ランザプログラム
「相変わらず苦労性なんですから」
「ランザプログラム」
「もうこうなっちゃったらただ元気に過ごしていればいいんです。お互い現役時代あれだけの実績を上げたんだから、この道が駄目でも何とかなりますって」
ランザプログラムだ。
引退後、僕より先にこの牧場にやって来て繫殖牝馬をしている。
そして、僕は彼女に頭が上がらない。
ランザプログラムも、もう十二歳になった。
彼女は五歳で引退、僕は八歳で引退。
だから二歳年下だけど、この牧場では先輩って事になってる。
現役時代からお兄さんを含め自分以下誰にも厳しかったみんなのお姉さんは、この牧場にやって来てもやってる事がいい意味で変わらない。年上の繫殖牝馬たちも現役時代の実績を楯に黙らせ、今では完全に牧場のボスになっている。
「子どもたちの事はどう思うの」
「あの子たちにはあの子たちの道があるから。少なくとも現役時代は血統なんてあまり意味ないですよ、血を気に出来るのはある種の特権です」
ランザプログラムの初仔はなんと障害で活躍している。
三歳夏まで全然勝てず障害に転向したら連勝、去年の春には中山グランドジャンプで2着に入り障害の重賞を取ったらしい。二番仔と三番仔もとりあえずは勝ち鞍を上げており、少なくとも不成功と言う事はないようだ。もちろん成功か不成功かなど最後まで分からないが、彼女にとってはどうでもいいんだろう。
「競馬、見てないの」
「見てますよ、他にする事ないんで」
「戻りたいなって思った事は」
「ありましたよ、最初の一年だけ。我が子が大きくなったら本当に未練なんてなくりましたけど」
「母は強し、か……」
種牡馬って奴はいい加減だ。
文字通り好き勝手に種を蒔き、後は放置で知らんぷり。
我が子同士が争っても悲しむどころかむしろ喜ぶ、GⅠとかならなおさら。二頭出し、三頭出しとか言われて種牡馬としての格が上がったと言う事になる。
繫殖牝馬は毎年一頭、十年続けても十頭。
実際には不受胎もあるからもっと数は少ないしそもそも十年続けられない馬も少なくない。ヒガシノゲンブなんか毎年百五十頭以上の子どもを産んでいる事を思うと全く天と地の差である。
ヒガシノゲンブほどじゃないけど、僕だってこの四年間で三百頭近い子どもを持った。その全てをわかろうだなんて傲慢を極めているけど、それでも僕はわかりたい。責任があるから。と言うか、他に何が出来る訳でもないから。
「他にする事がないだけでしょ」
とか言ったらそんな風に言われた。
実際、ほぼ一年の三分の二を寝て過ごしていると他にやる事が何にもない。文字通りただ草を食んで寝っ転がっておしっことボロをして、ごくまれに牧場の人以外の人がやって来て取材に応じたりファンサービスのつもりもないけど軽く鳴いてみたり。あまりにも平和だ、平和過ぎる。
「あの仔はこの環境に馴染めるのかな」
そんな中で考えてしまうのは我が子と、もう一頭。
「元から脚があまり強くなかったと聞きましたから」
「神戸新聞杯から菊花賞ってのは結構な冒険だったって」
「ぶっつけ本番で菊花賞に行かなかった事を浅野先生も迷っていたようですけどね」
「故障なんてないに越したことはないけどね。
シャットダウンは元気に過ごせるかな」
シャットダウン。
ワンダープログラムの忘れ形見で去年の皐月賞・日本ダービー・菊花賞の三冠馬。
しかもその三冠を含めて八戦八勝・勝率100%。
文字通りの史上最強馬のままの引退。
「弥生賞や神戸新聞杯を使わなければ古馬になってからも走れたのかな」
「わからないですよ。でも皐月賞はともかく菊花賞は勝てなかったと思います、あのアッパーグレードの走りは見たでしょう」
「ああ見た。あれはアッパーグレードからしても最大の誠意だったんだろう、自覚があるかないかはさておき」
シャットダウンが菊花賞の時点で運命を受け入れていなかったら、三冠馬にはなれなかったかもしれない。いや、三冠馬にはなれていても有馬記念で負けていたかもしれない。
いや、負けていた。
「シャットダウンはあるいは生まれた時から兄の血を継ぐべき存在である事に気付いていたのかもしれません。そしてそのために調教を受け、そのために走り、そのために勝った。兄がひとつも勝てなかったクラシック三冠を制し、兄どころかサラブレッドの最高傑作候補とまで呼ばれるに至る—————悲しいかもしれませんが、それ以上に美麗です」
僕らにはない境地だった。
僕自身ただ走りたいから走り、途中元からとんでもない差があったはずのあの二頭に置いて行かれる気がして走れなくなり、ようやく追い付こうとした時に手遅れだと気付いて、その後はもうただGⅠを勝つ事しか考えないまま走り続けいつの間にか「鉄の馬」とか言われるようになった。
僕には最初から確固たる方針など、なかった。




