第15R 「あの馬は誰?」
「あーあ、やっぱりな」
—————あーあ、やっぱりな—————。
それが褒め言葉になる日が来るとは思わなかった。
外枠からじっと中団に構え、向こう正面の所の坂からゆっくりと動き、最終コーナーから仕掛ける。
そんな型通りと言うか山本さんの指示通りのそれで直線先頭に立ち、後は突き放すだけ。
あまりにも簡単に、僕の重賞初制覇は決まった。
『ココロノソニック重賞初制覇!やっぱりここでは格が違ったか!』
しかしこれは持ち上げすぎだとしか思えない。
確かに勝ったけどゴール間際に少し止まっちゃったからタイム差は0.3秒。ハナ差でも何でも格の違いってのは示そうと思えば示せるけど、本来はもっともっと差を付けないと無理なんじゃないだろうか。まあ何秒差でも勝ちは勝ちなんだから別にいいけど。
「…案外元気そうだな」
「そう言えばココロノダイチも七月にデビューしてダービーの日まで十戦してましたよね」
「ほぼ月イチで行けてたんだよ、この丈夫さは父親の遺伝かね、地方でももう二ケタ走ってる馬はいるし。でもそれだけに次が迷うんだよな」
七月からダービーまでは十カ月しかない。十カ月で十戦って事は、浅野先生が言ってた通り毎月一回は走ってたって事。すごいタフさであり、僕にもし遺伝しているって言うんならばこんなに嬉しい事もない。
「重賞初制覇おめでとうな」
「アッパーグレード!」
「お前この後どうすんだよ、って聞いてねえのか」
「うん、まだ聞いていない。アッパーグレードはダービーだよね」
「当たり前だ。次こそシャットダウンに勝つ」
「悪いが二冠馬、いや三冠馬を目指すのは俺だ」
アッパーグレードとシャットダウンは言うまでもなく、日本ダービーに行く。競馬界の頂点とされるレース。僕は生まれた時からあまり関心はなかったけど、それでも牝馬でさえも憧れる舞台だと言う事は知っている。そんな所を走るためにみんな苦労をしているんだろう。僕のようにたくさん…
「あれ?」
とか考えてたら、思わず間抜けな声が出てしまった。
シャットダウンは去年十二月のデビューで四戦、アッパーグレードは去年十一月のデビューで五戦。ダービーが五戦目及び六戦目……ん?僕は十一月から今まで五戦……。
なんだ、アッパーグレードと変わらないじゃないか。
「お前今、何を考えてた」
「いや、まだ次もいけるなって」
「次ってどこだよ、まさかダービーって言わないよな」
「わかんないよ。でも都合半年で六回も走るだなんて凄いなって」
「ああやっぱりそっちか。悪いな、今のは冗談だよ冗談」
「ありがとう!」
冗談と言うテンションだったかどうかはいまいちわからないけど、少なくとも僕の思いが通じた事だけは間違いない。
だから感謝の意を思いっきり示したけど、アッパーグレードは無反応。
「丈夫さって言う才能、か…俺にも欲しいな…」
シャットダウンもそう言ったきり顔を背けた。まあ二人とも、ダービーと言う大一番があるから無駄に疲れたくないんだろう。
しかし僕も去年、二歳馬だった時から感じてるけどこの時期は本当にうるさい。
ダービーと言うのはそれほどまでにサラブレッドにとって重たい言葉であり、それに関わる人間に取ってもめちゃくちゃ重たい。その事は知ってるけど、でも今年は去年よりずっとうるさい。ああそう言えば、去年はあまり三歳馬(現四歳馬)が活躍できず皐月賞にもダービーにも、NHKマイルカップにも出られる馬がいなかったらしい。菊花賞にはかろうじて一頭出たけど、桜花賞もオークスも秋華賞もいなかった。
でも今年はシャットダウンにアッパーグレード、オークスにはボンバーエンド。しかもみんな有力候補。
(もしかしたらお父さんも…)
そう、お父さんの時代以来かもしれない。ヒガシノゲンブにワンダープログラム、ユアアクトレス…でも僕のお父さんはその時はまだ未勝利馬で加わる事は出来なかった、憧れるだけの存在だった。それから一年かけてオープン馬になり、三ヶ月かけて重賞を勝ち、そして一年でGⅠ馬になった。確かにそれは素敵だと思う。でもやはり、肩を並べ…なくともいいから近い時期に栄光を味わいたい。お父さんがGⅠを勝った時にはもうヒガシノゲンブもユアアクトレスも引退し、ワンダープログラムの引退も決まっていた。同じ時に輝けるとは限らないけど、やっぱり寂しい。まああの三頭全部の引退はどうせ五歳一杯ぐらいまではないだろうからまだまだ時間はあると言えばあるけど、ね…。
あ、先生だ。
「大丈夫そうだな、この後が決まったぞ、東京ダービーだ」
「東京ダービー」。
大井競馬場と言う所でやる、3歳限定ダートGⅠレース。
ダービーの『十日後』にやるレース。
平日の、夜のレースらしい。
「まあこの後は勝っても負けてもしばらく放牧休養だ。少し使い過ぎてしまって申し訳ない、もうちょっとだけ頑張ってくれ」
使い過ぎてしまった、かあ。僕自身そこまで疲れているとか言う気持ちもない。あるとすれば大井競馬場ってとこで、夜にやるレースってのがどうなるかって事。それからソエって言う怪我でもないのに休まなきゃいけないってのがどういう事なのかもわからない。寝て食べてぼーっとするのが役目なのか、その間にアッパーグレードやシャットダウンはどこまで活躍するのか。
いろんな事を考えていると眠くなり、口から欠伸が出て来る。考えるのには慣れているはずなのに。
とにかくお腹もすいたしちゃんと食べて、ちゃんと飲んで、そして寝る。
オークスでもダービーでも、ボンバーエンドにシャットダウンやアッパーグレードが活躍できたらいいなって思いながら……。
目が覚めた。
でもまだ夜だ。早く寝すぎたのか、それとも早く目が覚めてしまったのか。
今は五月だからそんなに夜は長くないけど、それにしても明るくない。厩舎なんて夜中でも人間が作った照明があるけど、その照明さえも少ない。
それなのに、夜空の星も見えない。
一体何なんだろうと思っていると、普通の鹿毛なのにやけに存在感の強い馬がいる。
闇に負けないその存在は、ゆっくりと僕の馬房に近付いて来る。
やっぱり目立つその口を開け、言葉をぶつけて来た。
「威張りくさるのって、そんなに楽しいのかい?」
「うん」
そして僕は、素直にそう答えた。
このフレーズだけは外せないのです。




