異世界の洗礼 6
「ルーティ!」
メラスに連れられて向かったのは訓練場の隅だった。
壁際に横たわるルーティを見つけた瞬間、陽葵は悲鳴のような声をあげて、その小さな体に駆け寄る。
腕に赤いスカーフを巻かれたルーティは、傍らにひざまずいた陽葵に反応することもなく、ぐったりとしている。
弱々しい呼吸を繰り返すルーティは肩と腿に獣に食らいつかれた傷があり、かろうじて止血だけが施されている状態だった。
「これは……」
メラスが陽葵の隣で息をのむ。
ルーティは真っ白な顔色をしており、止血されるまでに相当の量を出血したことが真っ赤に染まった服からもわかる。
もうルーティは助からないかもしれない。
そんな悲壮な覚悟をしたメラスの隣で、陽葵も同様にルーティの命の灯火が消えかかっていることを悟りながらも改めて決意を固めた。
「絶対に助けるから」
杖を振るって空中に魔方陣を描き、ルーティに治癒魔法を施す。
今までの他の負傷者への治療で、相当量の魔力を使ってしまっていることを陽葵は悟っていた。
しかも、今日はよりによって魔力の補給をしてもらう予定の日だった。
生きているだけで消耗される魔力が一番少なくなっている日に、多量の魔力を消費してしまっている今、全力の治癒魔法を発動させることは自身にも危険が迫ることを陽葵はわかっていながら、ありったけの魔力を込めた。
(後悔したくないの。お願い、もう少しだけ……!)
体内の魔力が不足してきているのがわかる。
ルーティの傷口は塞がり、少しずつ顔色はよくなってきていた。
だが、あと少しの魔力が足りないかもしれない。
祈るような気持ちで、陽葵は自身の魔力を絞り出す。
視界がぐらつき、呼吸がだんだんうまくできなくなる。
どれだけ吸っても酸素が足りない感覚は、この世界に来たときのことを思い出した。
「もういい……! あんたが死んじまうぞ!」
(あと、少しだけ!)
荒い呼吸を繰り返し、冷や汗を流す陽葵にメラスが焦燥に満ちた声をあげる。
それでも陽葵はルーティに治癒魔法をかけ続けた。
ルーティの傷口が完全に塞がり、真っ白だった頬に赤みが戻る。
穏やかな寝顔になったルーティに、治癒魔法の成功を確信した陽葵が魔法陣を消して倒れそうになった体をメラスが受け止めてくれた。
「よくやった! 感謝する!」
「っはぁ、はぁ」
安堵する気持ちはあれど、陽葵は苦しさで何も言えなかった。
まるで溺れているかのように呼吸がうまくできない。
視界がチカチカと明滅し、体が末端から痺れていく。
(このまま、死んじゃうのかな……)
迫り来る死の恐怖と体を襲う苦しさに、陽葵の瞳に涙の膜が張った。
葛藤の表情を浮かべていたメラスは、その様を見て決意を固めた。
「陽葵様、悪い」
謝罪の言葉を告げたメラスが陽葵に顔を近づけてくる。
メラスは陽葵に魔力の補給をしてくれようとしているのだろう。
思考の鈍る頭でそれを理解した瞬間、陽葵の胸中に浮かんだ言葉はひとつだった。
(やだ。やだよ)
メラスが嫌いなわけではない。
むしろ親切に接してくれて、文字でのコミュニケーションが取れなかった頃から陽葵のことを理解しようと努めてくれていたメラスには感謝している。
だが、キスをするのはいやだった。
命の危機に瀕しているこんな時だというのに、陽葵はジルではない男に唇を許したくはなかった。
メラスの唇が唇に触れかけた刹那、陽葵が痺れる指先で彼の腕を押して僅かな拒否を示すとメラスはハッと動きを止める。
その一瞬の間に、陽葵の体は一瞬でメラスの腕から奪われた。
「ジルさん……」
驚愕の表情で見つめるメラスの視線の先で、ジルは陽葵に口づけていた。
背後から陽葵を抱き締めて、細いあごに片手を添えて振り返らせた姿勢で強引にキスをしたジルの魔力が陽葵に少しずつ注がれる。
陽葵のぼんやりとした視界はラベンダー色でいっぱいになる。
いつもより赤みが増しているように感じるラベンダー色の瞳には、一切の余裕はなかった。
力の限りに抱き締められた体が痛い。
唇を離して、陽葵の瞳を至近距離から覗き込んだジルの表情は怒りに満ちたものだった。
「私以外に魔力の補給をさせる気はなかったのでは?」
責めるジルの言葉を聞いた陽葵は、うまく返事ができずにゆっくりと瞬きをする。
その拍子に瞳に膜を張っていた涙がぽろっと頬に転がり、ジルは途端に表情を驚愕に染めた。
「陽葵様……?」
狼狽した様子のジルの声が元気そうであることが嬉しい。
魔力の補給もジルがしてくれてよかった。
ルーティを助けられたことにも、自分の命が助かったことにも安堵して一気に陽葵の体から力が抜ける。
既に限界を超えて魔法を使っていた陽葵はジルに抱き締められたまま、ふっと意識を手放した。




