表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
69/119

新しい物語の始まり

図書室を出る頃には――。


太陽はすでに、ゆっくりと沈み始めていた。


学校の中庭は、いつもよりずっと静かだった。


ほとんどの生徒は、もう家へ帰っている。


舞夜は、借りた本を丁寧に鞄の中へしまった。


「今日は付き合ってくれて、ありがとうございました」


「気にしなくていいよ」


「それに……」


「俺も読みたかった本を見つけられたし」


舞夜が微笑む。


「じゃあ、二人とも得をしたということですね」


「そういうこと」


俺たちは、そのまま学校の出口へ向かって歩き始めた。


風が、木々の葉を静かに揺らしている。


しばらくの間――。


俺たちは何も話さなかった。


でも、以前にも何度か感じたように――。


その沈黙は、決して気まずいものではなかった。


むしろ――。


言葉がなくても一緒にいられるような、不思議な安心感があった。

校門を出ると――。


俺たちの帰り道は、しばらく同じ方向だった。


舞夜が空を見上げる。


「もうすぐ夏も終わりますね」


「そうだな」


「そのうち、かなり寒くなるんだろうな」


「私は秋が好きです」


舞夜が微笑みながら言った。


「紅葉が好きだから?」


俺が尋ねると、舞夜は静かに首を横に振る。


「それもありますけど……」


「秋になると、すべてが少し静かになる気がするんです」


俺は数秒考えた。


「俺は、歩くのにちょうどいい季節だから好きかな」


「歩く?」


「うん」


「暑すぎないし、寒すぎない」


「それに――」


俺は前を見ながら続ける。


「時間が少しだけゆっくり流れてるような気がするんだ」


舞夜が小さく笑った。


「そんな答え、初めて聞きました」


「変かな?」


「いいえ」


舞夜は少しだけこちらを見る。


「とても……南くんらしいです」


また、その言葉だった。


『南くんらしい』


『南くんって、そういう人ですよね』


最近、舞夜から何度も言われる。


もしかすると――。


俺が思っている以上に、舞夜は俺のことを理解しているのかもしれない。

帰り道の途中――。


俺たちは、やがて道が分かれる交差点までやって来た。


舞夜が足を止める。


そして、鞄の中から一冊の本を取り出した。


けれど――。


それは小説ではなかった。


青い表紙のノートだった。


舞夜はそれを両手でしばらく見つめる。


「今夜から、始めようと思います」


「物語を?」


舞夜は頷いた。


「はい」


「できるだけ早く、最初の原稿を完成させたいんです」


舞夜は一度、深く息を吸った。


そして――。


俺の目をまっすぐ見つめる。


「そして、完成したら……」


「南くんに、一番最初に読んでもらいます」


俺は微笑んだ。


「じゃあ、楽しみに待ってる」


「いい作品になるかは、まだ分かりませんよ」


「それは、読んでから俺が決めるよ」


舞夜は小さく笑った。


「……そう答えてくれると思っていました」


しばらくの間――。


俺たちは何も言わずに立っていた。


やがて、舞夜が小さく頭を下げる。


「それじゃあ、また明日」


「うん。また明日」


舞夜が歩き出す。


俺はその背中をしばらく見送った。


彼女は急いでいる様子もなかった。


時々、空を見上げながら歩いている。


そして――。


角を曲がったところで、その姿が見えなくなった。

その夜――。


家に帰った俺は、夕食を済ませ、宿題も終わらせた。


そして、自分の机の前に座る。


特に考えることもなく――。


机の上に置いてあった栞を手に取った。


数か月前に、舞夜からもらったものだ。


指先でゆっくりと回してみる。


不思議だった。


すべては、言葉から始まった。


一つの会話。


一冊の本。


一つの企画。


そして今――。


また、新しい物語が始まろうとしている。


俺は栞を机の上のランプの横へ置いた。


それから、窓の外を見る。


夜空には雲一つなかった。


「……今頃、何を書いてるんだろうな」


小さく呟く。


もちろん、答えが返ってくるはずはない。


それでも――。


なぜか気になった。


舞夜は今、どんな言葉を紙に書いているのだろう。


どんな物語を作ろうとしているのだろう。


そして――。


その物語の中には、どんな想いが込められているのだろう。


俺はしばらく夜空を眺めていた。


まだ何も知らないまま――。


ただ、彼女の物語が完成する日を楽しみにしていた。

その頃――。


八神家では。


舞夜が自分の部屋の机に向かっていた。


部屋には、小さなランプの明かりだけが灯っている。


机の上には、さっきまで持ち歩いていた青いノートが開かれていた。


舞夜はペンを手にしたまま、数秒間動かなかった。


何を書けばいいのか。


どこから始めればいいのか。


何度も考えてきた。


けれど――。


今夜は、もう迷わなかった。


ゆっくりとペン先を紙に触れさせる。


そして――。


最初の一行を書いた。


> 「誰かに覚えていてほしいと願うから、生まれる物語がある。」


舞夜は、その文章を静かに読み返した。


しばらくして――。


ほんの少しだけ笑う。


それから、次の文章を書き始めた。


一行。


また一行。


少しずつ、ページが言葉で埋まっていく。


けれど、その物語は――。


ただの創作ではなかった。


そこには、舞夜が長い間胸の奥にしまっていた想いが込められている。


誰にも話せなかったこと。


まだ直接伝えることのできないこと。


そして――。


いつか誰かに知ってほしいと思っていたこと。


舞夜は一度だけペンを止めた。


そして、窓の外を見つめる。


「……大樹くん」


小さく名前を呟く。


それから、再びノートへ視線を戻した。


今はまだ――。


何も言えない。


だからこそ。


この物語に書く。


自分の言葉で。


自分の記憶と一緒に。


舞夜は再びペンを走らせた。


夜は静かに更けていった。

その夜――。


舞夜は、しばらく書き続けていた。


気づけば、ノートには何ページもの文章が並んでいる。


一度書いた文章を読み返す。


そして、少しだけ考えてから、またペンを動かす。


書いているうちに――。


不思議と心が軽くなっていくような気がした。


今まで言葉にできなかったこと。


誰にも話せなかった記憶。


胸の奥にしまい続けてきた想い。


それらを一つずつ、物語の中へ置いていく。


けれど――。


まだ、すべてを書くことはできない。


今の自分には、それだけの勇気がない。


舞夜はペンを置き、青いノートを見つめた。


「……いつか」


小さく呟く。


「この物語を読んでもらえたら……」


その時、大樹が何を思うのか。


どんな顔をするのか。


まだ分からない。


それでも――。


舞夜は、もう書き始めていた。


いつか、自分の言葉をきちんと伝えるために。


そして――。


誰かに、自分のことを覚えていてもらうために。


窓の外では、静かな夜が続いていた。


一方、その頃。


大樹もまた、自分の部屋で舞夜のことを考えていた。


二人はそれぞれ別の場所にいる。


けれど――。


同じ夜の中で。


同じ一つの物語が、静かに始まっていた。


そして誰も知らない。


その物語が完成した時――。


隠されていた過去が、少しずつ姿を現し始めることを。

第六十九話『新しい物語の始まり』を読んでいただき、ありがとうございました。


図書室での時間をきっかけに、舞夜はついに自分の物語を書き始めました。


大樹はまだ、その内容を何も知りません。


けれど――。


舞夜が書いている物語には、彼女が長い間胸の奥にしまってきた想いが込められています。


「誰かに覚えていてほしいと願うから、生まれる物語がある。」


この最初の一文が意味するものとは何なのか。


そして、その物語を最初に読むことになる大樹は、そこに何を見つけるのか。


二人の日常は、少しずつ次の段階へ進み始めています。


それでは、次の話でお会いしましょう。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ