わがままなふたり 3
巨大な黒竜が炎を吐き、岩をも砕く勢いで尾を薙ぎ、地面を抉る爪を振るう。
ノワールは騎士団の中でも精鋭部隊だ。
その中でもトップの実力を持つ剣士であるルーティとメラスでも、魔王からすればただの人間だ。
傷を負い、肩で息をするふたりの背中を遠くに見ながら、ジルは展開した魔法陣から攻撃魔法をいくつも放ち続けていた。
「チッ、まだ倒れないのか……!」
ジルが打つ魔法は確実に魔王にダメージを与えている。
だが、その巨体に見合った体力があるらしい魔王はあちこちから血を流そうと咆哮をあげながら暴れることをやめなかった。
剣によるダメージは僅かなものだ。
魔王から体力を削れるのはジルの魔法しかない。
だが、ジルの膨大な魔力も度重なる攻撃魔法の連続でいよいよ尽きかけていた。
「ジルさん、もう少しがんばってくれよ!」
「あんたも息上がってんじゃない! しっかりしなさいよね!」
こちらに声をかけるメラスにルーティが発破をかける。
振り下ろされた大木のような魔王の尾を避けるためにふたりはまた駆け出した。
早く倒さなければ、ジルの魔力が尽きる前にメラスかルーティのどちらかの体力が尽きかねない。
ジルは魔力不足でかすみ出した視界をはっきりさせるために頭を振って、攻撃魔法に集中した。
そのジルの腰には短剣と共に、陽葵が残した銀色の杖が提げられていた。
陽葵を元の世界に帰した後、ジルは速やかに書庫を出て、待機していたルーティとメラスと共に魔王討伐に向かった。
魔王討伐の鍵となるであろう陽葵を戦いから遠ざけ、元の世界に帰してしまったジルが、この世界のために魔王討伐を成し遂げることは贖罪であり、義務だ。
ジルの決断を受け入れてくれたルーティとメラスも、ジルと同様にこの贖罪と義務を背負ってくれた。
ここで敗北して死んでしまえば、ジル達は伝説の悪党として名を残すことになるだろう。
自分の勝手で陽葵を元の世界に帰したジルが悪党呼ばわりされることは構わない。
だが、共に命を懸けてくれたルーティとメラスまで同様の扱いをされることは許せない。
負けるわけにはいかない。
必死の思いで魔力を振り絞っていたジルはだんだんと自分の呼吸が浅くなっていることを感じて、再び舌を打った。
魔力が本格的に尽きかけている。
溺れているような苦しさに喘ぎながら、ジルは懸命に意識を保つ。
陽葵には、もう会えることはないだろう。
だが、万が一彼女がもう一度この世界に迷い込むことがあって、その時ジル達が魔王に殺されたなんてことになっていたら、きっと陽葵は嘆き悲しむはずだ。
ジルはもう万が一にも陽葵を泣かせるようなことはしたくなかった。
無理矢理元の世界に帰してしまったことで、きっとジルは散々陽葵を泣かせてしまっただろうから。
「クソッ、あと少しだろ……!」
魔王の動きは明らかに鈍くなっている。
あと少し。あと少し意識が保てば、きっと倒せる。
歯を食いしばったジルの視界が一瞬チカッと光る。
魔力不足で意識が朦朧としているせいかと思ったが、その光を目で追った先でジルは信じられないものを見た。
「っ……陽葵様?」
はじめて出会ったときと同様に、空中から突然水の中につま先から落ちてきたかのような動きで陽葵が現れた。
杖をこの世界に置いて行った彼女がどうやって魔法を使ったのか。
まさか、自ら帰還魔法を完成させて、杖の補助なしに異世界に行くことを達成したとでもいうのか。
呆然としながらも、無我夢中でジルが腕を伸ばすと陽葵の体がジルの胸元に飛び込んできた。
「どうしてここに、……」
言葉は途中で遮られる。
抱き留めた陽葵は、ジルにしゃべらせることなくキスをしてきた。
困惑している間に体の内側に温もりを感じる。
陽葵に魔力を注がれたのだと察したものの、唇が離れてもぽかんとしていたジルに陽葵は屈託なく笑った。
「魔力、いつものお返しです」
寂しがりで甘えん坊。
小さなわがままは言うくせに、姉のために夢は諦めてしまう優しい人。
そんな陽葵の最大の身勝手は、ジルがせっかく危険から遠ざけるために元の世界に強制送還したことを台無しにするものだった。
ジルの腰に杖がさがっているのを目ざとく見つけた陽葵は、サッとそれを引き抜いて魔王に対峙する。
陽葵の帰還に驚愕しているルーティとメラスにも笑みを向けた陽葵は空中にサラサラと魔法陣を描き始めた。
「実はジルさんにないしょにしていたことがあるんです」
杖の先からこぼれる光の軌跡で描かれる魔法陣はジルでも見たことのないものだ。
メイディアとの攻撃魔法の練習はそこまで長時間行えたものではなかっただろう。
短い時間でここまでの攻撃魔法を完成させていたのかと訝しんだジルに、陽葵は魔法陣を描きながらいたずらっ子のように微笑みかけてきた。
「祝福の神子になってジルさんと一緒にいたくて、ずっとこっそり攻撃魔法の練習をしてたんです」
一つの魔法陣が完成すると、陽葵はその横に二つ目の魔法陣を描き始める。
「そんな私を勝手に戦力外通告して強制送還しちゃうなんて、ジルさんは大罪人ですよ! 絶対ぜったい許しません!」
唖然としながら見守るジルの前で陽葵は三つ目の魔法陣も描き終える。
陽葵の前には三角形の形に三つの魔法陣が展開される。
その魔法陣には増強された魔力がゴウゴウと周囲の空気を渦巻かせるほどに集まっていた。
「でも、ジルさんの気持ちを無視して勝手に戻ってきた私のことは許してくださいね」
ジルのことは許さないと言った口で、自身のわがままは許せと言う。
勝手だと思うのに、陽葵がまたこの世界に戻ってきてくれたことが、こんな状況でもとんでもなく嬉しい。
高揚して今すぐにでも陽葵を抱き寄せたい気持ちを抑え込んだまま、ジルはふっと笑ってうなずいた。
「陽葵様。帰ってきたものは仕方ありません。魔王討伐にご助力ください。祝福の神子として」
「もちろん!」
笑顔を深めた陽葵の杖の先で集約した魔力が一等星のようなきらめきを帯びる。
陽葵はその杖の先で三つの魔法陣が重なる中心を叩いて魔法を発動した。
同時展開した三つの魔法陣からはそれぞれ群れを成した光の小鳥が現れる。
高速で魔王の元へと飛んで行く間に小鳥の群れは合流し、その輪郭を溶け合わせ、やがて巨大な魔王とほぼ同等のサイズにまで大きくなった。
地上に星が落ちてきたような眩しさにみんなが目を細める中、陽葵だけは光の鳥の行く先をまっすぐに見つめている。
漆黒の髪を風に踊らせた陽葵の横顔は、ジルがハッとするほどに美しかった。
陽葵に目を奪われていたジルはドッと巨体が倒れた音がして魔王に視線を向ける。
陽葵が放った攻撃魔法は魔王の最後の体力を削り取ったようで、光の鳥に貫かれて倒れた魔王の体にはぽっかりと巨大な穴が空いていた。
ルーティとメラスが前方で互いの健闘を称え合っている。
ジルも大技を使い追えた陽葵の肩にそっと触れた。
「ありがとうございました。あなたはやはり、私の信じたとおり祝福の神子だった」
一瞬キョトンとした陽葵がにこっと満面の笑みを見せる。
堪らず抱き締めた陽葵がしがみつくように背伸びして首に腕を回してきたとき、ジルはもう彼女を離せないのだということを悟った。




