表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
70/116

最初の約束

ここ数日は――。


少し不思議なくらい、穏やかに過ぎていった。


文化祭が終わり、交換留学生たちも帰っていったことで、学校はすっかりいつもの日常を取り戻していた。


授業。


テスト。


宿題。


部活動の練習。


何もかも、以前と変わらないように見えた。


それなのに――。


どこか、違っていた。


休み時間になると、気づけば彼女を目で探している。


別に、意識しているわけじゃない。


ただ、自然とそうしてしまう。


ある時は、唯と話している。


またある時は、窓際で本を読んでいる。


そして――。


俺と目が合うと、いつもあの小さな笑顔を見せる。


穏やかな笑顔。


まるで、それが俺たちの日常の一部になったかのような笑顔だった。


俺は、そんな変化に気づきながらも――。


それを嫌だとは、少しも思わなかった。

「もう隠そうともしなくなったな」


松の声で、俺は我に返った。


「何を?」


松はパンを一口かじる。


「それだよ」


「五分おきに窓のほう見てるだろ」


「そんなことしてない」


「してるって」


そう言うと、松はスマートフォンを取り出した。


「実は、自分と賭けをしてたんだ」


俺は困惑した。


「……自分と?」


「そう」


「チャイムが鳴るまでに、六回は舞夜を見るって賭け」


俺はため息をついた。


「お前、何か趣味を見つけたほうがいいぞ」


「もうある」


「何?」


松はニヤッと笑った。


「お前をからかうこと」


思わず笑ってしまった。


やっぱり――。


こいつとの言い争いに勝てる日は、永遠に来ない気がする。

二時間目の授業が終わった頃――。


教室のドアが、軽くノックされた。


そこに立っていたのは、一年生の女子生徒だった。


「失礼します、先生」


「どうしました?」


「八神先輩と、少しお話ししたいのですが……」


先生は頷いた。


「どうぞ」


舞夜が席を立ち、廊下へ出ていく。


ドアが再び閉まった。


俺は特に気に留めなかった。


けれど――。


五分ほど経って、舞夜が戻ってきた。


その手には――。


アイボリー色の封筒があった。


小さな封筒だった。


それでいて、どこか上品な雰囲気がある。


舞夜は席に戻ると、それを素早く鞄の中へしまった。


あまりにも一瞬のことだったので、ほとんどの人は気づかなかっただろう。


――ほとんどは。


俺は、見ていた。


そして、もう一つ気づいたことがある。


その授業の間――。


舞夜は一度も本を開かなかった。


ただ窓の外を見つめていた。


まるで――。


ずっと遠くにある何かを考えているように。

放課後――。


授業が終わってから、俺は廊下で数分ほど待っていた。


松が忘れ物を取りに戻っているからだ。


その時――。


聞き覚えのある声がした。


「南くん」


振り返る。


舞夜が俺の前に立っていた。


「少し、時間ありますか?」


「もちろん」


「どうしたの?」


舞夜は鞄を両手で抱えるように持っていた。


少し緊張しているように見える。


「……見せたいものがあるんです」


俺は首を傾げた。


「今?」


舞夜は小さく頷く。


「もし、予定がなければ……」


「大丈夫だよ」


俺が答えると、舞夜の表情が少しだけ和らいだ。


「よかった……」


そして――。


少しだけ迷うように視線を落としてから、舞夜は言った。


「それなら……」


「もう一度、図書室へ行きませんか?」


俺は思わず笑った。


「最近、図書室に行くのが習慣になってきた気がするな」


舞夜も小さく笑った。


「……私も、そう思います」

図書室は、ほとんど人がいなかった。


聞こえてくるのは、ページをめくる小さな音だけ。


俺たちは、前と同じ窓際の席に座った。


舞夜がゆっくりと鞄を開く。


そして――。


慎重に、青い表紙のノートを取り出した。


数日前に見せてもらった、あのノートだ。


舞夜はそれをしばらく手に持ったまま、何かを迷っているようだった。


やがて――。


俺のほうへ差し出す。


「まだ、完成していません」


「最初の部分を書いただけです」


舞夜は少しだけ視線を落とした。


「でも……」


「約束したから」


俺はノートを見る。


分厚くはない。


それなのに――。


なぜか、とても大切なものに見えた。


「……読んでもいい?」


俺が尋ねる。


舞夜は小さく頷いた。


「はい」


けれど――。


一度だけ間を置いてから、舞夜が言った。


「一つだけ、約束してほしいことがあります」


俺は顔を上げる。


「何?」


舞夜は少しだけ笑った。


その表情には、照れと真剣さが混ざっていた。


「最後まで読んでから……」


「どう思ったのか、聞かせてください」


「好きか嫌いかは、関係ありません」


「ただ……」


舞夜は青いノートを見つめる。


「最後まで、この物語を知ってから判断してほしいんです」


その言葉を聞いた瞬間――。


図書室の空気が、少しだけ変わったように感じた。


俺はノートをまだ開かないまま、そっと閉じた。


そして――。


笑って答える。


「約束する」


舞夜は安心したように、小さく息を吐いた。

その時――。


図書室の奥から、こちらを見ている視線に気づいた。


振り返ると、司書の先生が本を整理していた。


俺たちと目が合うと、先生は優しく微笑む。


「……」


特に何も言わない。


ただ、少しだけ微笑んでから、再び本棚へ向き直った。


俺は舞夜を見る。


彼女は少し恥ずかしそうにしていた。


「……何か、緊張してきました」


「俺も少し緊張してる」


「南くんが?」


「だって、最初の読者なんだろ?」


舞夜は一瞬驚いたように目を開き――。


それから、ふっと笑った。


「そうですね」


「お願いします」


俺は青いノートを見つめる。


まだ開いていない。


それでも――。


この中には、舞夜が自分の言葉で書いた物語がある。


そして、その物語には――。


きっと、彼女が今まで誰にも話せなかった何かが込められている。


「ちゃんと読むよ」


俺がそう言うと、舞夜は小さく頷いた。


「……ありがとうございます」


二人の間に、静かな時間が流れる。


やがて俺は、青いノートを鞄へ大切にしまった。


まだ読むことはできない。


でも――。


その瞬間から、俺は一つの約束を預かったのだと思った。


舞夜の物語を最後まで読む。


そして、その中に込められた彼女の想いから目を逸らさない。


それが――。


俺が初めて引き受けた、彼女の物語に関する約束だった。

第七十話まで読んでくださって、ありがとうございます。


大樹と舞夜の物語は、少しずつ前へ進んでいます。そして今回は、大きな一歩がありました。

舞夜がついに、自分の物語を大樹に託すことを決めたのです。


けれど……あの青いノートには、本当は何が書かれているのでしょうか。


まだ、舞夜が言葉にできないことはたくさん残っています。


いつか、その言葉が大樹のもとへ届く日が来るのかもしれません。


それまでは、どうか二人の物語を一緒に見守ってください。


読んでくださって、ありがとうございました。

それでは、次の話でお会いしましょう。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ