わがままな神子 1
この世界にカレンダーがあるのか知らないが、陽葵は7回寝て起きた。
つまり一週間が経った。
陽葵は限界を迎えていた。
「か、会話がしたい! 普通に寂しい!」
「うーん、なんか言ってるのはわかるんだけどなあ。怒ってる?」
あまりに必死に訴えたためメラスは勘違いしたらしい。
苦笑いをするメラスに陽葵は慌てて首を横に振って否定してベッドに腰掛けた。
陽葵の護衛は基本的にはルーティが担当しており、ときどきメラスが交替する。
メラスは忙しいようでこの部屋を訪れるときも、毎回書類を持ち込んで机で作業をしながら陽葵の相手をしてくれる。
副隊長のメラスがこうまで忙しいということは、ノワールの隊長であるジルはもっと忙しいということだ。
とはいえ、他に話し相手もいない陽葵を一週間も放置していることには腹が立っていた。
「祝福の神子だか災禍の神子だか知らないけど、この世界がたぶん私を召喚したんでしょ? それなのに放置ってひどくない?」
書類を片手に持ちながらも、陽葵の表情から言っていることを察しようと努力してくれるメラスは優しい。
だから、つい甘えて拗ねた表情を見せると、メラスは思い付いた様子でピンと人差し指を立てた。
「もしかして小腹空いてるのか? 腹が減るとイライラするよな」
「ちーがーいーまーすー」
通じたと思ったらとんちんかんなことを言うメラスに陽葵は両手で大きくバツ印を作る。
そして、テーブルに置いているスケッチブックと鉛筆を手に取った。
メラスと違って陽葵がどれだけ退屈していようと放置して自分の仕事をしているルーティだが、彼女は陽葵の世話をするという仕事を全うする気はあるらしい。
コミュニケーションが取れない陽葵のために、ルーティは出会った翌日にこのスケッチブックと鉛筆を陽葵に与えてくれた。
しゃべれないなら書けということだったが、陽葵が書いた文字をルーティは読めなかった。
それならばと陽葵は絵を描いたのだが、これがあまりにも芸術的であったため、ルーティは解釈にたいへん苦しんでいた様子だった。
しかし、今の陽葵はこの世界の文字も読めないため読書をして暇を潰すこともできず、隠れなければならないため散歩に出て気を紛らわすこともできない。
残された娯楽は絵を描くことくらいしかなく、陽葵のらくがきでいっぱいのスケッチブックの中で、昨夜何度も描き直してまあまあの出来映えに描けたジルの似顔絵を指差した。
「ジルさん! ジルさんに会いたい!」
「ん〜?」
目を眇めてまじまじとジルの似顔絵を見たメラスはあごを撫でて思案して、ぽんと手を打った。
「カブの絵か? カブが食いたいってことか?」
「違いますよ!」
さっきよりも強く両手でバツを作って否定すると、メラスは困った様子で腕を組む。
仕事の邪魔をしてしまっているのはわかっているが、もう陽葵は寂しさの限界だった。
「ジルさん、あれからなんで来てくれないんだろ。私って本当に帰れるのかな……?」
帰る方法を必ず探し出すとジルは言っていたが、なんの予兆もなく突然異世界に迷い込んでしまった陽葵が元の世界に戻る方法はあるのだろうか。
元の世界では姉が今頃陽葵のことを探してくれているかもしれない。
最近は姉に会いたいという気持ちが膨れ上がって、胸を圧迫するような寂しさが募り、陽葵はつらい思いをしていた。
「絵がなんなのかはわからなかったけど、悪かったよ。そう落ち込むなって。そうだ。ジルさんにそろそろ会いたいんじゃないか? ずっと話が通じない相手といるのも気詰まりだろ」
しょんぼりとうなだれていた陽葵は、気遣ってくれるメラスの言葉にパッと顔を上げてうんうんとうなずく。
ジルに会いたいという意思がようやく伝わったことに目を輝かせる陽葵に、メラスは可笑しそうに笑った。
「ははは、ジルさんもこんなかわいい女の子に、これだけ会いたいと思われるなんて罪な男だな」
「ジルさんには会えないんですか?」
さっきのスケッチブックの似顔絵を指差して首を傾げると、メラスは「おお!」と驚きの声をあげる。
「その絵、ジルさんだったのか。カブにしか見えなかった」
「失礼な!」
「ジルさんなら今夜には来るんじゃないか?」
「え! そうなの!? でも、なんで?」
疑問に思っていることを伝えるために反対方向に首を傾げ直すと、メラスは苦笑して手元の書類に視線を落とした。
「まあ、俺達も協議したんだが、ルーティは絶対やだって言うし、俺も言葉が通じないのに同意を得るのは難しいし、適任はやっぱりジルさんだろうって結論に至ったんだよ」
「……なんの話?」
話が見えずに陽葵は怪訝な表情を見せたが、メラスは答えてはくれなかった。
それが何の話だったのか。
陽葵が理解したのは、夜に本当にジルが訪れたときだった。
夜間の護衛はルーティが続き部屋になっている隣室に泊まって行うことが日課になっており、今夜もメラスの交替にルーティが訪れるのだろうと思っていたら、ジルがやって来た。
ドアをノックしてジルが入ってきたときには思わず「ジルさん!」と大歓迎の明るい声をあげてしまったため、ちょっとジルはギョッとしており、メラスは笑いながらジルと二言三言交わして退室していった。
窓の外はもう暗く、月明かりとたくさんの星のきらめきが夜空を彩っている。
魔法の力を使っているらしい明かりが灯された部屋でジルと二人きりになると、陽葵はふにゃふにゃと微笑んでしまうことを抑えられなかった。
「ジルさん、お久しぶりです」
「はい。お元気そうにしているという報告は受けていました。あと、あなたの絵のスキルによってコミュニケーションの難度が上がったと」
「そんなに下手ですかね?」
美術の成績は振るわなかったが、絵を描くことが嫌いだったわけではない。
陽葵が唸りながら眺めたスケッチブックをジルが隣から覗き込んでくる。
芸術品みたいな美しい顔が突然近付いてきたことに陽葵はびっくりしていたが、ジルはすぐにその端正な眉を寄せた。
「これはカブですか?」
「いえ、ジルさんです」
「は?」
真面目に答えると、ジルは意表を突かれたような表情で陽葵を見てきた。
至近距離で目が合って、陽葵はにへらと笑う。
ジルは似顔絵が気に食わなかったようで苦い表情をしていたが、言葉が通じる喜びはすさまじかった。
「……あなたの目はもしかして私と同じようには見えていないのかもしれませんね」
「そんなことないと思いますけど。今日も庭の木の枝に遊びに来た小鳥はかわいかったし、夕方の空の色の移り変わりはきれいだったし、ジルさんはかっこいいですよ」
「かっこいいと思う人物を描いて、カブになるんですね」
「だからカブじゃないですって」
ジト目でこちらを見るジルにさすがに無礼に対する不満を表情で露わにすると、ジルは額を押さえて「まあいいです」と言いながら陽葵からスケッチブックを取り上げて閉じた。
「今夜は大切な用事があって来ました」
「大切な用事? まさか帰れるとか?」
「それは調査中ですが、時間がかかりそうです。申し訳ない」
一瞬喜んでしまったが、ジルから誠意を持って謝罪されると急かすわけにもいかない。
肩をすぼめて「そうですか」と答えた陽葵を、ジルは真剣なまなざしで見据えた。
「今夜、あなたにキスによる魔力補給の許可をいただきたい」




