第9R 決まらない道?
スプリングステークス、だって?
中山1800m、「芝」。
弥生賞と同じく皐月賞のトライアルレースで3着以内に入れば皐月賞の優先出走権が得られる。
ヒヤシンスステークスでは一応芝は走ったけど、ほんの数十m。
調教場にも芝コースはあるけど、僕は走った事なんかない。芝コースってのはいつも走る坂路やダートより足に負担がかかるって言うし、ああだから現役生活が短いのか…
「なんで」
「知らねえけどさ、いっぺん走ってみた方がいいんじゃねえか。特にお前のような奴はさ」
「僕のような…!」
僕のような奴だって、何が言いたいんだろうか。僕が声と鼻息を荒げるとアッパーグレードは黒い目を輝かせながら負けじと鼻を鳴らす。
「まあこれでダメならダートに戻るんだろ、ちょっとぐらい試してもいいってことじゃねえかよ。金余裕あるんだしさ」
「それは君もでしょ、ってか君のが」
「じゃはっきり言うよ、お前っていつも楽に勝ってるからな」
で、その答えが「いつも楽に勝ってる」?
そんな訳があるかと言い返そうとしたらアッパーグレードは言いたい事は言ったしとばかりに踵を返して行った。
「昇竜ステークスじゃ」
「それはお前の勘違いだよ」
かろうじて昇竜ステークスの名前を出したけど、それ以上の答えは返って来なかった。
いきなりの、芝。
このままずっと、ダート路線を行く物だと思っていた。
芝のレースなんか、走る事はないと思っていた。五十一回も走って一度も走らなかったお父さんのように。ちなみに僕のお母さんも二十戦三勝で勝ち鞍は全てダート、芝は二回走ったけどどっちも二ケタ着順。
確かにアッパーグレードの言う通り、お金には余裕がある。
このまま何もできなくとも、少なくとも四歳夏ぐらいまではオープン馬で居られる事も知っている。でもそれではいけない。取り残される。
(って言うか今からスプリングステークスのデータを集めようにも…)
一応まだ時間がない訳じゃない。
でも全く頭になかったからどうすればいいのか分からない。
アッパーグレード以外にどんな相手が出て来てどんなレースになるのか。ダートよりも速い世界について行けるのか。
何もかも不安しかない。ヒヤシンスステークスの時はソエで暇だったし決まってから三週間あったからデータも集められたけど来週ともなると出来る事はめちゃくちゃ少ない。
—————やってみるしかないか。
僕は、それ以上の結論を出す事が出来なかった。
「お前ねー」
それでも、調教もない時間にやる事は決まっている。付け焼き刃でもいいので必要な情報を集める事だ。もちろんアッパーグレードのそれも含めて。当然の事のはずなのに、えらく呆れた風にアッパーグレードは聞いて来る。
「君こそ僕の事を」
「お前は生まれた時からそうなのかもしんねえな、そして多分死ぬまで変わらねえ。いや、そうでもねえかもしれねえけど」
「そうでもない?」
「ああやめとこ、お前に言ってもわからねえから」
で、相変わらずだ。何が言いたいのかはっきりしないし、それにいつも楽に勝ってるって言葉の意味も聞いていない。
「でさ、僕のどこが楽をしてるって」
「欠点のない奴は人気出ないぞ」
「人気って必要なの?」
一番人気と一着、どっちが偉いかなんてすぐわかるじゃないか。
人気なんてそんなに意味はないし、なければないで気楽だし……。
「あ」
「今お前ろくでもねえこと考えたな、わかったから本番は首を洗って待ってろ」
「胸を貸して」
「あーはいはい…」
芝では全くの新馬であるはずの僕が芝の重賞勝ち馬に挑戦させてもらうって稀有な機会を大事にしようとしたのにアッパーグレードはまたそっぽを向いた。まったく何がそんなに気に喰わないのか、ほとほと理解に苦しむ。
とりあえず相手は…えっとどうやらアッパーグレードが一番人気になりそう。
二番人気は新馬戦と若駒ステークスってとこを連勝して来た馬で…えっと、後は条件戦を二連勝とかアッパーグレードやシャットダウンに負かされたとか…あ、僕と同じようにダートしか勝ってない仔もいる。その仔とは仲良くなれるかもしれない。
で、目に付いたのが、アイムノットハムって名前。
アイムノットハム、えっと、僕はハムじゃない?そりゃそうだ…で、ハムってのは…え?
ハムの意味を探しながら見つけた名前、それは僕のお父さんたちと同じ年の牝馬だった。
—————ユアアクトレス。
三歳の時と四歳の時に重賞を勝って、GⅠにも出走した一流牝馬。きれいな尾花栗毛をたなびかせたきれいな馬でもあったけど、それ以上に言われている事がある。
ヒガシノゲンブさんとワンダープログラムの両方と付き合っていた、って話。
詳しく言えばヒガシノゲンブさんと最初は仲が良かったけど皐月賞でひどい負け方をしてそっぽを向いてワンダープログラムさんに乗り換えたらヒガシノゲンブさんがダービー以降頂点まで駆け上がり、ワンダープログラムさんはヒガシノゲンブさんが凱旋門賞の後故障して引退を決めるまでGⅠを勝てなかった。
そのせいで評判は良くなく、彼女の馬房だけはやだって言う牝馬もいたとノーザンスザクさんからも聞いている。でもユアアクトレスさんの後に入って来た馬は重賞こそ勝てなかったけど六勝もしたから牡馬ならばいいのかもねとも笑っていた。
なるほど、だとするとアイムノットハムって名前も納得が行く。ハムってのはどうやら大根役者って意味で、お母さんにちなんだ名前って事になる。
(仲良くなれそうには、ないか……)
ユアアクトレスさんが僕のお父さんの事をどう思っているのかは知らないけど、きっと後ろ指を指され続けて来たから浅野先生の事もいい思い出にはなってない。
デビュー三戦目で初勝利、その後一勝クラスで十着って実績からして苦しいと思うけど、三着になれば皐月賞には出られるしチャンスをつかんで欲しいなって思うのは贅沢なんだろうか。
で、実際。
「お前がココロノソニックか…」
中山競馬場にやって来た僕をアイムノットハムは赤い目をして睨んで来た。




