大切な一枚
翌朝――。
家を出る前に、俺が最初にしたことは、あの紙がまだノートの中にあるか確認することだった。
鞄を開ける。
メインの収納を確認する。
――あった。
昨日拾った時とまったく同じように、きれいに折り畳まれている。
俺は安心して笑った。
「今日は、ちゃんと返そう」
そう呟いて鞄を閉じる。
そして、朝食を食べるために階下へ向かった。
「大樹、遅れるわよ!」
母さんの声が、台所から響いてきた。
「今行く!」
俺は急いで階段を下りる。
そして、ほとんど座る間もなく、トーストを一枚手に取った。
父さんが新聞から顔を上げる。
「そんなに急いで、どうしたんだ?」
「今日は少し早く学校に行きたいんだ」
そう答えながら、急いで朝食を済ませる。
すると――。
妙に楽しそうな顔をした妙子が、俺を見る。
「早くって……」
「それとも、ある人より先に学校へ行きたいとか?」
「……え?」
危うくトーストを喉に詰まらせそうになった。
「何言ってるんだよ」
「別に」
「ちょっと聞いてみただけ」
母さんが小さく笑う。
「また始まったわね、うちの娘は」
「お母さん!」
二人とも、完全に俺をからかって楽しんでいる。
このままでは、さらに面倒なことになりそうだ。
俺は急いで席を立った。
「じゃあ、行ってくる!」
「いってらっしゃい!」
背後から声が聞こえる。
俺はそのまま家を出た。
学校へ向かう道は、いつもと変わらなかった。
小さな川に架かる橋まで来た時――。
見覚えのある人影が、欄干にもたれているのが見えた。
黒い髪。
きちんと整った制服。
そして――。
手にした一冊の本。
舞夜だった。
どうやら読書に集中しているらしく、俺が近づいていることにも気づいていない。
「おはよう」
声をかけると――。
舞夜がすぐに顔を上げた。
俺に気づいた瞬間、その瞳が明るくなる。
「おはようございます、南くん!」
舞夜は本を丁寧に閉じた。
「今日は早いですね」
「舞夜もな」
舞夜は小さく笑った。
「少し早く来て、学校へ行く前に読んでいたんです」
俺たちは並んで歩き始めた。
しばらくの間――。
文学の宿題の話。
来週のテストの話。
そして、蓮がくれた本の話をした。
その時――。
俺は、昨日拾った紙のことを思い出した。
「あ……」
俺は鞄に手を入れる。
「これ、舞夜のだと思う」
折り畳まれた紙を取り出し、彼女へ差し出した。
舞夜の目が大きく開く。
「……その紙!」
両手で受け取る。
「どこにあったんですか?」
「昨日」
「中庭のベンチの下に落ちてた」
「荷物を開けた時に、落ちたんだと思う」
舞夜は、ほっとしたように長く息を吐いた。
その表情から、どれほど心配していたのかが伝わってくる。
「部屋中を探したんです」
「もう、二度と見つからないと思っていました」
俺は笑った。
「幸い、風がそんなに遠くまで運ばなかったみたいだな」
舞夜は紙を胸元に抱える。
「ありがとうございます」
「本当に……」
「これ、とても大切なものだったんです」
「そんなに気にしなくていいよ」
「俺はただ、見つけただけだから」
舞夜は静かに首を横に振った。
「いいえ」
「南くんは、ただの紙だと思ったかもしれません」
「それに――」
舞夜は少しだけ声を落とした。
「読もうと思えば、読めましたよね」
俺は数秒、舞夜を見る。
「でも、俺宛てじゃなかったから」
舞夜は完全に動きを止めた。
そして――。
唇に、ほんの小さな笑みを浮かべた。
「……ありがとうございます」
「そういうところを、ちゃんと尊敬しています」
学校の校門が見えてきた。
俺たちはそのまま並んで歩いていた。
校舎へ入る前に――。
舞夜が、もう一度その紙を開いた。
数秒間、静かに眺める。
そして――。
丁寧に折り直した。
「これなら、もうなくさないですね」
舞夜はそう言って、その紙を蓮からもらった本の中へ挟んだ。
「今度は大丈夫そうだな」
「はい」
舞夜は安心したように微笑んだ。
そして――。
俺のほうへ一歩近づく。
「南くん」
「ん?」
「次に新しい章を書いたら……」
舞夜は少しだけ照れたように視線を逸らす。
「また、最初に読んでもらいたいです」
俺は笑った。
「もちろん」
「それなら、喜んで」
舞夜は小さく頭を下げる。
「ありがとうございます」
その瞬間――。
始業を告げるチャイムが鳴り響いた。
俺たちは顔を見合わせる。
「急がないと」
「そうですね」
二人で校舎へ入っていく。
何気ない朝だった。
けれど――。
昨日までとは、ほんの少しだけ違う。
一枚の紙をきっかけに、俺たちの間には新しい信頼が生まれていた。
そんな気がした。
そして――。
俺たちはまだ知らなかった。
二階の窓から、その一部始終を見ていた人物がいることを。
その二人を――。
二階の窓から、愛莉がじっと見ていた。
彼女は窓枠に肘をつきながら、楽しそうに笑っている。
「……あの二人」
小さく呟く。
朝から一緒に登校している。
そして、校門の前でも何か話していた。
愛莉には、その様子がなんとなく分かっていた。
舞夜が以前より自然に笑うようになったこと。
そして――。
南くんの前では、特に素直になっていること。
「日に日に、仲良くなってるなぁ」
愛莉は頬杖をついたまま、二人の背中を目で追う。
やがて二人の姿が校舎の中へ消える。
「……本当に」
少しだけ笑みを深くする。
「毎日、どんどん可愛くなっていくなぁ」
そのまま、愛莉は窓から離れた。
一方――。
何も知らない俺と舞夜は、いつものように教室へ向かっていた。
今日も、昨日と変わらない一日が始まろうとしていた。
教室へ向かう廊下を歩きながら――。
俺は、今朝の出来事を思い返していた。
昨日拾った一枚の紙。
舞夜がそれを大切そうに受け取った時の表情。
そして――。
「また、最初に読んでもらいたいです」
そう言ってくれたこと。
ほんの小さな出来事だった。
けれど――。
以前よりも、舞夜との距離が近くなったような気がした。
教室の前まで来る。
舞夜がドアを開ける。
「おはようございます」
「おはよう」
いつものように挨拶を交わす。
それだけのことなのに――。
なぜか少し嬉しかった。
自分の席に座り、鞄を置く。
窓の外を見ると、朝の光が校庭を照らしている。
今日も、きっといつもと同じ一日になる。
授業を受けて。
昼休みに話して。
放課後になれば、それぞれの帰り道を歩く。
そんな普通の日常。
だけど――。
その中に、少しずつ変化が増えている。
舞夜の物語。
彼女の夢。
そして、俺たちの間に生まれた信頼。
まだ、それがどこへ向かうのかは分からない。
それでも――。
俺は、これからも彼女の物語を読んでいきたいと思った。
一ページずつ。
彼女が自分の言葉で書き続ける限り。
そして――。
いつか、その物語の最後のページを読む日が来るまで。
教室へ向かう廊下を歩きながら――。
俺は、今朝の出来事を思い返していた。
昨日拾った一枚の紙。
舞夜がそれを大切そうに受け取った時の表情。
そして――。
「また、最初に読んでもらいたいです」
そう言ってくれたこと。
ほんの小さな出来事だった。
けれど――。
以前よりも、舞夜との距離が近くなったような気がした。
教室の前まで来る。
舞夜がドアを開ける。
「おはようございます」
「おはよう」
いつものように挨拶を交わす。
それだけのことなのに――。
なぜか少し嬉しかった。
自分の席に座り、鞄を置く。
窓の外を見ると、朝の光が校庭を照らしている。
今日も、きっといつもと同じ一日になる。
授業を受けて。
昼休みに話して。
放課後になれば、それぞれの帰り道を歩く。
そんな普通の日常。
だけど――。
その中に、少しずつ変化が増えている。
舞夜の物語。
彼女の夢。
そして、俺たちの間に生まれた信頼。
まだ、それがどこへ向かうのかは分からない。
それでも――。
俺は、これからも彼女の物語を読んでいきたいと思った。
一ページずつ。
彼女が自分の言葉で書き続ける限り。
そして――。
いつか、その物語の最後のページを読む日が来るまで。




