第19R 何が必要なんだろうか
とりあえず、勝つ事は気持ちがいい。
「とんぼ返りもいいとこだな」
「一か月もあるし」
「随分とまあいい笑顔しちまって、まああんだけ派手に勝てばそうもなるよな」
「アッパーグレードも頑張りなよ」
「簡単に言うなよ」
「ああごめん!」
アッパーグレードは笑顔は笑顔でも苦笑いを浮かべながら近寄って来る。アッパーグレードだって菊花賞を勝てば僕と同じぐらいいい笑顔になれるだろう、と思って激励したつもりがすぐ失言だと気が付いた。
「やっぱりシャットダウン…」
「知ってるだろ、あいつの隙のない勝ち方。スッとゲートを出て、道中は落ち着いて構え、コーナー手前からゆっくりと上がり、そして直線になるや抜け出して後は流すだけ」
一馬身差なのにとは言えない。確かに僕も神戸新聞杯の映像を見たけど、何から何までアッパーグレードの言う通りの、本当の本当に完璧なレースだ。
「でもアッパーグレードだって」
「あれは前がバカみたいに早仕掛けしまくったからだ。でなきゃあんな差なんか付く訳がねえ。少なくとも菊花賞の参考にはならねえよ、ってまさかシャットダウンがんな事も分からねえバカだと思ってんのか」
まさかその前のセントライト記念のアッパーグレードの五馬身差の圧勝を見てシャットダウンなりに奮起したのかと思ったけど、確かにシャットダウンがそういうタイプには思えない。
実際アッパーグレードがセントライト記念を圧勝したのにシャットダウンは菊では負けないぞと言ったきりだったし、論より証拠とばかりに神戸新聞杯をあんな形で勝利してみせた。二冠馬とか以前にそれだけでアッパーグレードをシャットダウンは圧倒しているし、牝馬の人気も桁違いだ。
でも牝馬の人気は、だ。
「アッパーグレードってモテると思うけど」
「モテるモテないは関係ねえだろ、種牡馬にでもならねえ限り、いやなった場合ある意味もっと関係なくなるぞ」
僕ら牡馬からは気のいい同僚や弟分、二歳馬たちからは気さくなお兄ちゃんとしてアッパーグレードは人気が高い。そして牝馬でも、古馬の人たちからはシャットダウンとアッパーグレードの人気は五分五分かアッパーグレードの方が上だ。
確かにシャットダウンはカッコイイとは思う。でももし二冠馬とか言うステータスがなければアッパーグレードより人気があったかどうかと言われるとわからない。
(理想と言うか架空の存在と、現実と言うか等身大の存在と、か…)
シャットダウンは確かにものすごい。
間近に接した皐月賞でも、モニタ越しに見ていただけだった日本ダービーでも神戸新聞杯でも、僕らに力の差をいかんなく見せ付けた。三冠と言う競走馬にとって最高の勲章を手にするのも簡単かもしれない。でも…
「ジャパンダートクラシックはすごい勝ちぶりだったな」
「シャットダウン!」
「そうだろ、ボンバーエンド」
「ああ、まあね…」
「そうでもないようだけど」
「ごめん、私今度の日曜が秋華賞なんでレース見てなくて」
そんなとこにシャットダウンが牝馬を連れてやって来た。と言うか、ボンバーエンドだ。シャットダウンが息をする様に賛辞を投げかけて来る中、ボンバーエンドは僕がさっき言った同年代以下の牝馬らしくシャットダウンに熱い目線を送りながら次なる目標に向けて心を燃え上がらせている。そうだ、秋華賞は菊花賞より一週間前であり、ジャパンダートクラシックの十日ほど「後」だ。確かに秋華賞に集中するとあれば見ている暇なんかないだろう。
ましてや、アッパーグレードやシャットダウンのように行かなかったと来たら、と言うかあんな結果になったら——————————。
「…………」
「何とか言いなさいよココロノソニック」
「本当に言っていいの」
「構いやしないわよ、って言うか何を遠慮してる訳」
「いや、あれは何て言うか…」
だってそうじゃないか。
あのローズステークスは正直何て言うか、もう何と言ったらいいか分からない。
最終コーナーで三番手に立ち一気に抜け出そうとしてボンバーエンドだったがコーナーを曲がる際御先頭の馬がいきなり落馬、ボンバーエンドは大きくよろけ急ブレーキをかける羽目になり、そしてあわてて再加速して先頭に立った…と思いきや大外から十一番人気の馬が一気に追い込みをかけてクビ差差し切られた。
まともならばそれこそ楽勝だったのにひどい話だ。
何が悪いって運以外何にも悪くないし、どう慰めたらいいか分からない。
「あんたって本当、何て言うか!」
だから黙ったのに、黙ったら黙ったで何だこれは。目を三角にして迫って来る彼女と来たら、恐怖感があると言うより意味不明だ。
「やめとけボンバーエンド、こいつには何言っても無駄だ」
「アッパーグレード」
「お前ってさ、ボンバーエンドから言わせればよく言えば真っ正直で悪く言えば無遠慮だと思われてんだよ。ここではずけずけと物を言ってもらいたかったんだろ」
「そんなひどい話を!」
それでアッパーグレードと来たら何だ、まるで僕が図々しいみたいじゃないか。図太いとか図々しいとか、どうして僕がそんな風に見えるのか。まあ走ってる最中は図々しいのかもしれないけど、普段からそんなに口が悪いつもりもない。あんな不幸を前にして一体どう反応しろって言うんだよ。教えてくれ。
「三頭ともよせ。まだまだ次があるんだぞ」
「でもちょっと気分が落ち着かなくて!」
「愚痴なら俺が聞く」
で、こうなるとシャットダウンの鶴の一声だ。ボンバーエンドを引き取るように戻って行く姿と来たら、まさしく英雄のそれだ。
うらやましいと思う気にすらなれないほどの差がある。
「お前さ…」
「何」
「お前って、どっか別の世界から来たのか?」
「へ?」
「言ってみただけだよ、最近人間の間で流行ってるそれを聞いたもんでさ」
そしてアッパーグレードは全く意味の分からない事を言いながら自分の馬房へと戻って行く。
結局、ボンバーエンドもアッパーグレードも何が言いたいのかちっともわからない。確かに自分でもそれなりに図々しい走り方をしてるなとは思う。でも厩舎にいる時とか移動中とか、そんなに暴れたりわがままを言ったりしてはいないはずだ。馬運車での移動は退屈で面倒だけどおとなしくする事だけは覚えたしその方がレースにもいい。ちゃんと調教も受けているしレースも走るし浅野先生や山本さんたちの言う事も聞いている。
その上に一体何が必要なんだろうか。




