
船橋でやるマイル戦のGⅠレース。ドバイワールドカップから一カ月半だし十分できるはず。
浅野先生は苦笑いしていたけど僕自身それぐらい元気だった。フェブラリーステークスから二週間も経ってないのにだ。
「お前さ、本当海外遠征の数をもっと増やした方がいいんじゃないか?」
「海外遠征って、それこそあとアメリカしか思いつかないけど」
「あとサウジアラビアとか、韓国…あああそこは駄目だな」
「駄目って」
「お前に十馬身負けた馬が楽勝でGⅠ級のレースを勝つってレベルだ。ダートを走った事のない俺でも行けると思ってる」
「そうなんだ…」
そしてアッパーグレードは僕にさらなる海外遠征を勧めて来た。まさか日本でやれることはもうやり尽くしたとでも言うのか。
そんな事はない。まだ勝ってないレースはたくさんあるし、これから三歳以下の馬たちが上がって来るのにそれと戦わずに逃げるのはアンフェアな気がするし。別にシャットダウンの事を非難する気もないけど、僕はなるべく多くの馬と戦いたい。正々堂々と戦って負けるのは別にいい。
お互いそのために行くんだから。




