明かされる真実 6
ジルは陽葵が勘違いで怒りをぶつけたにもかかわらず、予定通りの日にちの夜に陽葵を訪ねてきてくれた。
ドアを開いてジルを招いた陽葵は気まずい思いをしながらも、まずはジルから借りっぱなしになっていたマントを差し出した。
「あの、これ、ありがとうございました」
「ああ、あの後リヒター様と話されて落ち着きましたか?」
「はい」
「よかったです」
ぎこちない陽葵に対して、ジルはいつも通りの様子に見える。
やはり大人のジルにとっては、先日の陽葵の怒りなど子どもの癇癪でしかなかったのだろうか。
今夜はしっかり話しをしようと意気込んでいた陽葵は心がしぼむのを感じながら、いつも通り窓際の机につく。
ジルが持って来ていたハーブティーを注いでくれると、懐かしいりんごに似た甘い香りがした。
「あ、カモミールティーですか?」
「そうです。今夜は勝手に私が気に入ったハーブティーにしました。これを飲むと落ち着く気がするので」
「……ジルさんは落ち着いて見えますよ?」
「あんな風に泣かせてしまったあなたを他の男に攫われて心穏やかなはずがないでしょう」
あの時のことを想起したらしいジルがため息まじりに言う。
憂い気な横顔に、ジルも同じ気持ちで陽葵に向き合ってくれているのかもしれないと心の奥のわだかまりが溶ける感覚があった。
「えっと、ジルさんとメイディアさんが師弟関係だって聞きました。勘違いして、話もちゃんと聞かずにごめんなさい……」
「いえ、お気になさらず。それを聞かれたということは、リヒター様と私の関係についてもお聞きになられたんですか?」
「はい。……痣を焼かれたって、本当なんですか?」
「ええ」
「見せてもらえたり、しません?」
おずおずたずねると、ジルは怪訝そうに眉を寄せる。
「見て気持ちのいいものではないですよ」
「できればでいいんです。お願いします」
遠慮がちな陽葵の願いに、ジルは逡巡した後にいつもきっちり閉めている服のボタンを一つ二つと外していった。
明かりを灯していても夜の部屋は薄暗い。
暖色の明かりの中、ジルが開いた胸元には真ん中から少し左寄りの鎖骨下に掌を広げたサイズの火傷痕が広がっていた。
「こんなに大きな……。痛かったですよね」
「昔のことなので忘れました」
「ジルさんは本当に嘘つきですね」
皮膚が引き攣れている痕は痛ましい。
こんな傷をつけられた痛みを忘れられるはずがない。
陽葵が困ったように言うと、ジルも眉を下げた。
「魔法をかけてみてもいいですか?」
「魔法を?」
「治癒魔法です」
「構いませんが……」
陽葵の意図を察しかねたジルが首を傾げる中、陽葵は杖を手に取って空中に魔法陣を描く。
リヒターからジルが痣を焼かれたという話を聞いて以来、少し調整していた治癒魔法の魔法陣から光の粒があふれ出し、ジルの火傷痕に吸い込まれるように触れて包んだが、光が消えても火傷痕は変わらなかった。
「うーん、やっぱり古傷の治癒は難しいですね」
「治そうと?」
「……余計なお世話かとは思ったんですけど、私もお姉ちゃんと喧嘩して逃げようとしたときに転んだ傷跡が膝に小さく残ってて。それを見る度に、お姉ちゃんに『だいっきらい』って言っちゃったことを思い出すんです。傷跡と記憶って結びつく気がして。だから、消せたらいいなって。……失敗しちゃいましたけど」
話しているうちに、やはり押しつけがましいことをしてしまった気持ちになって、陽葵は苦笑いを浮かべる。
黙って話を聞いていたジルは服のボタンを留めながら目を伏せた。
「嘘つきの私なんかのために、あなたは優しくしてくださるんですね」
「お節介でしたよね。ごめんなさい」
「いえ、その優しさが私だけに向けられるものであればいいと思う己の愚かさに辟易しています」
ジルは自嘲めいた笑みを見せる。
向けられたまなざしに熱を感じて、陽葵の心臓はトクトクと早鐘を打ち始めた。
「私が幻覚魔法を解かずに、あなたの声が私にしか聞こえないという嘘をつきつづけたのは、あなたを信じていなかったからではありません」
「……じゃあ、どうしてだったんですか?」
「私のわがままです。あなたを一人占めしたかった」
陽葵は知らず、手をぎゅっと握りしめる。
いつもより甘く聞こえるジルの声に、心が期待にざわついている。
「あなたが寂しがりなことを知っていました。陽葵様がルーティとうまくいっていなかった頃、あなたが彼女と話をできればすぐにでも仲よくなれるだろうと申し訳なくも思っていました。ですが、陽葵様を知るごとに、あなたの心のまっすぐさや清らかさを一人占めしたくなった。そんな私の愚かな束縛なんてものともせず、あなたは文字を覚えて、みんなの心を奪ってしまいましたがね」
「ジルさん……」
心臓が苦しい。
恋心が陽葵の胸中で存在を主張している。
まるで告白のようなことを言うジルに、陽葵は思いきって向き合った。
「私、ジルさんのこと……!」
想いを伝えようとした唇は、その言葉を紡げなかった。
不意に頬に触れたジルが陽葵の唇をキスで塞いでしまった。
柔らかな唇の感触に、陽葵は言葉を失う。
どうして言わせてくれなかったのかと戸惑っている間に、陽葵の体にはジルからの魔力が注がれた。
「……陽葵様」
陽葵の両方の頬をジルの大きな掌が柔らかく包む。
額と額をくっつけたまま囁いたジルの声は切なくて、泣きたくなるような響きをしていた。
「あなたは元の世界に帰るんです。メイディアからあなたが戻ってくる意思があると聞きました。こちらの世界になんて戻ってこなくていい」
「どうして……?」
「あなたの世界は剣も魔法もいらない。そんな平和な世界に生きるあなたを、こんな世界に縛ることはできない」
「でも、私は……」
ラベンダー色の瞳がまつ毛が触れあいそうな距離で陽葵を見つめる。
ジルの吐息が唇に触れて、陽葵は言葉を飲み込んだ。
彼の瞳が濡れていることも、吐息が震えていることにも気が付いてしまったから。
「陽葵様。あなたをもう泣かせたくない。私はあなたが幸せに生きてくれさえすれば、それでいいんです」
祈るように言ったジルが陽葵の体を抱き締める。
ジルの肩に頬を寄せて、陽葵は涙をこらえてジルの背中に手を回した。
こんな覚悟を決めた人に、何か言うことなんてできない。
ジルの陽葵を手放す決意の堅さに、陽葵は口を閉ざすしかなかった。
(ジルさんの方が、泣きそうなくせに……)
ジルの背中をそっと撫でる。
よりきつく抱き締めてくるジルは、陽葵に泣きすがる子どものようだった。




