第21R 僕は何も変わらない
『そして。七枠十三番ココロノソニック。
ブリーダーズカップクラシックを制したGⅠ十四勝馬が皐月賞以来となる芝レースに参戦です。単勝2.9倍、一番人気。最後のレースは一体どうなるか』
パドック。
アナウンサーの人の声が良く聞こえる。地方競馬に比べ音声もよく通り、僕らの耳にも入る。迷惑?そんなのはみんな同じだ。その程度でひるむのならばこんな所に立つ資格はない。
……と言うのが驕り高ぶった存在の考えである事は分かるが、それだって競走馬の素質の一端じゃないだろうか。それぐらいの図太さがなければこんな舞台には上れないし、上ったとしても勝てない。実際、パドックの前にいろいろ見たけど歓声に脅えるような馬は一頭もいない。静かにしろ?黙って見てろ?こっちはそうでない事を歓迎するぐらいには擦れてしまっている優等生様なんかじゃない、つもりだ。
で、アッパーグレードは、四枠八番。
なんか遠い。四つしか離れていないはずなのに、遠い。
その間にいるのが当年や前年のダービー馬やら宝塚記念馬やらと言う上位人気馬と言う事もあるが、なぜかやけに遠い。
つい二時間ほど前まで、言葉を交わし合っていたはずなのに。
そう言えばと思わない訳でもない。あの皐月賞の時も、僕はシャットダウンともアッパーグレードともほとんど言葉を交わしていない。
ただその時、僕は皐月賞と言うクラシックレースをお遊びの舞台にしていた事を思い出した。全力疾走しなくてもいいや、せっかくのプレゼントだし好きなように走って好きなようにゴールすればいいやって思いながら走った。
その結果、五着。2000万円を稼ぎ、日本ダービーの優先出走権を取った。それこそ夢の舞台への切符だった。けど僕は全く関心を持たず、ユニコーンステークスから東京ダービーへと回り今の今までやって来た。
(アッパーグレードに言われた通り、ここは僕にとって真剣勝負の場じゃないのかもしれない)
別に日本における主流である芝を見下しているつもりもない。ただなんとなく、ここは僕の居場所ではないと生まれた時から思い、実際にダートと言う「僕の居場所」で凄まじい程の戦果を挙げる事が出来た。それは事実であり、そうしなかったら僕はあんな成績を上げてこんな所にいられなかった。全ては結果論であり、何が最善かなどその時の僕らにはわからない。
だけど、今僕が最善でないとしても何をした方がいいのかぐらいはわかる。
「今回は、本気で走る」
今回は最初から最後まで、本気でやらなければいけない。
集大成は前走の段階で終わってしまったかもしれないけど、それでもやるだけの事はやる。
それが、一番人気の、GⅠ十四勝馬の責任だ。
本馬場入場。
ファンファーレ。
ゲート入り。
全ていつもの事だ。
最後だと言う郷愁がない訳ではない。
でもそれで勝てるわけでもない。
ただただ、普通に入るだけ。
十三番。それなりに待たされるけどどうって事もない。
幸い、他の馬もすんなりと入ってくれた。
(逃げ馬はいるけど遠い…)
前に行くのは僕か、白帽子の馬か。
いずれにせよ、やる事は何も変わらない。
パシャン。
ゲートが開いた。
山本さんの鞭が早速飛ぶ。
最初から全速力で駆け出す。
ただ今回は芝。もっと早く飛び出して来る馬がいるはず。
中山芝1800mの中山記念の勝ちタイムと中山ダート1800mのマーチステークスの勝ちタイムは5秒ほど違う。1ハロン換算で行けば0.5秒ほど、二馬身半ぐらいの差。それぐらいのスピードを相手は持っている。先頭に立てるかどうかわからない。
でも行くしかない。
『早速!早速ココロノソニックが飛び出した!』
幸い、先頭に立つ事は出来た。だがやはり、圧倒的なリードは取れない。せいぜい一馬身ぐらい。
(相手の遅さに期待するしかないか…)
同じ逃げ馬と言うのが、前走3600mのステイヤーズステークスを勝って来た馬。筋金入りの長距離馬でありスピード面では劣るだろうと言う下衆な期待もあった。もちろんその前に有馬記念と同じ2500m(東京のだけど)の目黒記念を勝った事は先刻承知だけど、内に視線をやった所そんなに付いて来ていない。
2500mって事もあり最初のコーナーはすぐにやって来る。この時点で既にトップに立てていた僕に、歓声が入り込む。
そう、一周だけで終わるレースではない。大井競馬場も外回り1600mだから一周では終わらないが、有馬記念のコースは一周1667.1m。スタートから最初のゴール版まで800m少々。長いと見るか短いと見るか。
いや、長い。
何より、坂だ。
直線は310mと決して長くはないけど坂がかなりきつく、スタミナを削がれる。まあどうせ同じだしで済ませるのが僕だったし実際これまでそうして来たけど、どうしても後ろが気になる。
いや、何をやっている。お前はココロノソニックだ。
Kokoronosonicではないか。
歓声だ。
一度目のゴール版を通過したと同時に、飛んで来る声。
そうだ、僕はこの声を受けて戦って来た。
実際には僕だけに向いたそれじゃないだろうけど、ここに来た全ての人の為にいいレースをする事。
三年前の皐月賞の時にはお客様気分であり、今回も正直な事を言えばその気持ちが抜けていないままここまで来てしまっていた事は否定しない。でも、どんな舞台だろうと僕は僕を貫き通す。
潰れるかもしれない。
皐月賞以来となる馬券に絡めないまま終わるか、いや生涯で初めて掲示板すら外すかもしれない。
ダートじゃないからしょうがない。
前走がピークだったからしょうがない。
やはりもう衰えているからしょうがない。
敗因ならいくらでも並べられる。でもその全てを覆すとまでは行かないにせよ可能性を受け止めた上で走る。
少しでも、着順を高くするための、僕なりのやり方で。
山本さんもそれでいいと言ってくれているのがわかる。
背中は、軽い。




