第10R やっぱり、違うな
「ライバル同士だから…」
「ああ、やっぱりな…言っとくけど、お遊び気分でこんなとこにやって来る奴に俺は絶対負けないからな!」
後ろ蹴りをしながら迫って来るアイムノットハムは、サラブレッドと別の生き物に見えた。ただ怖いとかじゃなく、何か奇妙な別の生き物に見えた。
いや、別の生き物だった。
「アッパーグレード…」
「実はアイツ、俺が勝った第二戦の未勝利戦に一緒に出てたんだよ。その時からお前の事を聞いてどうせ無理だとわかってるけどいつかやってやろうと思ってたらしいぜ」
「アッパーグレード、なんか言ったの」
「自分で考えろ」
「またそれなの」
「それより今はレースだろ」
「うん」
アッパーグレードはいい加減意地悪だ。同い年なのに先生か何かの様に自分で考えろしか言わない。それでさらに話を詰めようとするとこれ。何だろう、一体何がどうしたって言うんだろう。
シャットダウンはこんなに冷たくない。口数は多くないけど言うべき事、必要な事はちゃんと言ってくれる。帰ったら聞いてみようか。
しかし競馬場って広い。半年前に来た時より余計に広く見える。ダートコースは芝の内側にあり、どうしてもコーナーのカーブは急になる。東京競馬場に来た時も芝はダートよりも随分とゆっくりとして見えたし、横幅も広く思えた。
(六枠七番…)
十二頭立てになったこのレースで、僕に与えられた数字は七番。ちょうど真ん中と言った所。
アッパーグレードはその隣の六枠八番、アイムノットハムは七枠十番。
「待たされるのは得意だろ」
よくそう言われる。
ゲート入りは一、二、三、四じゃなくて一、三、五、七……と奇数番号の馬が先に入りそしてその後二、四、六…と偶数番号の馬が入る。最後に入るのは出走頭数が奇数の場合でも一番大外の馬になる。
今回僕は四番目だ、今までが一番目と二番目しかなかったから待たされない方だった。待たされる方より待つ方がいいとか言うけど、待つ身は辛いとも言う。どっちがどっちなのかは人間も馬も同じなんだろうけど、僕は待つ方がいい。
「あーもう!」
で、十頭目まではすんなり入ったけど、十一頭目の馬がなかなか入らない。ゲートに入る直前で前脚を高く上げ、後ずさりしている。アッパーグレードとは違う方からいらだちの声が聞こえる。
あれ?十一頭目って…あ、入った。
後で考えよう、今はレースだ。
ゲートが開いた。
みんな速い。でも何とか付いて行けてる。
と言うか落ち着け、落ち着かなきゃいけない。
どうせこのレースに負けたとしても僕はダートがある。甘ったれかもしれないけど、それだけでも他の多くの馬には勝っている。そう考えればあわてる必要もない、と言うか元からなかった。
足が軽くなる。
芝を真剣に走った事はないけど、気持ちいい。いつもより早く走れる。まあそんなのはみんな同じだけど、なるほどこれを求めているのかと思うとみんなが芝に集中するのがわかる気がする。
そのせいか知らないけど、いつもより早くやって来た気がする山本さんのゴーサイン。
それに応えてスピードを上げてみるけど、他の馬も一緒に上がっているのでなかなか差は開かない。それでも別にいいけど、とりあえず力を込めて走ってみる。
直線だ。
みんな一斉に向かって来る。アッパーグレードはどこか。
あ、前にいた。
あ、止まった!
「よし!」
坂を上る。ダートのそれとどう違うのかは分からないけどきつい坂。アッパーグレードを抜いたかどうかは分からない、左右にも他の馬がいるから。でも山本さんの言葉からしてこのまま行けば……
ビュン!
そこに飛び込む、何かを切り裂くような音。
とんでもない何かがやって来た音。
その音にみんなひるんだのか少しだけ下がり、その音の正体を見る事が出来た。
オレンジ色帽子を被った人を乗せた…あ、いけない。抜かれちゃった。
まあいいか、楽しく走れたし。
そんな事を考えながらゴール板を通過した僕は、その音の主の名前さえ忘れてしまっていた。
「よくそんな顔が出来るな」
「ダメだよ、こいつはもう完全な本物だって今回のでわかったから。もしかしてだけどココロノソニック、お前まさかアイムノットハムが勝ったと思い込んでたりしねえよな」
「違ったんだ」
「本物は違うな、本物は!」
素直な感想を述べたのに、アイムノットハムは本当に不機嫌だった。
確かに九着ならばそんな気分にもなるだろうけど、僕の顔を見るなりまるで何か見ちゃいけない物でも見たみたいに顔をしかめなくてもいいのに。確かに悔しい。僕がこれまで負かして来た馬だってそんな顔をしていた。
アッパーグレードは不機嫌でこそないけど呆れたと言わんばかりにため息を吐き、僕の事を本物だと言った。
本物?何の本物なんだか。アッパーグレードに勝った事が本物の証だって言うんなら、それは勘違いだ。
確かに結果は出したけど、たまたまでしかない。
優先出走権を取ってしまったのも、たまたまだ。
僕は、初めて負けた。
ソレガコタエダと言う馬に、差し切られた。
『あと二着はココロノソニックですが』
『芝にも対応できるスピードありますからね、これ皐月賞とかダービーでもありかもしれませんよ、いや楽しみですね』
そんな風にアナウンサーや解説者さんは言ってたらしいけど、僕にはちっともピンと来ない。
皐月賞?ダービー?僕にクラシックを走れって言うの?まあやれと言われればやるけど、正直……
「てめえ!」
「落ち着けよ!」
「これが落ち着いてられるかっつーの!」
とんでもない罵声だ。
競馬場では残念だけどあまり珍しくない。せっかく大金を賭けてたのにてめえのせいでフイになっちまったじゃねえかと言う罵声を聞かされるのも馬の役目だとか言う嫌な話もあるけど、実際僕が勝った時だって負けた馬に向かって何やってんだって人間の声が飛んで来た時もある。って言うかやけに大きいな、メガホンとかマイクでも使ってるのか?
「お遊びでこんなとこまで来て!俺の優先出走権を返しやがれ!」
「…こいつには何言っても無駄だ」
「じゃお前のを寄越せアッパーグレード!」
「渡せる物じゃないよ」
泣いている。怒鳴りながら泣いている。
どうやら四着だった馬が二着の僕と三着のアッパーグレードに持って行かれた皐月賞の優先出走権を欲しくて泣いているらしい。でもこれは譲れる物じゃない。誰にもそんな権利なんかない。
着順は僕とアッパーグレードはクビ差、アッパーグレードと四着馬がハナ差。どれほど悔しいか本当に分かったつもりで入るけど、それでも無理な物は無理だ。
「覚えてろ、皐月賞では、絶対に、みっともねえ真似なんかするなよ、と言うか逃げるなよ…!」
「勝手に決めないでよ、僕は浅野先生じゃないんだから」
「だから言ったのによ……」
逃げるなよだって、そっちに僕の次のレースを決める権利はない。一体何を言ってるんだか、正直腹が立って来る。
で、なんかアッパーグレードも彼に同情的だし、何がどうしたって言うんだか…。




