第2R ノーザンスザクさん
「あの馬の事を聞きたいの?」
「ノーザン…スザクさん!?」
ノーザンスザクさん。
四年連続GⅠ制覇と言う、名馬中の名馬。
六歳になった今年はまだGⅠを勝ってないけど、ヴィクトリアマイル二着、安田記念三着、宝塚記念も三着。こうしてGⅠレースで馬券に絡み続けられるって事自体が物凄い話だ。当然厩舎の中では実績はダントツであり、と言うかこの国の中でも最高クラスの名馬だった。
「お父さんの事を知ってるんですか?」
「知ってるわ。あのいけ好かなかった馬の事」
「そうですか…」
「だからいけ好かなかった、なの、過去形なの。今となってはめちゃくちゃ感謝してるけどね。父の親友だったって言うのもわかる気がするわ」
ノーザンスザクさんはたてがみをたなびかせながら軽く笑う。
ノーザンスザクさんの父親と言えば、ヒガシノゲンブ。
僕が仔馬の頃からその名を知られていた、名馬中の名馬。
日本ダービー、菊花賞、春の天皇賞、宝塚記念、そして何より凱旋門賞。わずか十戦だけどその凄まじい走りっぷりはもはや伝説になっている。
「何があったんです」
「私があなたの年だった頃、レースで惨敗して無駄にへこみまくってた所にね、あの馬は思いっきり私を煽ったの」
「それは…」
「あのね、私はこの時オープン特別を勝ったばっかり。あの馬はGⅠを6個も勝ってた。
あの馬は貫禄が違ったの」
「貫禄…」
一方で、僕の父親であるココロノダイチの事はあまり伝わっていない。二歳から八歳一杯まで現役を続けGⅠを7回も勝ったやはりとんでもない名馬だと言う事は間違いないけど、そこまで凄い馬だって印象はない。
何せ、種牡馬ってのはそれこそ求められれば誰にでも種付けをするのがお仕事だ。父親の顔を知らない事はまるで珍しくないし、知ろうとも思わない。兄弟とか言っても百頭もいるのに、一体どうやって話を聞けって言うんだか。
「鉄の馬って呼び名を知ってる」
「知りません」
「ココロノダイチさんの事。どんな時も文句ひとつ言わずに走り、五歳末の東京大賞典から八歳のチャンピオンズカップまで、それこそ普通の馬ならばとっくにピークから落ちて引退していてもおかしくない時期なのに」
四歳以上の競走馬の事を古馬と言う。
それこそ良くも悪くも一からげな世界であり、そこには後ろからどんどんと突き上げが来る。優秀な三歳馬が四歳になり、勝てない年上の馬を負かしてのし上がって行く。
その結果、もう無理だと判断された馬は次々と見切られて行く。
容赦ない話だけどそれが現実だ、しかしそれは同時に後続からの突き上げに耐えられる存在ならば生き残れると言う意味でもある。
そう考えれば八歳一杯まで一線を譲らずGⅠまで勝ったお父さんはやっぱり凄いって事なんだろう。
しかも五十一回も走って十五回も勝ったと言うからヒガシノゲンブさんよりも上なのかもしれない。
「あまりわかってないみたいだけど」
「はい…」
「あの馬は私にとって父親みたいだった。実際父親って年齢差だから、いや実は私の一番上の姉はココロノダイチさんより年上だし」
「お姉さんは」
「一勝しかできなかった、でもさらに一つ上の兄さんは一勝も出来なかった」
四歳の秋に引退したヒガシノゲンブさんは五歳で種付けを行い六歳で父親になり、八歳の時に産駒がデビューした。何も不自然じゃないけど、競走馬では六歳差の兄弟なんて珍しくも何ともない。叔父さんより甥っ子のが年上なんて事もしょっちゅうある。
とにかくいずれにせよ、そんな風に接する事の出来る存在は貴重らしい。
「まだきかん坊の甘ったれだった私に活を入れてくれた。阪神ジュベナイルフィリーズを勝った時には父さんの再来とか言われたしそのまま桜花賞を取った時には三冠確実とか言われてね…まあオークスは五着だったけど」
「その上でもう三回もGⅠを…」
「そう。宝塚記念まで勝てるとは思わなかったわ、とにかく次で終わりだって」
そしてその流れのまま、とんでもない言葉を吐き出した。
ノーザンスザクさんが、終わる。
「引退、ですか」
「そう、さすがにもう引退だって。前走は七着ってのはともかく一秒差が付けられちゃったし。どっちみち次で終わりって決まってたから」
「いつかこんな日が来るんだろうなあ…」
誰だって、ここからいなくなる日が来る。
お父さんだって、ヒガシノゲンブさんだって、ワンダープログラムさんだってここにいた。でも今はいない。
僕もいつかここからいなくなる。
「お前な」
そんな当然のはずの言葉に、何を言っているんだとばかりにツッコミを入れて来た馬がいる。
その馬、アッパーグレードはやけに不愉快そうに鼻を鳴らす。
「どうしたんだい」
「お前、意外と人の話聞かないタイプか?」
「そうかな」
「お前はどうせダート路線で行くんだろ。それならそれでいいか」
アッパーグレードは言いたい事を言ったきり、栗色の馬体を見せながらどこかへ向かった。
そう言えばアッパーグレードも浅野先生が期待していた馬のひとりでクラシック路線を目指すらしいけど、シャットダウンと同じくまだデビューしていない。いつ走るんだとか聞く前にいなくなったけど、大丈夫なんだろうか。
「それより今はあなた自身の事でしょ。とりあえず目の前のレースを勝たないと」
「ありがとうございます」
「多分だけど私の前になるからちゃんと頑張りなさいね」
「はい!」
ノーザンスザクさんの突然の引退宣言。
その事は厩舎の仲間たちの間でも結構話題になったけど、僕にとっては次のレースのが大事だった。
そのためには調教もするし、ちゃんとご飯も食べる。それが一番大事な事のはずだ。
そして当日輸送で京都に向かう事になる前の週がやって来て、僕は併せ馬をする事になった。
相手はアッパーグレード。
「キミもまさか京都で」
「ああそうだよ。不本意極まるけどな」
「まだ仕上がってないの?」
「まあな」
いつも通りの坂路で、僕が先に走っての併せ馬。
アッパーグレードの追い上げはどうも鈍い。
僕がリードを保ったまま走り切る。
後ろに目線をやると、アッパーグレードと目が合わない。何と言うか、ひとの事は言えないけど本当にやる気があるんだろうか。
「アッパーグレード…」
「やっぱり出るってさ、とにかく今は経験が必要だって」
「お互い頑張ろうね」
そんな状態でも、レースには出なければならない。
競走馬は簡単じゃないって言うのは、こういう事なんだろう。
秋になり、風は冷たくなって来る。
でも同時にGⅠが続いている今はある意味一番熱い時期でもある。
いつかこの時期に輝ける存在になる事が僕らの夢。そう、そのために頑張る。
当然の事のはずだ。




