迷い込んだ異世界 3
「よお。あんたが神子様か。本当に髪も目も黒いんだな」
気さくに手を挙げた赤髪の青年があごに手を当てて陽葵の姿をまじまじと眺める。
その隣にいた少女がバシリと青年の肩をたたいた。
「ちょっと、寝間着の女の子あんまり見てんじゃないわよ」
「おお、確かに! 悪いな、神子様」
「い、いえ」
陽葵が目をぱちぱちさせていると、青年は人懐っこそうな笑顔を見せた。
「俺はノワール副隊長のメラス。こっちはルーティだ。同じくノワールに所属してる」
笑顔のメラスからは好意を感じるが、ルーティからはじとりと金色の目を細めているせいで敵意を感じる。
癖っ毛でぴょこぴょこ跳ねているショートカットも相まって、本当に猫に睨まれているようだ。
メイディアは陽葵よりも年上に見えたため、この世界でようやく同年代の女の子に会えたと思ったら警戒されていることに、陽葵はひっそり落ち込みつつも笑みを浮かべた。
「佐伯陽葵です。陽葵って呼んでください」
「……うん? 何か言ったか?」
メラスが首を傾げる。
この距離で聞こえないはずもないが、意地悪で聞こえないふりをされているわけもない。
困惑してジルを見ると、ジルはふむとうなずいた。
「ルーティ。今、声は聞こえたか?」
「なんかしゃべってるっぽくはありましたけど、全然です」
「なるほど。原因は不明ですが、あなたの声は私にしか聞こえていないらしい」
「ええっ!?」
何もわからない異世界で、言葉が通じる相手がたったひとりだなんて不安にも程がある。
こういうのはなぜか異世界でも全員に言語が通じるというのがセオリーではないのか。
パニックに陥った陽葵をジルは手で指し示した。
「彼女は陽葵様だ。見ての通り、表情豊かな方だから、それで言っていることはなんとなく把握してくれ」
「そんな雑な……!」
「まあ、でも聞こえないもんはしょうがないもんな。大丈夫だ、陽葵様。あんたが今めちゃくちゃ焦ってるのはわかる」
姉にも陽葵は感情が顔に出やすいと言われてきたが、それが役立つときが来るだなんて。
青くなっている陽葵にジルはさらに追い打ちをかけた。
「ノワールには他にも騎士が所属していますが、陽葵様の存在を知っているのはここにいる3名とメイディア、そして王だけです。この宿舎には他にも多くの騎士がいますので、勝手に出入りはしないように。私は一旦失礼します」
「えっ、行っちゃうんですか!? ジルさんしかおしゃべりできないのに!」
陽葵の声に泣きが入る。
水たまりを飛び越えられなかったというドジを踏んだだけのはずだったのに、いきなり大多数の人間には言葉が通じない異世界に迷い込んでしまった。
ひな鳥がはじめて見た相手を親だと思うかのように、陽葵はジルといることに勝手に安心感を覚えていたのだ。
そんなジルがいなくなってしまうことが不安で堪らない。
思わずジルのローブの袖口を掴んで縋った陽葵に、ジルはにっこりと天使のように微笑みかけた。
「ご安心を。あなたの身の安全は我々が保障します。そして帰る方法も必ず探し出します」
「私、帰れるんですか?」
「伝説の神子は魔王討伐の記録の後はどの文献にも登場しません。私は元の世界に帰ったのだと思っています。あなたを帰すためにも、私はあなたにべったり付いてはいられないのです。ご理解ください」
ジルは陽葵が元の世界に帰れるように尽力してくれようとしている。
それは理解できたが、突き放すような態度には胸が痛んだ。
(ジルさんも忙しいんだし、甘えてちゃだめだよね……)
「……わかりました。大人しくしてます」
「よろしい。では、ルーティ。陽葵様の身の回りの世話は頼む」
「えっ、あたしがですか? 声も聞こえないのに?」
「ノワールに女性は君しかいない。悪いが、護衛と共に陽葵様の相談相手になってほしい」
あからさまに嫌そうな反応をされてこっそりショックを受けた陽葵を、ルーティはため息をつきながらジト目で見てくる。
「……わかりました」
「メラス。おまえは俺と来てくれ」
「了解。じゃあ、また陽葵様」
ウインクをしたメラスと共にジルが背を向けて去って行く。
不満を隠しもしないルーティとふたりきりになることにドギマギして、ジルがドアを閉めるまで見送っていた陽葵に、ルーティは鋭くため息をついた。
「そんな寂しそうな顔して、男の気でも引くつもり? あたし、そういう女大っ嫌いだから。で? なんか困ってることある?」
差し迫って困っていることはない。
あからさまにダルそうなルーティに陽葵が笑顔を引きつらせながら首を横に振ると、ルーティは壁に背を付けて立った。
「じゃ、あたしは見張りに徹するから。なんか困ったら言って」
そう言ったきりルーティは無言になってしまう。
騎士の彼女にとってはこういう護衛の仕事は慣れっこなのかもしれなかったが、言葉も通じない相手にただ見られているだけという気まずさに陽葵はどうしていいのかわからなかった。
沈黙が支配する部屋の外では、相変わらず小鳥が平和にさえずっていた。




