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秋の記憶

陽人先輩と別れた後――。


図書室は、再び静かな空間へと戻った。


舞夜は、原稿の入ったファイルを丁寧に閉じる。


それでも、まだ先輩の言葉について考えているようだった。


「……『物語は、読者の中で生き続ける』」


舞夜は、小さな声で繰り返した。


「素敵な言葉ですね」


俺は頷いた。


「うん」


「確かに、読み終わった後も何日も考えてしまう本ってあるよな」


舞夜は微笑む。


「私も、いつかそんな物語を書いてみたいです」


「有名になりたいわけじゃありません」


「ただ――」


「本を閉じた後も、誰かの心に残っていてほしいんです」


俺たちは、しばらく黙っていた。


すると――。


舞夜が興味深そうに俺を見る。


「南くん」


「ん?」


「今日の文学の授業では、何を書いたんですか?」


俺は驚いて瞬きをした。


「俺?」


「はい」


「秋の思い出について書く課題でしたよね」


俺は少し恥ずかしそうに頭を掻く。


「別に……読んでも面白くないと思うけど」


舞夜は、少しだけ頬を膨らませた。


「それ、答えになっていません」


思わず小さく笑ってしまう。


「分かったよ……」


「でも、笑わないでくれよ」


舞夜は右手を上げた。


「約束します」


俺はノートから、折り畳んだ数枚の紙を取り出す。


そして、舞夜に差し出した。


舞夜は、それを受け取る。


まるで大切な原稿を受け取るかのように、両手で丁寧に。


そして――。


静かに読み始めた。

その物語は、とても短いものだった。


幼い頃の俺が、妹の妙子と一緒に、学校の宿題のために色々な葉を集めた日のことを書いていた。


最初、俺は文句を言っていた。


そんなことをして何になるんだと思っていた。


けれど――。


公園を歩いているうちに、妙子は拾った葉っぱ一枚一枚に、勝手に物語を作り始めた。


赤い葉は、冒険をする少女。


黄色い葉は、旅に出ることを夢見るお姫様。


茶色い葉は、森の秘密をすべて知っている老賢者。


妙子は、見つけるたびに嬉しそうに話していた。


俺は最初こそ呆れていた。


でも――。


いつの間にか、俺もその話を聞くのが楽しくなっていた。


そして、物語の最後には、こんな文章を書いた。


「その日、俺は気づいた。


幸せな思い出は、いつも特別な出来事から生まれるわけじゃない。


誰かが、何気ない一日を一緒に過ごそうとしてくれる。


そんな小さなことから始まるのだと。」


舞夜は最後まで読み終えると――。


すぐには何も言わなかった。


もう一度、最後の二行を読み返す。


そして――。


ゆっくりと顔を上げた。

舞夜は、しばらく黙ったままだった。


そして――。


小さく息を吐いてから、微笑んだ。


「……とても好きです」


俺は少しだけ安心した。


「本当に?」


舞夜は頷く。


「はい」


「すごく好きです」


「どうして?」


そう尋ねると、舞夜は少し考えてから答えた。


「南くんは、誰かの真似をして書こうとしていないからです」


「ちゃんと、自分の言葉で書いています」


俺は何も言えなかった。


そんなことを考えたことは、一度もなかった。


舞夜は、もう一度さっきの文章を見ながら続ける。


「南くんの文章って、とても穏やかなんです」


「読んでいると……」


「その日の妙子ちゃんとの時間が、目の前に浮かんでくるみたいでした」


俺は少し照れながら笑った。


「本当にあったことだからな」


舞夜は、俺が渡した紙を丁寧に揃える。


そして――。


「これからも、書いてください」


「え?」


「作家にならなくてもいいです」


「それでも、書き続けてほしいです」


舞夜は穏やかな表情で俺を見る。


「南くんには、思い出を大切に残す書き方ができると思います」


頬が少し熱くなった。


最近――。


舞夜は、自分でも知らなかった俺の一面を見つけてくれる。


それが、なんだか不思議だった。

俺が紙を受け取って鞄へしまうと――。


舞夜は、何かを思い出したように「あっ」と声を上げた。


「そういえば!」


舞夜はファイルの中へ手を入れる。


そして――。


一枚の小さなチラシを取り出した。


「陽人先輩から聞いたんですけど、文学部で数週間後に朗読会を開くそうです」


「朗読会?」


「はい」


「部員が、自分で書いた短編を他の生徒たちの前で読むんです」


俺は少し驚いた。


「舞夜も参加するの?」


舞夜は少しだけ視線を落とした。


「……まだ決めていません」


「大勢の前で話すのは、やっぱり少し怖くて」


舞夜の指が、チラシの端をそっと撫でる。


俺は数秒考えた。


そして――。


笑った。


「もし参加するなら――」


「俺も行くよ」


舞夜が顔を上げる。


「……本当に?」


「もちろん」


「後ろのほうの席でもいいから、ちゃんと聞いてる」


「南くん……」


舞夜は驚いたように俺を見つめる。


「私のためだけに来てくれるんですか?」


「まあ――」


俺は少し照れながら答えた。


「もう舞夜の最初の読者だからな」


「最初の朗読を聞かないっていうのも変だろ」


舞夜は、思わず小さく笑った。


「……そうですね」


そして――。


チラシを胸元に抱える。


「じゃあ……」


「頑張って、勇気を出してみます」


その表情には、まだ少し不安が残っていた。


それでも――。


先ほどより、ほんの少しだけ前を向いているように見えた。

俺たちは、読み終えた本を元の場所へ戻すために、ゆっくりと本棚へ向かった。


舞夜は、さっきのチラシを大切そうにファイルへしまっている。


「朗読会……」


舞夜が小さく呟く。


「やっぱり、少し緊張します」


「無理に決めなくてもいいんじゃない?」


俺が言うと、舞夜は少し考えた。


「……そうですね」


「でも――」


舞夜は、チラシをしまったファイルを胸に抱える。


「いつかは、自分の言葉を誰かの前で届けてみたいです」


「南くんに読んでもらうだけじゃなくて……」


「もっと多くの人に」


その言葉には、以前よりも強い意志があった。


俺は笑った。


「だったら、少しずつ慣れていけばいいよ」


「最初から完璧じゃなくていい」


舞夜は俺を見る。


そして――。


小さく頷いた。


「はい」


「そうします」


本を棚へ戻し終える。


俺たちは図書室の出口へ向かった。


扉の前で、舞夜がふと足を止める。


「南くん」


「ん?」


「今日、私の文章を読んでくれてありがとうございました」


「それに――」


少しだけ照れたように笑う。


「私の朗読を聞いてくれるって言ってくれたことも……」


「すごく嬉しかったです」


俺は笑った。


「まだ参加すると決まったわけじゃないだろ」


「それでも、応援するよ」


舞夜は嬉しそうに頷いた。


「……はい」


その笑顔を見ながら――。


俺も、彼女がいつか大勢の前で自分の言葉を読む姿を見てみたいと思った。

図書室を出ると――。


廊下には、夕方の柔らかな光が差し込んでいた。


俺たちは並んで歩きながら、校舎の出口へ向かう。


「そういえば――」


俺は舞夜を見る。


「今日の授業で書いた話、読んでもらえてよかったな」


舞夜は微笑んだ。


「はい」


「最初は、南くんがどんな文章を書くのか少し気になっていました」


「でも、読んでみたら……」


「すごく南くんらしい文章でした」


「俺らしい?」


「はい」


舞夜は小さく頷く。


「派手じゃないけど、読んでいると温かい気持ちになります」


「きっと、南くんが人との時間を大切にしているからだと思います」


俺は少し照れながら前を向いた。


「そんな大したものじゃないよ」


「それでも――」


舞夜は穏やかに笑った。


「私は、そういうところが好きです」


「……え?」


思わず足が止まりそうになる。


けれど、舞夜はすぐに続けた。


「文章のことですよ」


「あ……」


俺は少しだけ安心して、同時に妙な恥ずかしさを感じた。


舞夜も頬を赤くしながら、前を向く。


「……変な言い方になってしまいました」


「いや……」


「俺も、舞夜のそういうところは好きだよ」


言ってから――。


自分で何を言ったのかに気づいた。


舞夜も目を丸くする。


二人の間に、短い沈黙が流れた。


「……ありがとうございます」


舞夜は小さく笑った。


その笑顔を見ながら――。


俺は、さっきまで読んでいた彼女の物語を思い出した。


誰かの言葉が、別の誰かの背中を押す。


そんな小さな出来事が、少しずつ人を変えていく。


もしかしたら――。


今の俺たちも、そうなのかもしれない。


図書室の窓から見えた夕暮れの空は、いつの間にか少し暗くなっていた。


俺たちは、そのまま並んで歩き続けた。


そして――。


数週間後。


舞夜が自分の言葉を大勢の前で読む日が来ることを、俺はまだ知らなかった。

第八十二話を読んでくださって、ありがとうございました。


今回は、南くんが初めて自分の書いた物語を舞夜に読んでもらいました。


いつもは舞夜の言葉を受け取る側だった南くん。


でも今回は、舞夜が彼の言葉を受け取る側になりました。


そして――。


舞夜にも、新たな挑戦が待っています。


数週間後に行われる朗読会。


果たして舞夜は、大勢の前で自分の言葉を届けることができるのでしょうか。


それでは、次の話でお会いしましょう。

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