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募る不安

授業は、いつもの朝と変わらず始まった。


先生は新しい単元について説明しながら、黒板に文字を書き続けている。


チョークが黒板を滑る音が教室に響いていた。


俺は授業に集中しようとしていた。


本当に集中するつもりだった。


それなのに――。


数分おきに、視線が窓際へ向かってしまう。


そこにあるのは、空席だった。


誰も座っていない。


完全に空っぽだった。


不思議なものだと思った。


たった一人がいないだけで、教室の雰囲気がこんなにも変わってしまうなんて。


舞夜は決して目立つタイプではない。


いつも騒いでいるわけでもない。


それでも、彼女の存在は日常の一部になっていた。


そして、その日常は静かに崩れ始めていた。

「南」


先生の声が聞こえた。


俺は慌てて顔を上げた。


先生は穏やかな表情でこちらを見ている。


「この問題に答えてくれる?」


「えっ……?」


一瞬、頭の中が真っ白になった。


黒板を見る。


けれど、何について話していたのかまったく分からなかった。


教室のあちこちから、小さな笑い声が聞こえてくる。


「すみません……。少し考え事をしていました」


先生は小さくため息をついた。


しかし、その表情には怒った様子はなかった。


「それは分かっています」


そう言うと、再び黒板に向き直った。


「次からは、ちゃんと授業に集中してくださいね」


「はい」


俺は小さく返事をした。


席に座り直す。


すると、隣に座っていた松が少しだけ身を乗り出してきた。


「どうした?」


誰にも聞こえないような小さな声だった。


「別に」


「嘘だな」


「どうしてそう思うんだよ」


松は呆れたように笑った。


「朝からずっと八神の席を見てるからだよ」


言葉に詰まった。


反論できなかった。


なぜなら、その通りだったからだ。


しかも、自分ではまったく気づいていなかった。


それが余計に気になった。

一時間目が終わるチャイムが鳴った。


その瞬間、教室はいつもの賑やかさを取り戻した。


廊下へ向かう生徒。


席に残って友達と話し始める生徒。


あちこちから笑い声が聞こえてくる。


そんな中、結衣が真っすぐ俺たちのところへ歩いてきた。


朝よりも表情が硬い。


「もう一度メッセージを送ってみたの」


松がすぐに尋ねた。


「返事は?」


結衣はゆっくりと首を横に振った。


「まだ何もない」


「電話はしたのか?」


「したよ」


「それで?」


一瞬、彼女は言葉に詰まった。


そして、小さな声で答えた。


「電源が切れてるみたい」


その言葉を聞いた瞬間、誰も口を開かなかった。


短い沈黙が流れる。


舞夜が日中に携帯電話の電源を切ることなんて、ほとんどなかった。


胸の奥が少しずつ重くなっていく。


「今朝、体調が悪かったのかもしれないな」


自分自身を納得させるように、俺はそう言った。


「そうかもしれないね」


結衣は答えた。


けれど、その声には迷いがあった。


結衣は誰よりも舞夜のことをよく知っている。


そんな彼女が不安そうな表情を浮かべている。


その事実が、余計に俺の心を落ち着かなくさせていた。

その後の授業は、信じられないほど長く感じられた。


時計の針がなかなか進まない。


そんな気さえした。


教室の扉が開くたびに、俺は反射的に顔を上げていた。


もしかしたら――。


そんな期待が、どこかにあったのかもしれない。


遅れて教室に入ってくる舞夜の姿を想像する。


小さく頭を下げながら、「遅れてごめんなさい」と言う姿を思い浮かべる。


けれど、その光景が現れることはなかった。


授業は淡々と進んでいく。


先生の説明も、黒板に書かれる文字も、ほとんど頭に入ってこなかった。


窓際の席だけが、まるで時間から切り離されたように静かだった。


そして、昼が近づいても、その席に変化はなかった。


空席のままだった。


その事実が、少しずつ俺の心を締めつけていた。


理由は分からない。


それでも、不安だけが静かに大きくなっていった。

昼休みになった。


俺たちはいつもの席に集まって昼食を取ることにした。


しかし、いつもの雰囲気とはまったく違っていた。


松はトレーをテーブルの上に置くと、小さくため息をついた。


「なんか、だんだん落ち着かなくなってきたな」


「俺もだ」


自然とそんな言葉が口をついて出た。


結衣は何も言わなかった。


両手でスマートフォンを握りしめたまま、じっと画面を見つめている。


画面には、最後に送ったメッセージが表示されたままだった。


未読。


それどころか、メッセージが届いているのかどうかさえ分からない状態だった。


結衣は静かにスマートフォンをしまった。


そして、ゆっくりと顔を上げた。


「放課後になったら...」


言葉を選ぶように小さく息を吸う。


「舞夜の家に行ってみる」


松が驚いたように目を見開いた。


「一人で行くのか?」


「うん」


結衣は迷うことなく答えた。


その表情からは、彼女の強い意志が伝わってきた。


俺は二人の顔を見ながら、小さく息を吐いた。


胸の奥にある不安は、もう無視できるほど小さなものではなくなっていた。

「放課後になったら、一緒に行こう」


気づけば、そんな言葉が口から出ていた。


結衣と松が同時に俺を見た。


「大輝...」


結衣が小さく俺の名前を呼んだ。


俺はゆっくりとうなずいた。


「一人では行かせないよ」


数秒間、結衣は何も言わなかった。


それから、ほんの少しだけ表情を和らげた。


「ありがとう」


松も小さく息を吐いた。


「そうだな。そのほうがいいかもしれない」


なぜこんなに落ち着かないのか、自分でも説明できなかった。


ただ、朝から胸の奥に引っかかっているものがあった。


時間が経つにつれて、その感覚は少しずつ強くなっている。


まるで、何かが起ころうとしているようだった。


窓の外へ視線を向ける。


青空は変わらず穏やかだった。


けれど、俺の心は少しも落ち着いていなかった。


放課後。


舞夜の家の扉を開けた瞬間、何かが変わる。


そんな予感がしていた。


そして、その予感はきっと間違っていない。


俺はまだ知らなかった。


その日が、これまでの日常を大きく変える一日になることを。

第九十九話を読んでくださって、ありがとうございました。


舞夜の不在は、ただの欠席ではありませんでした。


返事のないメッセージ。


つながらない電話。


そして、誰も説明できない胸騒ぎ。


少しずつ積み重なっていく不安が、いつもの日常を静かに変え始めています。


放課後、彼らを待っているものとは何なのか。


次回もぜひお楽しみください。

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