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言葉の居場所

文化祭が始まってから、まだ三十分も経っていなかった。


それなのに――。


俺たちの教室は、すでに人でいっぱいになっていた。


メッセージを書くために、順番を待っている生徒たち。


数秒で書き終える人もいれば――。


白紙のカードを見つめながら、何分も悩んでいる人もいる。


まるで、正しい言葉を見つけることが思っていた以上に難しいかのように。


「こんなに人が来るなんて、思わなかったな」


俺が呟くと、舞夜は新しいカードを机の上へ並べながら微笑んだ。


「きっと、みんな伝えたいことがあるんです」


「ただ、それを書くきっかけが必要だっただけで」


俺は周囲を見渡した。


笑顔でカードを書く生徒。


何度も書き直している生徒。


友達と相談しながら言葉を考えている生徒。


まだ始まったばかりなのに――。


この場所には、すでにたくさんの想いが集まり始めていた。

「南!」


教室の奥から、涼の声が響いた。


俺はそちらへ向かう。


「どうした?」


涼が空になった袋を持ち上げる。


「青いカードがなくなった!」


俺は目を瞬いた。


「……なくなった?」


「うん。全部使い切った!」


箱を確認すると――。


本当に一枚も残っていない。


「何枚あったんだ?」


「五十枚!」


……。


たった三十分足らずで、五十枚。


俺は思わず言葉を失った。


その近くで、陽斗が自分のノートを確認する。


「ピンクのカードも、残り少なくなっています」


蒼太も別の箱を確認した。


「白が四十枚」


「黄色が三十枚です」


ちょうどそこへ、先生が入ってくる。


空になった箱を見て、嬉しそうに微笑んだ。


「それだけ使われたということは、大成功ですね」


「同時に、紙が足りなくなったということでもあります」


陽斗が冷静に付け加える。


「その通りです」


先生は周囲を見渡す。


そして――。


「南くん」


「八神さん」


「二人で倉庫へ行って、追加のカードを取ってきてもらえますか?」


俺と舞夜は、ほぼ同時にうなずいた。


「わかりました」


「はい」


どうやら――。


俺たちの企画は、予想以上に順調らしい。

俺と舞夜は、追加のカードを取りに行くため、教室を出た。


廊下は、数日前とは比べものにならないほど混雑していた。


あちこちから笑い声が聞こえてくる。


ある教室では、テーマカフェが開かれている。


別の教室では、科学実験の発表が行われていた。


さらに遠くからは、調理部の焼きたてのパンの香りまで漂ってくる。


……涼なら、絶対にそっちへ行きたがるだろうな。


「思っていたより、ずっと人が多いな」


俺がそう言うと、舞夜がうなずいた。


「それだけ、交換留学がうまくいったということですね」


廊下を歩いていると、聖龍学園の生徒たちが、こちらの学校の生徒たちと一緒に写真を撮っている姿が目に入った。


どちらの学校の生徒なのか、もう見分けがつかないくらい自然に一緒にいる。


ほんの数日前までは――。


お互いに知らない人たちだったのに。


今では、そんな境界線すらほとんど感じられなかった。


俺はその光景を眺めながら、少しだけ笑った。


今回の交換留学は――。


思っていた以上に、うまくいっているのかもしれない。

廊下を曲がったところで――。


一人の一年生が、俺たちの前で立ち止まった。


「すみません……」


俺と舞夜が振り返る。


女の子は一枚のカードを両手で持っていた。


少し緊張しているようだった。


「もしかして……」


「メッセージを書く場所の人たちですか?」


舞夜が優しく微笑む。


「はい」


「何かお手伝いしましょうか?」


女の子はカードへ視線を落とした。


「何を書けばいいのかわからなくて……」


舞夜は少しだけ身をかがめ、彼女と目線を合わせる。


「誰かに伝えたいことはありますか?」


女の子は数秒考えた。


そして――。


「お姉ちゃんに……」


「でも、ちょっと恥ずかしくて」


舞夜は優しく首を横に振る。


「だったら、書いてみましょう」


「名前を書く必要はありません」


「時々――」


「言葉のほうから、伝える場所を見つけてくれることがありますから」


女の子は少し驚いたように舞夜を見る。


そして、笑顔になった。


「ありがとうございます!」


そう言うと、女の子はカードを握りしめて、俺たちの教室へ向かって走っていった。


その後ろ姿を見送りながら、俺は舞夜を見る。


「……いつも、よくそんな言葉が出てくるよな」


舞夜はしばらく黙っていた。


そして――。


「そうだったら、いいんですけどね」


小さな声で呟いた。


その言葉はあまりにも小さくて――。


危うく、風にさらわれてしまいそうだった。

俺たちは再び歩き始めた。


さっきの女の子に、舞夜が何を言いたかったのか。


俺は聞いてみようとした。


けれど――。


「……八神」


「はい?」


「さっきの言葉って……」


その瞬間。


「南くん! 八神さん!」


後ろから声が聞こえた。


振り返ると、愛莉がこちらへ走ってくる。


少し後ろには、みすずと蒼太もいた。


「二人とも、探してたんだよ」


愛莉は息を整えながら言った。


「カード、見つかった?」


「まだ」


俺が答える。


「これから倉庫へ行くところ」


すると、みすずが小さな箱を持ち上げた。


「それなら大丈夫」


「先生が職員室から追加の箱を持ってきてくれたの」


「今日は一日分、十分あると思う」


俺は箱を見る。


「……」


「じゃあ、倉庫まで行かなくてもいいのか」


蒼太がうなずいた。


「そういうことです」


俺は思わず息を吐く。


「助かった……」


さっきの女の子のことを聞きそびれてしまった。


俺は舞夜を見る。


けれど――。


彼女は何も言わず、ただ静かに微笑んでいた。


その表情を見ていると、今は無理に聞かなくてもいい気がした。

教室へ戻ると――。


俺は思わず足を止めた。


大きな木製の掲示板が、ほんの少し前とはまるで違う姿になっていた。


色とりどりのカードが、掲示板のかなりの部分を埋め尽くしている。


明るいメッセージ。


少し懐かしさを感じさせる言葉。


たった一言だけ書かれたもの。


中には、紙の両面いっぱいに書かれているものまであった。


「見て!」


涼が一枚のカードを指差す。


松が近づく。


「何て書いてあるんだ?」


涼が声に出して読む。


「『今まで言えなかったことを書く勇気をくれて、ありがとう』」


教室が、一瞬だけ静かになった。


誰も何も言わない。


舞夜は、そのカードをじっと見つめていた。


そして――。


穏やかな笑顔を浮かべる。


何も言わなかった。


でも、その必要はなかった。


その一枚の言葉こそが――。


舞夜が『言葉の小さな広場』を作ろうと思った理由、そのものだったからだ。


俺は舞夜の横顔を見る。


彼女がここ数日、一生懸命に準備してきたことを思い出す。


何度も言葉を選んで。


みんなが書きやすいように考えて。


そして今――。


その想いが、誰かに届いている。


俺は掲示板へ目を戻した。


「……やってよかったな」


小さく呟く。


舞夜は俺を見る。


そして、優しく微笑んだ。


「はい」


その一言だけで――。


ここ数日間の苦労が、すべて報われたような気がした。

第五十九話『言葉が集まる場所』を読んでいただき、ありがとうございました。


文化祭が始まり、『言葉の小さな広場』には予想以上に多くの生徒が訪れました。


そして、掲示板に残された一枚のメッセージ。


「今まで言えなかったことを書く勇気をくれて、ありがとう。」


それは、舞夜がこの企画に込めた想いそのものでもありました。


しかし――。


文化祭は、まだ始まったばかりです。


この場所で交わされる言葉が、これから大樹と舞夜にどんな変化をもたらすのでしょうか。


それでは、次の話でお会いしましょう。

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