反逆 4
「ジルさん……!?」
「幻覚魔法で視覚を惑わせていたんですが、やはりメイディアに幻覚魔法の腕ではなかなか上回れませんね。最後は看破されていた」
悔しげに言いながら、ジルは陽葵の体温を確かめるように背後から抱きすくめてくる腕の輪を縮める。
首筋にジルの吐息がかかることにドギマギしながらも、陽葵は混乱する頭を整理するためにジルに問いかけた。
「どうしてここに?」
「都市結界を守るのがメイディアの最も重要な仕事です。そちらをいじれば彼女はここを離れざるを得ない。あなたと最後にふたりきりになるために、大きな影響が出ない程度に勝手にいじらせてもらいました」
ジルのことだ。
本当に大きな影響は出ない程度のことしかしていないのだろうが、人々が多く住んでいる王都を守る結界をいじるなんて大罪になるのではないだろうか。
なぜそこまでのことをジルがしたのか。
そして最後というのはどういうことなのか。
深まる混乱を抱えたままでいる陽葵を、ジルは近場にあったスツールに座らせて、その前にひざまずいた。
「いつメイディアが戻ってくるかわかりません。時間がないので単刀直入に言います。私はあなたを魔王討伐に向かわせる気はない」
「でも、じゃあ、魔王はどうするんですか?」
「私とルーティ、メラスの三人で討ちます」
陽葵の杖を握った両手を大きな掌で包み込んでこちらを見上げるラベンダー色の瞳には強い意志が宿っている。
こんなことをジルが冗談で言うとも思えず、陽葵は動揺と抱えたまま首を横に振った。
「む、無茶です! だって、前回も魔王は祝福の神子の力があって討つことができたんですよね?」
「ええ。無茶は承知です。それでも、私はこの無茶を通すことに決めました」
「私も戦う覚悟を決めたんです! ジルさん達を守るために、信頼に応えるために!」
「わかっています。でも、そのわがままは通せません」
衝動のままに叫んだ陽葵に、ジルは冷静に告げる。
きっぱりと拒絶しているのに、その声には優しさしか含まれていなかった。
「私はあなたを愛しています。だからこそ、あなたには幸せになってほしい。命の危機になど晒されず、ただ穏やかに生きてほしい。このわがままを通させてもらいます」
「そんなの」
いやだ。
言いかけた陽葵はハッとする。
陽葵とジルの足下は先程まで確かに書庫の床に敷き詰められた絨毯が敷かれた板の間だったはずだ。
それなのに、どうしてか陽葵が座ったスツールを中心に円形の水たまりが広がっていた。
「ジルさん、なにこれ……?」
陽葵の唇が戦慄く。
ジルは魔法陣を省略する術を身に着けている。
陽葵が気付かない間に、ジルは魔法を展開させていた。
思わず立ち上がった陽葵の足下で水たまりが波紋を広げ、光の粒がふわふわと水面から舞い上がる。
その光の粒は水たまりの中で光の線で描かれた帰還魔法の魔法陣から気泡のように浮かび上がっていた。
「帰りたくない!」
「陽葵様。あなたは異世界の人間だ。この世界に魔王が現れようと、本来あなたには関係のないことです。何も気にせず、元の世界で大好きなお姉様と平穏なときを過ごしてください」
「いやっ、いやです! どうして、こんな勝手なこと……!」
「嫌われても構いません。あなたが幸せに生きてくれさえすれば」
言いながら立ち上がったジルの表情を見て、陽葵は涙を堪えて唇を噛む。
ジルも陽葵と同じように苦しげに涙を堪えていたから。
「ジルさんのばか……」
「はい」
「大好き」
「……私もです。どうか、幸せに」
祈るようにジルが目を閉じる。
独りよがりのわがままで陽葵の決意なんて関係なく勝手に陽葵を送り返すジルに腹が立つ。
それでも、どうしようもないほどに好きだった。
ジルの肩に手を置いて、かかとを持ち上げる。
精一杯の背伸びをして、ジルの唇に口づけた。
柔らかな唇の感触に切なく胸が痛み、涙がこみ上げるのを感じた刹那、つま先で踏んでいたはずの地面の感覚がなくなった。
声をあげる間もなく、陽葵の体は足下の水面に落下する。
ジルの腕の輪からするりと抜け落ちる感覚の後、陽葵の視界はぐるりと回った。




