言葉がつなぐ時間
投票の結果は、俺が思っていた以上にあっさりと決まった。
舞夜の提案が、圧倒的な票を集めたのだ。
企画の名前は――。
『言葉の小さな広場』
誰でも自由に参加できるスペースを作り、そこにメッセージや思い出、好きな言葉、短い物語などを書いてもらう。
そして、それを一枚の掲示板に飾り、他の人にも読んでもらう。
文化祭が終わったあとには――。
参加した人が、自分の書いたもののコピーを記念として持ち帰れる。
そんな企画だった。
「いい名前ですね」
陽斗が企画書を見ながら言った。
「シンプルですけど」
「何をする場所なのか、ちゃんと伝わります」
舞夜は小さく頭を下げる。
「ありがとうございます」
教室の中でも、すでに企画への期待が高まっていた。
どうやら――。
この『言葉の小さな広場』が、合同文化祭の目玉の一つになりそうだった。
企画が決まると、蒼太はすぐに一枚の紙を取り出した。
「それじゃあ、役割を分担しよう」
陽斗もすぐにうなずく。
「そのほうが効率がいいですね」
二人を中心に、みんなで作業内容を整理していく。
数分後――。
担当が決まった。
【装飾】
・涼
・松
・みすず
・愛莉
【材料】
・陽斗
・蒼太
【内容】
・舞夜
・俺
完成したリストを見ながら、俺は小さく息をついた。
「……まあ、こうなるよな」
舞夜が隣で微笑む。
「私が考えた企画ですから」
「それに……」
彼女は少し首を傾げる。
「南くんは、私が考えていることを一番よく知っていますから」
「……そうかな?」
思わず聞き返す。
舞夜は何も言わず、ただ静かに微笑んでいる。
俺は視線を逸らした。
正直に言えば――。
最近、彼女が何を考えているのか。
前より分からなくなってきている気がする。
それでも。
こうして一緒に企画を考えられることは、悪くなかった。
企画のアイデアを探すため――。
次の一時間、俺たちは先生の許可をもらって図書室を使うことになった。
……今週に入ってから、ここへ来るのはもう三回目だ。
「そのうち、図書室の使用料を請求されるんじゃないか?」
冗談半分に言うと、舞夜が小さく笑った。
「それは困りますね」
「私たち、かなりお世話になっていますから」
俺たちは並んで本棚の間を歩いていく。
舞夜は一冊ずつ本の背表紙を確認していた。
「どんな言葉を探してるんだ?」
そう尋ねると、彼女は本の背表紙を指先でなぞりながら答えた。
「有名すぎる言葉は、あまり使いたくないんです」
「もっと……」
「読んだ人が少しだけ考えたくなるような言葉がいいです」
「それは難しそうだな」
俺が言うと、舞夜は静かにうなずいた。
「はい」
「でも――」
一冊の本を手に取りながら、彼女は微笑む。
「難しいからこそ、探す意味があると思います」
その横顔を見ながら、俺は思った。
やっぱり舞夜は、こういうところが舞夜らしい。
簡単に答えを見つけるよりも。
時間をかけて、自分が納得できるものを探す。
それが彼女のやり方なのだろう。
本棚の間を歩きながら、俺は一冊の古い本に目を留めた。
表紙はかなり擦れていて、長い間誰かに読まれてきたことがわかる。
「これなんかどう?」
俺が本を取り出して舞夜に渡す。
舞夜は両手で受け取り、丁寧に表紙を開いた。
数ページ読み進めると――。
彼女の瞳が少しだけ輝いた。
「……素敵です」
「そんなにいいのか?」
俺も横からページを覗き込む。
そこに書かれていたのは、二人の人物が夕暮れの空の下を歩く、ただそれだけの話だった。
大きな事件が起こるわけでもない。
劇的な展開があるわけでもない。
それでも――。
文章からは、不思議なくらい温かいものが伝わってくる。
「ほとんど何も起きてないじゃん」
俺がそう言うと、舞夜は小さく笑った。
「だからこそ、いいんです」
「え?」
舞夜はページを見つめながら続ける。
「素敵な物語って、いつも大きな出来事が必要なわけじゃないと思います」
「時には……」
「ほんの小さな出来事でも」
「その瞬間が、ずっと心に残ることがありますから」
俺は何も言わず、その本へ視線を戻した。
夕暮れの道を歩く二人。
ただそれだけの場面。
でも――。
なぜか、その光景を想像すると心が少しだけ温かくなる。
「……なるほどな」
俺が呟くと、舞夜は嬉しそうに微笑んだ。
「こういうお話が、私は好きなんです」
その言葉を聞いて、俺も自然と笑ってしまった。
やっぱり。
舞夜が書きたい物語は、きっとこういう物語なのだろう。
「そういえば……」
本を読み終えたところで、廊下から声が聞こえてきた。
「やっぱりここにいた!」
俺と舞夜が同時に顔を上げる。
図書室の入口に立っていたのは、みすずだった。
両手には、色とりどりの紙がたくさん入ったファイルを抱えている。
「みんなで探してたんだよ」
「涼が飾りを買いすぎちゃって……」
「今、どれを使うか決めてるところなの」
俺は嫌な予感を覚えた。
「……買いすぎって、どれくらい?」
みすずは少し困ったような顔をする。
「紙で作った花を、百個以上……」
「百個?」
「正確には――」
入口から、涼の声が聞こえた。
「百三十四個!」
振り返ると、涼が満面の笑みで立っていた。
「だって、割引されてたんだぞ!」
「……」
俺はゆっくり本を閉じる。
「百三十四個って……」
その後ろから、松が大きな箱を三つ抱えて現れた。
「頼む」
「もう腕の感覚がない」
「なんでそんなに買ったんだよ……」
俺が呆れていると、少し遅れて陽斗もやって来た。
彼は箱の山を見た瞬間、目を閉じる。
深く息を吸い――。
一言だけ呟いた。
「……そんなに必要ありませんでしたね」
涼は笑顔のまま固まった。
「……でも、安かったんだよ?」
「そこは問題ではありません」
「はい……」
図書室の静かな空気とは正反対の騒がしさが、一瞬で戻ってきた。
舞夜はその様子を見ながら、口元に手を当てて笑っている。
「ふふっ」
俺も思わず笑った。
どうやら――。
文化祭の準備は、まだ始まったばかりなのに。
すでにかなり騒がしいことになっていた。
必要な材料をいくつか運び終えたあと――。
俺たちは少し休憩することにした。
みんなで校庭へ出る。
風が心地よく、木々の下では他の生徒たちも楽しそうに話していた。
愛莉が自動販売機で買ってきた飲み物を配る。
「はい、どうぞ」
「今日は私のおごり」
「俺の家?」
涼が真顔で聞く。
松がすぐに答えた。
「そうだ」
「愛莉の家だ」
愛莉は少し頬を膨らませる。
「もう……」
「そんなに悪い冗談じゃないでしょ」
その言葉に、みんなが笑った。
俺も思わず笑う。
そして――。
蓮も小さく笑っていた。
彼がこんなふうに自然な表情を見せるのは珍しい。
その瞬間だけは。
秘密も。
疑問も。
何もなかった。
ただ、同じ場所にいる一人の学生として。
俺たちと一緒に、この時間を楽しんでいる。
俺は周囲を見渡した。
ほんの数日前まで――。
この五人は、俺たちにとって完全な他人だった。
それなのに今では。
この教室に彼らがいない光景を想像するほうが難しい。
涼の騒がしい声。
松の笑い声。
陽斗の冷静なツッコミ。
みすずや蒼太との会話。
そして、時々見せる蓮の笑顔。
どれも、いつの間にか俺たちの日常の一部になっていた。
だからこそ――。
ふと、そんなことを考えてしまった。
この交換留学が終わったら。
彼らがいなくなった教室は――。
きっと、今よりずっと静かに感じるのだろう。
その想像が、なぜか少し寂しかった。
第五十五話『言葉がつなぐ時間』を読んでいただき、ありがとうございました。
文化祭の準備を通して、五人の距離はさらに縮まっていきます。
最初は見知らぬ存在だった交換留学生たちも、いつの間にか大樹たちの日常の一部になりました。
そして、楽しい時間が続くほど――。
その終わりを意識する瞬間も、少しずつ近づいていきます。
それでは、次の話でお会いしましょう。




