想いをつなぐ場所
教師という存在について、俺には一つだけ感心していることがある。
それは――。
穏やかだった一週間を、たった一日で完全な混乱へ変えてしまう、驚異的な能力だ。
一時間目の授業が始まったばかりだというのに。
担任の先生が、腕にファイルを抱えながら教室へ入ってきた。
そして――。
やけに満面の笑みを浮かべている。
……嫌な予感しかしない。
「みなさん、おはようございます」
「おはようございます!」
俺たちはほぼ同時に挨拶を返した。
先生は教卓の上にファイルを置く。
「知っていると思いますが、今週は聖龍学園との交換留学期間です」
みんながうなずく。
「そして、この交流を締めくくるために――」
先生は一度言葉を切った。
「金曜日に、両校合同の特別イベントを行います」
その瞬間。
教室中にざわめきが広がった。
涼はすでに手を挙げている。
「先生!」
「まだ説明が終わっていませんよ、神崎くん」
「すみません……」
……。
反省しているようには見えなかった。
先生は諦めたように微笑む。
「小さな合同文化祭を開催します」
「それぞれのグループで、両校の生徒を楽しませるための企画を一つ考えてもらいます」
「展示やゲーム、ステージ発表、それから小さなテーマブースなども予定しています」
松が机を軽く叩く。
「それ、めちゃくちゃ楽しそうじゃん!」
愛莉も小さく拍手する。
「面白そう」
一方、陽斗は配られた資料をすでに読み始めていた。
きっと、全体の予定や細かい計画まで確認しているのだろう。
……相変わらず真面目だ。
そして俺は思った。
どうやら――。
この一週間は、まだまだ静かには終わりそうになかった。
「それでは」
先生は黒板の横に立ちながら、説明を続ける。
「今日のお昼までに、それぞれのグループで企画を一つ考えてください」
「そのあと、みんなで投票して決めます」
説明が終わった瞬間――。
涼が勢いよく立ち上がった。
「お化け屋敷にしよう!」
「却下です」
先生は一切迷わず答えた。
「えっ、どうして?」
「去年、煙を出す機械に火をつけたでしょう」
教室が静まり返る。
……。
俺は思わず涼を見る。
「……何それ?」
涼は気まずそうに咳払いした。
「ちょっとした事故だったんだよ」
松が涼の肩へ手を置く。
「おい、親友」
「その話、詳しく聞かせろ」
「いや、別に面白い話じゃないって!」
その瞬間。
教室中に笑い声が響き渡った。
先生はため息をつきながら、黒板へ視線を戻す。
「とにかく」
「安全面に問題がある企画は禁止です」
「はーい……」
涼は少し残念そうに席へ戻った。
……。
この調子だと。
企画を決めるだけで、かなり時間がかかりそうだった。
次々と企画が提案されていく。
「テーマカフェはどう?」
「科学展示とか」
「美術ギャラリーもいいんじゃない?」
「ゲーム大会!」
「音楽のステージも楽しそう!」
教室はいつの間にか、たくさんの意見でいっぱいになっていた。
そんな中――。
涼が再び手を挙げる。
「先生!」
「今度は何ですか?」
「ラーメンの早食い大会!」
「却下です」
「どうして!?」
「危険だからです」
先生が答えるより先に、陽斗が静かに口を開いた。
「そもそも、文化祭の企画として適していないと思います」
「陽斗まで!?」
涼は大げさに肩を落とす。
「じゃあ、二人でラーメンの早食い大会に出たことあるの?」
みんなが陽斗を見る。
陽斗はゆっくり首を横に振った。
「ありません」
「じゃあ、なんでダメだってわかるんだ?」
「……普通に考えればわかります」
「なるほど」
涼は納得したようにうなずく。
「つまり、やったことがなくても悪いアイデアだとわかるんだな!」
「そういうことです」
……。
なんだ、この妙に噛み合っているようで噛み合っていない会話は。
教室のあちこちから笑い声が聞こえる。
先生も苦笑しながら黒板へ新しい案を書き加えていった。
候補はどんどん増えていく。
けれど――。
まだ、これだという企画は決まっていなかった。
みんなが次々と意見を出している中――。
舞夜はいつものように、静かに話を聞いていた。
先生がそんな彼女へ視線を向ける。
「八神さん」
「何かいい案はありますか?」
舞夜は少し驚いたように顔を上げた。
「私ですか?」
「ええ」
舞夜はしばらく考える。
そして、ゆっくりと言葉を選ぶように口を開いた。
「みんなが参加できるものがいいと思います」
「ただ見ているだけじゃなくて……」
「訪れた人たち自身が何かを残せるようなもの」
教室が静かになる。
舞夜は続けた。
「例えば……」
「短いメッセージや、簡単な物語を書いてもらう場所を作るのはどうでしょうか?」
「難しいことをする必要はありません」
「今日の思い出や、誰かへの一言を書いてもらって」
「最後に、それを記念として持ち帰ってもらうんです」
愛莉がすぐに笑顔になった。
「それ、すごくいい!」
みすずも嬉しそうにうなずく。
「素敵ですね」
陽斗は手にしていた資料を閉じる。
「かなり面白い企画だと思います」
涼が首をかしげる。
「そこって、飾り付けとかもできる?」
舞夜は微笑んだ。
「もちろん」
「参加してくれる人が多ければ多いほど、きっと楽しくなると思います」
その言葉を聞いて――。
俺も自然と笑っていた。
やっぱり舞夜らしい。
派手ではない。
でも、人と人を自然につなげてくれる。
そんな企画だった。
先生は黒板に書かれた候補を一つずつ確認していった。
「それでは、いくつかの案をまとめておきましょう」
「そして、実際に準備をするためのチームを作ります」
そう言われると――。
なぜか、みんな自然に動き始めた。
涼と松は、さっそく飾り付けについて話し合っている。
「もっと派手にしようぜ!」
「いや、文字を書く場所なんだから、邪魔にならないほうがいいだろ!」
「じゃあ、両方やろう!」
「それだ!」
……。
二人の話し合いが成立しているのかは、よくわからない。
一方、愛莉とみすずはポスターのデザインを担当することになった。
「どんな雰囲気にする?」
「やっぱり、温かい感じがいいんじゃない?」
二人は楽しそうに相談している。
陽斗はというと――。
すでに必要な材料の一覧を作っていた。
「紙、ペン、掲示用のボード……」
「足りないものは後で確認しましょう」
蒼太は各作業をノートに細かく書き込んでいる。
「これなら誰が何を担当するのか、すぐにわかりますね」
本当に頼りになる。
そして俺は――。
気づけば舞夜の向かいに座っていた。
二人で、メッセージを書くスペースについて考えている。
舞夜はいつものように、丁寧な文字でノートへ案を書き込んでいた。
「書くことが思いつかない人のために」
「いくつか短い言葉を用意しておくのはどうでしょう?」
「それなら、書き始めるきっかけになりますね」
俺が答えると、舞夜は嬉しそうにうなずいた。
「はい」
「誰でも気軽に参加できるようにしたいです」
「いいと思う」
「これなら、途中で何を書けばいいのかわからなくなっても困らないし」
舞夜は少し笑った。
「南くんは、そういうところをよく考えていますね」
「そうかな?」
「はい」
「でも……」
彼女は少しだけ考えてから、微笑む。
「やっぱり、南くんは思ったことをそのまま言ってくれるので助かります」
「それは褒めてる?」
「もちろんです」
今度は迷いのない返事だった。
俺も思わず笑う。
少し前なら、こんな自然な会話をすることもなかった。
それなのに今では――。
こうして隣に座って、一緒に一つのものを作ろうとしている。
その変化が、なんだか嬉しかった。
教室の反対側では――。
蓮がみんなの作業を静かに眺めていた。
自分から積極的に口を出すことはない。
ただ、周囲の会話を聞きながら、それぞれが何をしているのかを確認しているようだった。
しばらくして。
蓮の視線が、俺と舞夜のところで止まる。
俺たちはノートを広げながら、訪れた人たちが書きやすくなるような言葉をいくつか考えていた。
「『今日、一番楽しかったこと』とか?」
「いいですね」
「それなら簡単に書けそうです」
「じゃあ、『誰かに伝えたい一言』も?」
「それもいいと思います」
二人で意見を出し合う。
そんな様子を、蓮は少し離れた場所から見つめていた。
そして――。
ほんのわずかに、口元が緩む。
笑った。
それは、ほんの一瞬のことだった。
まるで、何か一つの答えにたどり着いたような表情。
けれど、蓮は何も言わない。
そのまま視線を別の場所へ移した。
俺はその表情を見て、なぜか胸の奥がざわついた。
何を考えているんだ?
舞夜のことなのか。
それとも――。
俺たち二人のことなのか。
まだわからない。
ただ一つだけ、はっきりしていることがある。
この合同文化祭は――。
俺たちが想像している以上に、大きな意味を持つことになりそうだった。
第五十四話『想いをつなぐ場所』を読んでいただき、ありがとうございました。
合同文化祭に向けた準備が始まり、舞夜と大樹も一緒に企画を考えることになりました。
そして、二人を見つめる蓮。
彼がたどり着いた答えとは――。
文化祭が、三人の関係にどんな変化をもたらすのでしょうか。
それでは、次の話でお会いしましょう。




