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言葉を綴る場所

舞夜は、教室を出てきた時には、入っていなかったファイルを胸に抱えていた。


俺の姿を見つけると――。


その表情が明るくなる。


「お待たせして、ごめんなさい」


俺は立ち上がった。


「そんなに待ってないよ」


「どうだった?」


舞夜は数秒間、答えなかった。


ただ、文学部の扉を静かに見つめる。


そして――。


微笑んだ。


「たぶん……」


「私が、もっと成長できる場所を見つけました」


その声は、いつもとは少し違っていた。


以前よりも、自信が感じられる。


「じゃあ、気に入ったんだ?」


舞夜は嬉しそうに頷いた。


「はい」


「とても」


「みなさん、とても優しくしてくれました」


「短編をいくつか読んで、どうすれば小さな描写で感情を伝えられるのかについても話したんです」


そこで、少しだけ言葉を止める。


「それから――」


「次の活動までに、自分で書いた作品を一つ持ってきてほしいと言われました」


俺は笑った。


「きっと、みんな気に入ってくれるよ」


舞夜は小さく首を横に振る。


「そうだといいんですけど……」


「でも、もし気に入ってもらえなくても――」


舞夜は前を向きながら、穏やかに笑った。


「きっと、たくさんのことを学べると思います」


俺たちは、そのまま学校の出口へ向かって歩き始めた。


舞夜は今日、文学部であったことを一つずつ話してくれた。


その声は――。


いつもより少しだけ楽しそうだった。

陽人先輩は――。


「物語は、大きな展開がなくても人の心を動かせる」


そう言っていた。


時には、何気ない会話だけでもいい。


あるいは――。


言葉が途切れる、その瞬間に意味が生まれることもある。


「なんだか、舞夜が書いている物語そのものみたいだな」


俺がそう言うと、舞夜は小さく笑った。


「私も、少し似ていると思いました」


「陽人先輩にも、同じようなことを言われました」


「やっぱり?」


「はい」


舞夜は楽しそうに頷く。


「だから、もっといろいろ書いてみたくなったんです」


その言葉を聞いて――。


俺も自然と笑っていた。


舞夜にとって、文学部はただ小説を書く場所ではない。


自分の言葉を見つけるための場所なのかもしれない。


そして――。


それが、彼女にとって新しい一歩になっていくのだろうと思った。

校門まで来ると――。


舞夜は、胸に抱えていたファイルを開いた。


中から取り出したのは――。


クリーム色の表紙をした、小さなノートだった。


とてもシンプルなデザイン。


表紙に描かれているのは、一枚の羽根だけだった。


「それ、何?」


俺が尋ねる。


「文学部から、新入部員に渡されるノートです」


「アイデアを書き留めるためのものなんだそうです」


舞夜は、そのノートを大切そうに両手で持つ。


「陽人先輩が言っていました」


「物語は、思いがけない時に生まれることがあるって」


「だから――」


「思いついた時にすぐ書かなければ、いつの間にか消えてしまうこともあるそうです」


舞夜はノートを開いた。


最初のページの隅に――。


青いインクで、一つの言葉が書かれていた。


『言葉は、耳を傾ける人のもとへ、自分の道を見つけていく。』


舞夜は、その文章を小さな声で読み上げた。


そして――。


ゆっくりとノートを閉じる。


「……好きです」


「この言葉」


「じゃあ、これからずっと持ち歩くの?」


「はい」


舞夜は嬉しそうに微笑んだ。


「いつでも、何か思いついた時に書けるように」


「すぐにいっぱいになりそうだな」


俺が冗談っぽく言うと――。


舞夜は小さく笑った。


「そうなったら……嬉しいです」


その笑顔を見ながら――。


俺も、いつかそのノートがたくさんの言葉で埋まっていくのを見てみたいと思った。

帰り道は――。


いつもより静かだった。


木々の葉が、冷たくなり始めた風に揺られている。


少しずつ、秋が近づいているのが分かる。


俺と舞夜は、しばらく何も話さずに歩いていた。


けれど――。


その沈黙は、もう気にならなかった。


むしろ、自然だった。


しばらく歩いたところで、舞夜が足を止める。


「南くん」


「ん?」


舞夜は俺の目をまっすぐ見た。


「今日は、待っていてくれてありがとうございました」


「たいしたことじゃないよ」


「そう思うかもしれません」


舞夜は少しだけ笑った。


「でも……」


「南くんがそこにいてくれるって思えたことが、すごく心強かったんです」


俺は少しだけ頬が熱くなるのを感じた。


「……約束したから」


「それだけだよ」


舞夜は小さく頷く。


「はい」


「だからこそ……嬉しいんです」


その言葉を最後に――。


俺たちは、いつものように別れ道まで歩いた。


「また明日」


「また明日」


舞夜は小さなノートを胸に抱えたまま、ゆっくりと歩いていく。


俺は、その背中をしばらく見送った。


そして――。


気づかないうちに、自分も笑っていた。


舞夜と出会ってから――。


彼女が笑う回数が、少しずつ増えている。


そして、不思議なことに――。


俺自身も、以前より笑うことが増えていた。

その日の夜――。


文学部の部室では、部員たちが帰った後も、陽人が一人で本棚を整理していた。


机の上には、今日使った資料がいくつか並んでいる。


その時――。


部屋の入口から、女性の声が聞こえた。


「陽人くん」


振り返ると、そこには文学部の顧問を務める先生が立っていた。


「もうみんな帰った?」


「はい」


陽人は本を棚へ戻しながら答える。


「ところで――」


先生は少しだけ微笑んだ。


「今日の新入部員は、どうだった?」


陽人は手を止める。


そして、少し考えてから答えた。


「才能はあります」


「それは、以前から分かっていました」


先生は静かに頷く。


「じゃあ、何が気になっているの?」


陽人はしばらく黙っていた。


やがて――。


ゆっくりと口を開く。


「……あの子には、自分自身の言葉を書いてほしいんです」


先生の表情が少しだけ変わった。


「自分自身の言葉?」


「はい」


陽人は窓の外を見る。


もう、空は暗くなっていた。


「過去に何があったのかは、本人にしか分かりません」


「でも――」


「ずっと何かを背負ったまま書いている

先生は、しばらく黙っていた。


そして――。


静かに頷く。


「そうね」


「この場所が、あの子にとって新しい始まりになればいいわね」


陽人も頷いた。


「はい」


「過去を消すことはできません」


「でも――」


陽人は部室の机の上に置かれた、舞夜へ渡した小さなノートを見る。


「これから書く言葉は、自分で選ぶことができます」


先生は、その言葉を聞いて微笑んだ。


「あなたも、ずいぶん先輩らしくなったわね」


「そうでしょうか」


陽人は少し照れたように笑う。


「ただ、あの子が自分の物語を書き終えるまで――」


「ちゃんと見守ってあげたいと思っています」


先生は何も言わず、部室の明かりを一つ消した。


「それじゃあ、今日はもう帰りましょう」


「はい」


二人は部室を出る。


最後に陽人が扉を閉める。


静かな廊下に、鍵の音だけが響いた。


その頃――。


そんな会話があったことなど何も知らない俺は、家へ向かって歩いていた。


舞夜もまた、自分の部屋で新しいノートを机の上に置いている。


まだ一文字も書かれていない、真っ白なページ。


けれど――。


そのページには、これからたくさんの言葉が刻まれていく。


過去のためではなく。


誰かに言われたからでもなく。


自分自身の言葉で。


そして――。


その物語がどこへ向かうのか。


俺はまだ知らない。


舞夜自身も、まだ知らない。


ただ一つだけ分かっている。


今日、彼女は新しい場所を見つけた。


そして――。


そこから、新しい物語が始まろうとしていた。

第七十九話を読んでくださって、ありがとうございました。


今回は、舞夜が新しいノートを手にしました。


これから、そこにはどんな言葉が綴られていくのでしょうか。


そして――。


陽人が口にした「過去」とは、一体何を意味しているのか。


舞夜自身の物語とともに、少しずつ明らかになっていきます。


それでは、次の話でお会いしましょう。

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