反逆 1
「陽葵様と仲直りできなかったんですか?」
「……陽葵様は元気がないのか?」
「いや、元気がないのはあんたでしょう」
メラスには陽葵の護衛及び監視以外の仕事も当然任せている。
そちらの報告を執務室で受けた直後に、なぜか陽葵のことを聞いてきたメラスに書類から視線を上げてたずねると、呆れた表情で返されてしまった。
陽葵を怒らせて泣かせてしまったことについては、メラスもルーティも知っている。
なぜ今まで幻覚魔法を解かなかったのかという当然の疑問はメラスからもルーティからもぶつけられており、ジルは陽葵に説明する前にふたりには話をしていた。
メラスは子どもの喧嘩を見守るような表情をしており、ルーティは真っ赤になってなにも気が付いていなかったと自身の無知を恥じた上で陽葵を孤独にしたことに文句を言ってきた。
ジルは自分の口から陽葵に説明するとふたりには話しており、きちんとそれは実行することができた。
もうあんな説明は好意を告白したようなものだ。
メイディアとの関係を勘違いして、嫉妬の感情をぶつけてきた陽葵からの好意にもジルは気が付いている。
それでも、ジルは結ばれることは選ばなかった。
「私はいつも通りだろ。慎ましく仕事に励んでいるだけだ」
「今日、俺が何回報告したこと聞き返されたかわかります?」
わかる。
4回は聞き返した。
痛いところを突かれて視線を逃したジルに、メラスはやっぱりと肩を竦める。
「陽葵様もときどき考え込んでる様子はありましたけど、ジルさんほどじゃなかったですよ。仲直りできなかったなら、今夜にでももう一度話しに言った方がいいんじゃないですか?」
「話して解決する問題ではない。それに仲直りができなかったわけでもない」
怪訝そうにメラスは片眉を跳ね上げる。
お互いにどうにもできない気持ちを抱えているのは確かだ。
だが、それはどう足掻いても解決できる問題ではないことも、また確かだった。
ルーティが帰省していた際に、陽葵がいつもいる部屋の続き部屋で護衛を引き受けたことがある。
隣室の物音に警戒をしながら過ごした夜。
陽葵が眠ったはずの部屋からすすり泣く声が聞こえてきて、女性が寝ているところを覗くのはよくないとわかっていながらジルは続き部屋からこっそり陽葵の部屋へと顔を出した。
ベッドに丸くなって眠っていた陽葵は、夢でも見ているのか閉じた目の縁から滲ませた涙で枕を濡らしていた。
黒い睫毛を濡らして涙する陽葵を見ていると、胸を内側から斬りつけられたような痛みがあった。
どんな悪夢が彼女を泣かせているのか。
怒りすら覚えて、陽葵を揺り起こそうか迷っていると、その小さな唇を動かして陽葵が寝言をこぼしたのだ。
——お姉ちゃん。お姉ちゃん、会いたいよ。
しゃくりあげながら陽葵が口にした言葉にジルは愕然として、陽葵の細い肩に伸ばしていた手を指先を握り込んで引っ込めるしかなかった。
あのとき、ジルは自分の自覚の足りなさを心底悔いた。
陽葵のことを愛しているし、陽葵もきっとジルのことを憎からず想ってくれている。
そのことに知らず浮き足立っていて、陽葵がどれだけ元の世界に帰ることを願っているかを忘れてしまっていた。
メイディアから聞いた話では、陽葵は元の世界に帰った後に、またこちらの世界に戻ってきたいと考えているらしい。
だが、異なる世界を渡る行為はどれだけ陽葵に魔法の才能があろうと危険が伴うものだ。
それに陽葵と話していると、彼女の生きてきた世界がこちらより余程平穏であることが感じられた。
常に都市結界を維持して、魔物の襲撃から身を守らなければならないこんな世界よりも、剣も魔法もいらない世界で生きた方が陽葵は幸せに決まっている。
元の世界に陽葵が帰って、ジルのことなど忘れて他の男を好きになり、幸せな家庭を築く姿はありありと想像できたが、それと同時にジルの胸を激しく抉った。
だが、こんな痛みは大したことはないのだ。
何よりも、陽葵が幸せに生きてくれること。
それがジルにとっては一番大切なことだった。
だから、陽葵を諦める決意は固められたつもりでいたのに、その決意を伝えた晩は陽葵を抱き締めて縋ってしまった。
自分がこんなに弱い男だとは思っていなかった。
手放すと決めていながら、細い体が軋むほどに抱き締めるなんて矛盾を抱えるような人間だった自身にジルは失望している。
「難しいことは俺にはさっぱりわかりませんけど、ジルさんも陽葵様も納得いくような結論がでるといいですね」
ジルの心情を慮って、事情がわからないなりに励ましてくれるメラスにうなずくことはできなかった。
きっと陽葵はジルの選択に納得していない。
これから先も手放すというジルの選択に陽葵が納得することはないだろう。
陽葵の口から想いを聞いてしまったら、絶対に手放せなくなると理解していて、キスで唇を塞いだズルい男のことを陽葵は絶対に許してはくれない。
うっかりすると底の方までズルズルと落ちてしまいそうな気持ちを立て直そうと、ジルは仕事に向き合うために椅子に座り直して咳払いをする。
察したメラスがジルの執務室から出て行こうとした瞬間、ノックもなくドアが叩くように開かれた。
「ジル様! メラスもいたのね。よかった……!」
「ルーティか。どうしたんだよ」
小さな体でほぼ体当たりでもするかのようにドアを開けたらしいルーティは真っ青な顔色をしている。
ただごとではないと悟ったジルもメラスと共にルーティが口を開くのを待っていると、走ってきたらしいルーティは弾む息を整えてから、慎重に報告した。
「漆黒の谷近隣の村から報告です。魔王が、復活しました」




