異世界の洗礼 2
「きゃあっ!?」
「ええっ!? ジルさん!?」
「あなたの傷でも私の傷でも同じ傷でしょう。治してみてください」
驚愕する陽葵とメラスなど気にもせず、ジルは血が流れる手首を陽葵に差し出してくる。
陽葵は慌てて机の上に置いていた杖を手に取り、空中に魔法陣を描いた。
花の傷はこの魔法陣で治すことができた。
理論上、ジルの傷も治せるはずだ。
ジルの白い手首を伝って流れる真っ赤な血に急かされる気持ちになりながらも、陽葵が魔法陣の中心を杖の先で軽く叩いて治癒魔法を発動させると、緑に輝く光の粒がジルの傷口へと吸い込まれるように注がれていく。
陽葵がジルの手を取り、ハンカチでジルの手首の傷を拭うと、開いていた傷口はしっかり塞がれていた。
「よ、よかったぁ……!」
「ほう、たいしたもんだなぁ」
安堵する陽葵の肩をぽんぽんと叩いてメラスが褒めてくれる。
一瞬気が抜けかけた陽葵だったが、ジルはじっとまだ怒った目をして陽葵を見ていた。
「怖かったですか?」
「それはもう! びっくりしました! もうやめてくださいね!?」
「同じことをあなたはしようとしていたのに?」
「あ……」
冷静なジルの指摘に陽葵は気持ちが萎むのを感じた。
ジルの言う通りだ。
自分を自分で傷つける行為は、見ている者の胸も痛めることが身をもって理解できた。
「陽葵様の治癒魔法が人間にも効果的なものであることは、これで立証されました。もう自分を傷つけようなんて真似は絶対にしないように。わかりましたね?」
「わかりました」
しゅんとしながら陽葵はうなずく。
ジルのお説教がもっともな内容だっただけに、重たくなってしまった空気をどうしていいのかわからない。
どうしようかと陽葵が困っていると、微妙な沈黙を割くようにメラスが明るい声を上げた。
「まあまあまあ、ジルさんももう不機嫌は収めてくださいよ。陽葵様の治癒魔法がすごいもんだって信じてたから、ジルさんも手首切るなんて大胆な真似したんでしょ。怒りっぱなしじゃなくて褒めてあげてもいいんじゃないんですか?」
「メラス、おまえ陽葵様に対して近すぎないか? いつからそんなに仲よくなった?」
雰囲気を明るくするためだろう。
軽い調子で言いながら陽葵の肩を抱いてきたメラスにされるがままにされていた陽葵は目を瞬かせてメラスを見た。
目が合ったメラスはにんまりといたずらっぽく笑ってみせる。
「そりゃ二人きりでずっと過ごしてるんですから、仲よくもなりますよ。ねえ?」
「メラスさんは楽しい人ですし、ねえ?」
メラスがなぜこんなにからかうような顔をしているのかは謎だが、陽葵はメラスが親しげに触れてくることに一切の嫌悪感はなかった。
にっこり笑って許容していることを伝えると、ジルは眉間にしわを寄せて青筋を立てた。
「陽葵様。あなたの世界ではどうだか知りませんが、男はみんな野獣です。全員下心があると思って、警戒してください」
「その理論だとジルさんもあるってことになるなあ」
「……」
早口に言ったジルの揚げ足を取ったメラスは、黙り込んでしまったジルにがははと楽しそうに笑う。
ふざけあう二人の様子に陽葵も笑っていたが、ジルはメラスの腕を掴んでべりっと陽葵から剥がした。
「いいからおまえはもう下がれ」
「はい? 今夜は俺が見張りの予定だったでしょうよ」
「そうですよ。今夜はルーティが帰省してるんです」
基本的には騎士団宿舎で生活しているルーティだが、数ヶ月に一度は実家に顔を出しているらしい。
そのことを知っていたメラスが気を遣って、夜にルーティがこの部屋の続き部屋で行っている護衛を代わることを申し出たのだ。
ジルも夜間の護衛を交代することに許可を出したはずだが、なぜかメラスの広く大きな背を押してドアの方へと追いやってしまう。
「許可はしたが気が変わったんだ。やはり私が今夜は続き部屋で過ごす。おまえは帰れ」
「いつもはそんな理不尽言う人じゃないでしょう、あんたは。どうしちゃったんですか? え?」
「今すぐそのにやけ面をやめろ」
ニヤニヤしているメラスの背をばしりとジルが叩く。
突然気が変わったなんて言うジルのわがままにメラスは応じるようで、ジルに背を押されたまま陽葵を振り返った。
「そういうことみたいなんで、今夜はこれで失礼します」
「ええ……、メラスさん行っちゃうんですか?」
「私ではいやだと?」
「そんなことないですけど……、なんか緊張するなって」
陽葵は唇をわずかに尖らせる。
続き部屋とはドア一枚しか隔たりがない。
そのことをメラスが続き部屋で過ごすと思っていたときはなんとも思わなかったのに、ジルが続き部屋で過ごすとなると気になった。
なぜか無性に緊張してしまう。
正直に陽葵が思いを吐露すると、ジルは動きを止め、メラスはこそこそとジルに言った。
「よかったですね、ジルさん」
「俺は何も言ってないだろう」
「伊達に副隊長として右腕やってませんよ。俺はなんでもお見通しなんで」
「なら、余計なことを言う前に今夜は帰れ」
「はいはい。それじゃあ、失礼します」
楽しそうにしながらメラスは部屋を出て行き、ドアが閉まると室内に沈黙が落ちる。
こほんと咳払いをしたジルがくるりと陽葵を振り返った。
「私は男ですが、許可なくあなたに手出しするようなことはありませんから、安心して眠ってください」
「は、はい。わかってます」
緊張すると言った陽葵を安心させるためにジルは言ってくれたのだろう。
陽葵がこくこくうなずくと、ジルは陽葵が落ち着けるようにお茶をしようと誘ってくれた。
応じた陽葵はお茶をするために机の上を片付けながら、ぼんやりと考える。
(許可したら、なにされちゃうんだろ)
ドキドキと鼓動が速まり、はじまりかけたあらぬ妄想を首をぶんぶん横に振って振り払う。
ジルが淹れてくれたハーブティーが心を落ち着けてくれるのが、よくわかる夜だった。




