学びの喜び 1
陽葵は塾に通ったことがない。
学校の授業は聞いていれば全てを理解できたし、学校の行き帰りで単語帳を捲っていれば英単語も簡単に覚えられた。
異世界の言語も同様だ。
特別難しい文法もないため、陽葵にとってはちょっとした暗号のようなものにしか感じられない。
ルーティに頼んで買ってきてもらった辞書をあっという間に覚えてしまった陽葵は、スケッチブックに簡単な文章を書いてルーティに見せた。
『魔法に関する本がほしいです』
どの程度の言語力を身に着けていれば、ジルがぎゃふんと言うのかはわからなかったが、今の陽葵ならある程度の本は辞書を引きつつ読めるはずだ。
陽葵の文章を読んだルーティは猫のような目をじとりと細めた。
「あたしは剣士だから、魔法の本なんて知らない。今夜来るだろうし、ジル様に聞いたら?」
ジルは夜の散歩にでかけてから陽葵の元を訪れていないが、確かに今夜は陽葵に魔力の補給が必要であるため必ず訪れるだろう。
しかし陽葵は目を瞬かせる。
陽葵は隊長であるジルが魔法使いだったため、ルーティもメラスも日頃から剣を提げているとはいえ魔法が使えるのだと思っていた。
『みんなが魔法を使えるわけじゃないの?』
「魔法は努力も必要だけど、才能がないと完全に無理。ジル様みたいに魔法陣を省略できる魔法使いなんて、他にはメイディア様くらいよ」
何故か我がことのように得意げに言うルーティに、陽葵はふむ、と考える。
魔法陣を省略というのがなんのことか陽葵にはまだわからないが、ルーティにこうして書き文字とはいえ言葉を伝えられるようになった今、どうしても確認しておきたいことがあった。
(どうしよう。聞いていいかな)
「なに?」
スケッチブックの上で陽葵が鉛筆の先を彷徨わせていると、それに気付いたルーティが怪訝そうに尋ねてくる。
聞くか否か迷っていることがバレてしまっている以上、発言を引っ込める方が嫌な感じがしてしまう。
陽葵は思いきって、鉛筆をスケッチブックに走らせた。
『ルーティは、ジルさんのことが好きなの?』
「はっ!?」
『好き』と書いたあたりで窓際の机の上に置いていたスケッチブックを覗き込んでいたルーティが素っ頓狂な声を上げた。
ルーティは驚愕しているようだが、陽葵は密かにずっと聞いておかなければいけないと思っていたことだ。
今でこそ少々丸くなったが、陽葵に対するルーティの態度はひどく冷たいものだった。
その理由が、陽葵が魔力の補給のためとはいえジルと7日に一度キスをする関係にあることなのであれば、陽葵は今後ルーティの優しさにできる限り甘えないようにしなければならない。
ルーティがジルに恋をしているのなら、陽葵はルーティにとってとんでもなくズルい存在だろう。
嫌われてしかるべき立場だ。
ルーティを傷つけないためにも、陽葵はジルに好意があるのかをどうしても確認しておきたかった。
顔色を窺うと、ルーティの顔は真っ赤になっている。
やはり、と陽葵がルーティと仲よくなることを諦めかけた瞬間、ルーティはバンと勢いよく机に両手を突いた。
「そんなわけないでしょっ!?」
「そうなの!?」
陽葵は思わず、ルーティには聞こえない声をあげて驚愕してしまう。
そうなのではないかとずっと疑念を抱いていた陽葵にとって、ルーティの返事は予想外のものだった。
「あ、あたしはジル様に感謝してるだけで恋なんてしてない!」
「照れ隠しじゃなくて……?」
「なんて!?」
咄嗟に声に出して聞いてしまった質問を、慌てて陽葵はスケッチブックに書き記す。
陽葵が見てきたアニメや漫画では、ルーティのようなキャラはこういう照れ隠しをするタイプが多かった。
「照れ隠しじゃない! ほんとよ!」
ルーティはそう言うが、顔は真っ赤なままだ。
「ほんとにぃ?」という疑いを胡乱なまなざしを送ることで伝えると、ルーティは赤い顔のまま不快そうに眉を寄せた。
「あんたは知らないでしょうけど、騎士団ってほんっとに男社会なの。女なんてほぼいないわけ。しかもあたしは貴族出身でも何でもないから、ばかにされまくり。実力ない連中にナメられることにムカついてたときに、ジル様が声をかけてくれてノワールに所属できた。そのお陰でまともに騎士として働けるようになって、実家に5人いる弟と妹がちゃんとごはん食べて勉強もさせられる仕送りができるようになったの。感謝して当然でしょ」
『ルーティは、ジルさんを敬愛してるんだ?』
「そうよ、敬愛! 恋愛感情なんてないッ!」
早口に語るルーティのジルへの感謝の気持ちは理解した。
だが、真っ赤な顔が説得力を欠けさせる。
うーん、と陽葵は眉を寄せると、スケッチブックに意を決して質問を書いた。
『なんで真っ赤なの?』
「なっ、あ、こ、こういう話、したことないから、仕方ないでしょ! 女友達もいたことないし!」
オロオロしながら答えたルーティに、陽葵はパッと笑顔になる。
そして、嬉々としてスケッチブックに書いた文字で尋ねた。
『じゃあ、私が初めての女友達でもいい?』
「……あたしと、あんたが?」
(いやかな……?)
ルーティは眉を寄せてまじまじとスケッチブックの文字を見つめている。
最初よりは心の距離が縮まったと思っていたが、勝手に友人とするには早かったのかもしれない。
拒否されてもショックを受けないように身構えていると、ルーティはギギギと音が出そうなほどゆっくり陽葵を振り向いた。
「あたし、あんたに大嫌いって言ったわよね?」
陽葵はうなずく。
はじめてルーティと二人きりになったときに、確かに言われた。
——そんな寂しそうな顔して、男の気でも引くつもり? あたし、そういう女大っ嫌いだから。
あの時は悲しかったが、ルーティの事情がわかった今なら心境も理解できる。
男社会の中で、小柄な少女であるルーティは多くの辛酸をなめてきたのだろう。
それでも諦めずに努力した結果ノワールに所属できたルーティは、きっと弱いだけの陽葵がいやだったのだ。
「あれを……、謝りたかったの」
「え」
「ジル様が来てるときは、さすがに気まずいし聞かないようにしてるけど、特に最初のうちは物音に気を付けてて……、あんたが泣いてるの、わかったから」
ルーティは陽葵の護衛のために壁一枚向こう側の続き部屋で夜は過ごしている。
陽葵が声を殺して泣いていることに、ルーティが気付いても不思議ではなかった。
赤い顔のまま、ルーティは気まずそうに目を逸らす。
「ジル様以外に声も聞いてもらえない異世界に来て、不安で寂しかったに決まってる。それなのに、あたし、あんたは神子だから平気なんだって思ってた。……ごめん」
ルーティが仏頂面の裏側でそんな風に思ってくれていたなんて知らなかった。
感動しつつも、陽葵が『気にしてないよ』とスケッチブックに書いて見せると、ルーティはため息をついた。
「気にしなさいよ。あたしだったら許してないし」
『もう私のこと嫌いじゃないんでしょ?』
ルーティは本当に猫のようだ。
かわいらしいツンデレぶりに、陽葵はにこにこしながら問いかける。
ルーティは一瞬言葉に詰まってから、ぎこちなくうなずいた。
「……こんな数日間で文字をここまで覚えるなんて思ってなかった。しかも、あんたは魔法まで挑戦してみようとしてる。あんたは、あたしの嫌いな守られるだけの弱い女じゃない」
『じゃあ、はじめての女友達だね』
にっこりと笑みを深めて覗き込むと、ルーティは目が合った瞬間今までで一番真っ赤になった。
「ッ……そうね」
『やったー!』
スケッチブックいっぱいにでかでかと書いた喜びの文字にルーティは赤い顔のまま、眉を下げて困ったように笑う。
初めて見たルーティの笑顔はキュンとするほどかわいかった。




