異世界の洗礼 4
陽葵とメラスと共に昼食を食べてからジルが出て行った後、陽葵は治癒魔法の練習にいつも通り精を出した。
ジルが自らを傷つけたときは驚いたが、あの怪我を治療したことで、陽葵の治癒魔法が人間にも有効だという自信はついた。
このままの練習方法でいいのだという安心感のもと、陽葵が練習に集中していると、しばらくしてメラスが声をかけてきた。
「ジルさん、まだ来ないなぁ」
「え?」
今日は魔力の補給日であるため、ジルはまた夜に訪れてくれるはずだが、先程帰ったばかりだと陽葵は思っていた。
別の机で書類仕事をしていたメラスが窓の外を見ていたため、陽葵もそちらに目を向けると日は既に沈みかけている。
集中し過ぎていて、時間が流れていたことに全く気が付いていなかった。
「ほんとだ。もうこんな時間なんだ」
いつもならジルが訪れていてもおかしくはない時間だ。
昼まで引き留めてしまったため、もしかして仕事が切羽詰まった状況になってしまったのだろうか。
陽葵が心配していると、メラスがあごを擦って首を捻った。
「ルーティも交替に来ないし、何かあったのか……?」
確かにルーティの帰省も今日の夕方までという話だったはずだ。
いつも飄々としているメラスが深刻そうに呟くため、陽葵にも緊張が走る。
その時、レースカーテンを閉めていた窓の向こう側から知らない男達の声が聞こえてきた。
「できるだけ人員がいる! 薬もありったけ持って来てくれ! 早く!」
「はい!」
いつもは人通りも滅多になく、静かな庭から聞こえた声には鬼気迫るものがあった。
「何かあったの……?」
薬が必要ということは何か事故でもあったのだろうか。
不安に陽葵が思わず窓から身を乗り出しかけたとき、後ろからメラスに腕を引かれて止められた。
「こらこら、その黒髪が見えたら神子様ってバレちゃうだろ。隠れててくれないと」
「でも……!」
陽葵は切羽詰まりながらも机の上に置いていたスケッチブックを手に取って、そこに急いで字を書き付けてメラスに見せる。
『ジルさんとルーティが心配』
この世界にやって来てからというもの、こんな騒ぎが外から聞こえてきたのも、ジルとルーティが部屋を訪ねると言っていたにもかかわらず訪れなかったこともない。
ふたりの身に何かあったのではないかと不安を露わにする陽葵に、メラスは逡巡した様子を見せた後に陽葵を落ち着かせるように椅子に座らせた。
「ちょっと様子を探ってくる。俺はこの部屋の鍵を持ってるから、他の誰が来ても開けないでくれ」
「わかりました」
声が聞こえないメラスのために大きくうなずいて陽葵が意思を示すと、メラスは開けていた窓を閉めて鍵をかけて、速やかに廊下へと出て行った。
そわそわと落ち着かない気持ちで待つこと数分、メラスはドアを開けてゆったりとした足取りで戻ってくると、へらりとした笑みを浮かべた。
「いやぁ、大したことはない。ちょっとした事故が発生しただけで問題なさそうだ」
『本当ですか?』
「ああ、ほんと」
スケッチブックに書いた文字を見せたまま、陽葵はじっとメラスを見つめる。
いつも通りの飄々とした態度で、メラスは壁際に置かれた自分が書類仕事をしていた机の椅子にどかりと腰掛ける。
「まあ、多少怪我人は出てるらしいが、問題ない。ジルさんとルーティもそっちに取りかかってるから、今夜は俺が陽葵様の見張りになるかもな」
『魔力の補給は?』
「あー、明日になるかもしれないが、ジルさんも手が空いたら来てくれるだろ」
言いながらも足を組んだメラスのつま先がゆらゆら揺れている。
いつもはやらないその動きがどうしても気になった。
メラスはどこか落ち着いていない。
『本当ですか?』
スケッチブックに先程書いた文字を鉛筆でぐるっとまるく囲ってメラスに突きつける。
ジルもルーティもそれぞれの仕事をこなしつつ、陽葵の護衛や魔力の補給を行ってきてくれた。
そんなふたりが普段とは違う動きをしなければならないほどの事件が起きているのではないか。
陽葵は真剣な表情のままメラスを見つめる。
じっと射貫くようなまなざしをメラスも真正面から最初は受け止めていたが、やがて諦めたようにため息をついた。
「まあ、無理がある嘘か。この後ルーティが帰ってこない可能性もある」
「ルーティに何かあったの!?」
思わず叫んだ陽葵の声はメラスには聞こえていないはずだが、表情で何を言っているのか悟ったのだろう。
メラスは困ったように髪を掻き回した。
「魔物がいくつかの群れに分かれて王都に襲ってきたらしい。勤務中の騎士はもちろん、その辺にいた騎士にも招集がかかって討伐に行ったんだが、魔物が群れるってだけでも異例なのに、その強さが異常だったそうだ。多くの騎士が重症で運び込まれてて、ルーティもその中のひとりってことだ。ジルさんは今、急遽魔物の討伐に向かってる」
陽葵は全身の血の気が引くのを感じた。
帰省していたルーティは帰って来て騒動に気付き、他の騎士と共に戦場に向かったのだろう。
そこでルーティが重症を負ったのなら、ジルもどうなるかわからない。
事故で両親を亡くしたときのことを思い出した。
葬儀の場で姉の凜と手を繋ぎ、自分の無力さを幼い陽葵は嘆いた。
大切な人を守れる力がほしい。
人の助けになりたい。
その想いで陽葵は治癒魔法を学んだのだ。
覚悟を決めた陽葵はスケッチブックにひと言書き付ける。
『マント貸してください』
「マント? なんでだ?」
唐突な陽葵の願いにメラスは驚いていたが、陽葵はメラスの元に歩み寄ってマントを引っ張る。
強引な陽葵に負けた様子で、「わかったわかった」と言いながらメラスが脱いでくれたマントを陽葵は羽織る。
ジルよりも体格のいいメラスのマントは、いつもジルが貸してくれるマントよりも大きい。
ぶかぶかのフードを深く被った陽葵は、メラスが止める隙もなく廊下へと続くドアを開けた。
「あ、おいこら!」
追いかけて来たメラスが陽葵の腕を掴んで即座に止めてくる。
「外に出ていいのはジルさんと一緒のときだけだろう!?」
『でも、私も力になれるかもしれない』
「だめだ!」
『そのために治癒魔法を学んできました』
引き留めるメラスに、陽葵はスケッチブックに強い筆致で想いを書き付ける。
迷っている様子のメラスを見つめて、陽葵は聞こえないとわかっていても懇願した。
「お願いします、メラスさん。私は今行かなかったら、きっと一生後悔します」
メラスがぐっと眉を寄せる。
唇を噛んで目を強く閉じ、悩み抜いた末にメラスは「よし!」と大きな声をあげた。
「わかった! だけど、俺は傍にいさせてもらうからな。それだけは絶対だ。それと、後からジルさんに怒られるのも一緒だ。いいな!?」
「はいっ!」
「怪我人が運び込まれてるのは訓練場だ。急ぐぞ」
メラスがドアを開けて先導してくれることに、陽葵はこんな時だが喜びを感じる。
祝福の神子か、災禍の神子か。
判断がつかない陽葵のことをメラスは信じてくれているのだということが伝わって、この信頼に応えたいと強く感じた。




