第25R 時代は動くのか動かないのか
「引退式は」
「来年の一月最初の中山競馬場でって事になりました」
「アッパーグレードは」
「そっちは残念ながら体調の問題もあって多分…大阪杯を勝った阪神となると二月半ばですからやるとしたら中山ですけど現在の所予定はありません」
引退式。そんな事をやらなければいけないのかと思うと少し面倒だった。
レースは終わった。何もかも終わった。
これから僕は、種牡馬としての生活が待っている。
「真っ白な灰……」
「ココロノサケビ」
「これが走る事だけに全ての心血を注いで来た馬の末路ですか」
「もう十分走った。僕はもうやるだけの事をすべてやった。ココロノサケビもこうなるようにしないといけないぞ」
「言葉の力だけはまだ生きてるんですね。視野は塞がってるのに」
ココロノサケビは相変わらずだ。でもその相変わらずさが何とも愛おしく、背中を目一杯押してやりたくなる。
「視野って」
「うちの厩舎じゃないから知らなかったとか言いませんよね、妹の事を」
「妹?」
「……妹のココロノカガヤキです。あなたって馬は本当にもう……なんて言うか、本当に、本当に……!」
そのココロノサケビに言われて気付いた、ココロノカガヤキと言う存在。
有馬記念の五時間ほど前に行われていたダートの新馬戦を制したその馬は、紛れもなく僕の全妹。
単勝オッズ2.9倍の一番人気、短評に『兄に続け』『このメンバーならば勝ち負け可能』とも書かれていた存在。
「顔も何も、覚えていない……」
「来年以降対峙した際にぼくは何て言えばいいんです?お前の偉大なお兄さんは有馬記念に夢中でお前の存在は目に全く入ってなかったって真っ正直に言えって言うんですか」
「僕のせいにして構わないから」
「ええかっこしいは不治の病ですか」
「かもね」
「威張らないで下さい。とにかくこっちは適当な事言っときますから」
「頼むよ」
それすら目に入らなかったのが僕の競走生活であり、自分でそうしていたとは言えつまらない事になったもんだ。
(ふー……)
引退式まで、あと一週間少々。四年半いたこことも、もうすぐお別れ。
引き取り先はお父さんとは違う牧場。その後の種牡馬としての種付けのプランどころか、牝馬の相手までもうある程度決まっている。
寂しいとは思えない。
現役時代にローテーションを決められているのとさほど変わらないから。
これから第二の戦いが始まるのかと思うと気が重い、とか言う事もあまりない。
ただもどかしい思いは増えると思う、自力では何もしようがないから。
「でも、アッパーグレードもこれなら…」
とりあえず確かな事として、アッパーグレードも無事種牡馬入りできる。ヒガシノゲンブの後継種牡馬として、新たなるステージへと進める。僕らの、新しい戦いがまた始められる。
そしてシャットダウンの子どもは、来年二歳だ。僕らに先んじて競馬場に帰って来る。二〇〇頭近いとも言われるシャットダウンの子どもがこの競馬場で羽ばたき、世界へとその血を広げるかもしれない。何と言う壮大な夢だ。
でもその夢を味わう権利は、僕にもアッパーグレードにもあるはずだ。
僕らは二頭とも国際GⅠ馬、世界でその名を知られたはずの存在。Kokoro no sonicとUpper gradeの仔が、世界のどこかで輝くのを想像するのは結構楽しい。
とか言う事を考える度に、僕はどんどんと「競走馬」でなくなって行くのを感じる。これが新たなステージに進むって事なんだろうか。
毎年の年末、何を考えてただろうか。
三年前と去年は東京大賞典に向けて目一杯に仕上げようとしてたし、終わった後はその余韻に浸りながら過ごしていた。
一昨年はそこを走れない苛立ちを抑えながら牧場で雪に埋もれていた。
四年前は…ああソエをやってしまってたんだ。その際に暇になって調べていて全日本二歳優駿と言うレースを見つけてガッカリしていた記憶がある。
十四個のGⅠの上に、僕はいくつを重ねられたか。何となく数えてみる。
まずその全日本二歳優駿に羽田盃、ドバイワールドカップ二回にあの四歳の時の忌まわしきかしわ記念、四歳秋以降怪我で出られなくなったJBC、チャンピオンズカップ、東京大賞典、フェブラリーステークス、川崎記念と言った所に五歳のあの三連敗……合計十三個か。
十四個も勝ったはずなのに、都合半分しか取れていないのか。
いや、半分も取った、のだ。
普通の馬に二十七回もGⅠを走る権利なんかないはずなのに、僕はそれがあった。実際に走ったのは二十二回だが、それだって非常識な記録だって事はわかっている。
とんでもない記録を打ち立てておいてなおとか言うのは欲の皮の突っ張った話だが、誰だってもっともっとと思う。思わなければおかしい。そのはずだ。
「みんな、新しい方向へと、新しい時代へと向かっている。残念ながら輝かしい方向にとは限らないけど」
年を明ければみんな年を取る。
将来に希望を見出す馬もいれば、まだ勝てないまま三歳になってしまう馬もいる。
成績が上がらず年が変わった節目にこのへんでと切られる馬もいる。
僕が四年半ここにいた間にも失意と共に去って行く馬は少なからずいた。期待されてここに来たと言うのに、どうしてこんな事になったんだと思いながらここを去る。満足して去って行く馬なんて何十頭に一頭だ、僕でさえもそれに入らないかもしれないってのに。
「新しい戦いの舞台……」
「アスカキングス……あ、おめでとう」
そこにやって来た、二歳馬。
アスカキングス。
「ありがとうございます。でもあれは正直展開がうまく行きすぎたんです」
「そうかな、えっと、ほら、前が飛ばし過ぎてたとしてもそれを差せたのは素晴らしいなって」
「見てるんですね、ちゃんと」
「そりゃそうだろ、うん……!」
「大丈夫ですよ。もうその必要もなくなりますから」




