勝ち組の生活
前作の主人公のお話です。
「今日は晴天か…」
お正月の牧場は、寒い。
マイナス10度を下回るのも珍しくない。牧場主さんも僕らを交えて楽しんでくれてるけど、息が白けりゃ足元も白い。茶色い柵の目立つ事目立つ事。
ついでに、茶色いお腹の目立つ事目立つ事。
(本当、あのコースが遠い過去になっちゃったな……)
今の僕は、もう当歳っ子よりもうまく走れないかもしれない。現役時代より五十キロほど増えて、歩くのもそれなりに大儀だった。他に上がった事と言えば、種付けの腕前だけ。
そんな生活を送るようになってもう五年、気が付けば六年半と言うめちゃくちゃ長いはずの現役期間に匹敵する時間が経っている。
僕・ココロノダイチは、今年で十四歳になった。
僕の労働期間は、一年の内長く見て四ヶ月半。
しかも労働時間は長く見て一日十分。
種付けの仕事って大変に見えるかもしれないけど、僕の場合は一回一、二分だから一日三回としても五分ぐらい。もちろんその前の準備期間を考えれば五分の前に何十何百時間と準備がある事になるから現役時代と変わらないと言えるけど、種付けだけの時間となると本当に十分もかからない。あ、二分前後のために何百時間とかけるってなるとやっぱり現役時代とあまり変わらないか。
(去年は七十七頭だけど、今年は増えるかな……)
そしてその種付けでお金をもらうのが僕の仕事だ。去年の僕は七十七回種付けして一億二千万円ほど稼いだ。二十億とも言われるヒガシノゲンブと比べると安いけどそれでもこの生活に不満など欠片もない。
普段から大事にしてくれるし、夏も秋も文字通りの悠々自適の生活なんだから。
…と言いたいけど、そうも言ってられない。
おととし、僕の初めての子どもたちが二歳になった。二歳と言うのは競走馬のデビューの時であり、中央・地方問わず僕らの仔が羽ばたいて行く年齢である。その仔たちの成績が悪ければ、種付け数は減ってしまう。だから僕らは、この後も戦い続けなければならない。幸い、ココロノソニックがあんなものすごい活躍をしているおかげで僕は当分安泰だろうけど、所詮当分でしかない。
って言うか、どう頑張ればいいんだか。本当の本当に食っちゃ寝して体を丈夫に保ち、ついでに神様にも適当に祈る。それぐらいの事しかできない。現役時代と比べると本当情けないにもほどのあるお話かもしれない。
しかしそれは、繁殖牝馬もあまり変わらない。確かに仔馬を抱え込んでいると言う問題はあるけど基本的にはその母胎を守るために激しいトレーニングやレースとは無関係な生活を送る事になる。
それに牝馬はよほど成績が悪くなければ、繫殖牝馬として仔馬を産む役目を与えられる。僕が去年種付けした七十七頭のうち十頭ほどは、競馬場に出た事すらなかった。それでも活躍する馬は出るから競馬ってのは不思議な物だし、逆に優秀な牝馬と優秀な種牡馬が合わさったからと言って一流の馬が出るとは限らない。だからこそ競馬は楽しいのだと言う人もいる。
だけど不思議な事にと言うか、競走成績が三流でも血統は一流と言う馬が繫殖馬(牝馬とは限らない)になって成功する話は多い。ヒガシノゲンブの弟がちょっと前に種牡馬になり産駒が去年中央競馬の重賞を三勝したけど、彼は中央競馬では一勝しかできなかった。なのに種付け料がふたケタ違うとは言え、ほぼ同じ種付け数を集めそこまで出来たのだ。
その点僕はそんなに優秀な身内もおらず、文字通り僕だけの力でやるしかなかった。これが理不尽なのか否かは分からない。
「晩成のダート馬。血統的には一頭の大物よりもコツコツ数で稼ぐタイプ。ただ全般的に強調する血統があまりないので繫殖牝馬次第で化けるかもしれない。ただ化けるのを生産者が待ってくれるか」
「大物は望みにくいが全くダメと言う馬もいないだろう。タフで素直の所が遺伝すれば扱いやすいのも長所。GⅠを勝つとすればやはり自身同様古馬になってからか」
これが僕に対する評価。正直な所、自分でもまあこんなもんだろうと思ってた。ただでさえ九歳からのスタートと言うとんでもない出遅れをかましていた僕にとって速攻で活躍馬を出すのは難しいと言うのはかなり不利な条件であり、正直成功すると自分でさえ思っていなかったのが正直な所だった。
種牡馬になれた数百分の一の存在の、そのまた数十分の一になんかなれないと思っていた。
そう、本気で思っていた。




