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物語の中にあるもの

その日の最後のチャイムが、学校中に響き渡った。


生徒たちは教科書やノートを片付け始め、教室にはいつもの賑やかな空気が戻ってくる。


「今日はここまでです」


「明日までに次の章を読んでおいてください」


「それでは、また明日」


先生は軽く一礼すると、教室を出ていった。


数秒もしないうちに――。


教室は再び、たくさんの話し声でいっぱいになった。


松が思い切り体を伸ばす。


「生き残った……」


「たった六時間だぞ」


「だからだよ!」


「六時間は長すぎる!」


俺は笑いながら首を振った。


どうやら、この時間を短くする方法はないらしい。


俺が本を鞄にしまっていると――。


後ろから声が聞こえた。


「南くん」


振り返る。


そこにいたのは舞夜だった。


肩には鞄を掛け、胸の前には一冊の本を抱えている。


「少し時間、ありますか?」


「うん」


「どうしたの?」


舞夜は数秒だけ迷うような表情を見せた。


「帰る前に、図書室へ寄ろうと思っていて」


「コンクールに向けて書くことになったので……」


「参考にするために、いくつか小説を探したいんです」


そして――。


ほんの少し間を置いてから、続けた。


「もしよかったら……」


「一緒に来てくれませんか?」


思いがけない誘いだった。


俺は少し驚きながら答える。


「もちろん」


「俺でよければ」


舞夜は嬉しそうに微笑んだ。


「よかった」


「むしろ……嬉しいです」

教室を出た直後――。


愛莉が唯と並んで歩いているところに出くわした。


二人は俺たちを見る。


それから、お互いの顔を見る。


そして最後に――。


まったく同じタイミングで笑った。


「一緒に行くの?」


愛莉が何気ない様子で尋ねる。


「図書室に」


舞夜が答える。


「探したい本があるんです」


「なるほど……」


愛莉は最後の言葉を妙に長く伸ばした。


唯が小さく笑う。


「本探し、頑張ってね」


「ありがとう」


舞夜は普通に答えた。


俺たちが廊下を歩いていくと――。


後ろから愛莉の声が聞こえてきた。


「唯……」


「何?」


「私、百パーセント確信してる」


「何を?」


「まだ付き合ってないけど……」


「時間の問題だよ」


唯が何と答えたのかまでは、聞き取れなかった。


けれど――。


舞夜も、その言葉を聞いていたらしい。


頬がほんの少し赤くなる。


「愛莉って……変なことばかり言いますよね」


小さな声で呟いた。


「うん」


俺も頷く。


「まあ……」


少し考えてから続けた。


「悪気があるわけじゃないと思うけど」


舞夜は小さく笑った。


「はい」


「私も、それはわかっています」

学校の図書室は、いつ来ても静かな場所だった。


紙と木の匂いが、穏やかに空間を満たしている。


俺たちが入ると、司書の先生が優しく微笑んだ。


「こんにちは」


俺たちも、ほとんど同時に挨拶を返した。


舞夜はゆっくりと本棚の間を歩き始める。


いくつかの本の前で足を止めては、裏表紙を確認する。


そして、また別の本を手に取る。


しばらくして――。


三冊ほどの小説を腕に抱えていた。


どうやら、探しているものはかなりはっきりしているらしい。


俺はライトノベルのコーナーへ向かった。


棚に並んだタイトルを眺めていると――。


向こう側から声が聞こえてきた。


「何か面白そうなもの、見つかりましたか?」


舞夜だった。


腕には、さっき選んだ三冊の小説を抱えている。


「まだ」


俺は目の前の本棚を見ながら答える。


舞夜が、俺の見ている本を覗き込む。


「南くんは、恋愛小説が好きなんですか?」


俺は少し笑った。


「たぶん」


「たぶん?」


「今まで、そんなことを考えたことがなかったから」


舞夜が小さく笑う。


「それ、南くんらしいですね」


「どういう意味?」


「南くんって――」


「最初に感じて、それから後で考える人だから」


俺は思わず動きを止めた。


そんな答えが返ってくるとは思わなかった。


「……俺って、そんなに分かりやすい?」


舞夜は首を横に振る。


「いいえ」


「ただ――」


「南くんのことを、少しずつ知ってきたからです」


その言葉に――。


俺は何も返せなかった。


舞夜は小さく微笑んで、再び本棚へ視線を戻した。

図書室の一番奥には――。


大きな窓の隣に、いくつかの小さな机が並んでいた。


舞夜は選んだ本をそこへ置く。


「少し、座ってもいいですか?」


俺は頷いた。


「もちろん」


俺たちは向かい合うように座った。


しばらくの間――。


聞こえてくるのは、ページをめくる音だけだった。


不思議な沈黙だった。


でも――。


気まずくはない。


舞夜と一緒にいると、沈黙が重く感じられることはほとんどなかった。


しばらくして――。


舞夜が読んでいた本を閉じた。


「南くん」


「ん?」


「前に言っていましたよね」


「私の物語を読むって」


「うん」


「約束したからね」


舞夜は視線を自分の手元へ落とした。


「……もう一つ、お願いしてもいいですか?」


俺は黙って舞夜を見る。


彼女は一度、ゆっくりと息を吸った。


「私の作品を読む時……」


「ただの小説だと思って読まないでほしいんです」


俺は少しだけ眉を上げた。


舞夜は続ける。


「誰かが、あなたにとても大切なことを話している」


「そう思って読んでください」


その言葉には――。


単なる文学コンクールの作品に向けるものとは思えないほどの重さがあった。


まるで――。


まだ俺には理解できない何かを、物語の中に隠しているような。


俺はゆっくりと頷いた。


「わかった」


「そういうふうに読むよ」


舞夜が顔を上げる。


その瞳には、ほんの少しだけ安心したような色が浮かんでいた。


「……ありがとうございます」


その笑顔を見た瞬間――。


俺は思った。


この物語は、舞夜にとって単なる賞を取るための作品なんかじゃない。


きっと――。


彼女自身の何かが、そのページの中に込められている。


そして俺は、知らないうちに――。


その物語を最初に読む役目を引き受けていた。


まだ、その意味を完全には理解できないまま。

しばらくの間――。


俺たちは、それぞれの本を読んでいた。


図書室は相変わらず静かだった。


窓の外から聞こえる風の音と、ページをめくる小さな音だけが響いている。


やがて――。


舞夜が選んだ三冊の本を机の上に並べた。


「これなら、参考になりそうです」


「そんなに違う種類の本を選んだんだな」


「はい」


舞夜は表紙を見ながら答える。


「いろんな書き方を知っておきたいので」


「同じ物語でも、書く人によって全然違いますから」


「なるほど」


俺も本棚を見る。


舞夜がどんな物語を書こうとしているのか――。


少しだけ気になった。


「どんな話を書くつもりなの?」


何気なく尋ねる。


舞夜の指が、ページの上で止まった。


「……まだ、秘密です」


そう言って、少しだけ笑う。


「完成するまでは、誰にも話したくないんです」


「俺にも?」


「はい」


「だからこそ――」


舞夜は俺を見る。


「最初に読んでもらいたいんです」


その言葉に、俺は少しだけ驚いた。


まだ完成していない。


どんな物語になるのかも分からない。


それなのに――。


舞夜は、その作品を俺に託そうとしている。


「……わかった」


俺は笑った。


「楽しみにしてる」


舞夜も微笑んだ。


「はい」


「私も、完成させるのが楽しみです」


その笑顔は、とても穏やかだった。


けれど――。


その奥には、まだ俺には見えない何かが隠れているような気がした。

図書室を出る頃には――。


外はすっかり夕方になっていた。


窓から差し込む光が、廊下をオレンジ色に染めている。


俺たちは並んで歩きながら、さっきまで読んでいた本について話していた。


「南くんは、どの本が一番気になりましたか?」


「うーん……」


俺は少し考える。


「やっぱり、最初に見つけた本かな」


「理由は?」


「まだ読み終わってないけど……」


「続きが気になるから」


舞夜は小さく笑った。


「それなら、最後まで読んでみてください」


「うん」


しばらく歩いたあと――。


舞夜がふと足を止めた。


「今日は、付き合ってくれてありがとうございました」


「別にいいよ」


「俺も楽しかったし」


舞夜は少し驚いたように俺を見る。


それから――。


優しく微笑んだ。


「……そう言ってもらえてよかったです」


俺たちは再び歩き始める。


校門が近づいてくる。


「じゃあ、また明日」


「はい」


「おやすみなさい、南くん」


「おやすみ、舞夜」


そこで別れた。


俺は一人で帰り道を歩きながら――。


今日のことを思い返していた。


図書室で交わした会話。


舞夜が書こうとしている物語。


そして――。


「誰かが、とても大切なことを話していると思って読んでください」


あの言葉。


やっぱり、普通の小説じゃない気がする。


舞夜は何かを伝えようとしている。


でも――。


それが何なのか、俺にはまだ分からない。


ただ一つだけ確かなことがある。


俺はその物語を――。


最後まで読んでみたいと思っていた。


そして、その時初めて――。


舞夜が本当に伝えたかった言葉を、知ることになるのかもしれない。

第六十八話『物語の中にあるもの』を読んでいただき、ありがとうございました。

図書室での何気ない時間を通して、大樹は舞夜が書こうとしている物語に、少しずつ興味を持ち始めました。

しかし、舞夜が「大切なことを話していると思って読んでほしい」と頼んだ意味は、まだ明らかになっていません。

そして――。

その物語には、舞夜自身もまだ直接口にできない何かが込められているようです。

果たして、大樹が最初の読者として読むことになる物語には、何が書かれているのでしょうか。

次の話では、執筆を始めた舞夜の日常にも少しずつ変化が訪れます。

それでは、次の話でお会いしましょう。

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