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逃げられない昼休み

午前中の授業は――


長かった。


いや、


長すぎた。


先生の話なんてほとんど耳に入らない。


黒板の文字も、


ノートの内容も、


何一つ頭に残っていなかった。


俺の脳内を支配していたのは、


たった一つの言葉だけ。


『お昼休みに。』


「お前、そのうち倒れるぞ。」


隣の席から松が呆れたように言った。


「倒れない。」


「いや、顔色が完全に終わってる。」


「これが俺の通常運転だ。」


「なるほどな。」


松は深く頷く。


「色々と納得した。」


「何をだよ。」


「お前がモテない理由。」


「余計なお世話だ。」


大きくため息をつく。


「どうせ来ない。」


「来る。」


「来ない。」


「来る。」


「来ない。」


「来る。」


……


「……来るな。」


「ほら見ろ!」


松が机を勢いよく叩いた。


「やっぱり分かってるじゃねぇか!」


「うるさい。」


でも、


実際その通りだった。


八神舞夜は絶対に来る。


昨日の時点で、


そんなことは分かりきっていた。


問題は、


来るかどうかじゃない。


来たあと、


どうなるかだ。


それが分からないから、


余計に落ち着かなかった。


「まぁ安心しろ。」


松がニヤニヤしながら言う。


「俺が隣で見守ってやる。」


「いらない。」


「遠慮するな。」


「遠慮じゃない。本気でいらない。」


「ひどい。」


「お前が楽しんでるだけだろ。」


「当たり前だ。」


こいつ、


隠す気すらないな。


窓の外を見る。


青空。


流れる雲。


いつもと変わらない学校の風景。


なのに、


俺の心だけが妙に落ち着かなかった。


昨日までの平凡な日常が、


少しずつ壊れていく音がする。


そんな気さえした。


キーンコーンカーンコーン――


昼休みを告げるチャイムが鳴り響く。


その音は、


俺にとって死刑宣告みたいなものだった。


教室中の生徒たちが一斉に立ち上がる。


友達同士で集まり、


弁当を持って移動する者。


購買へ走る者。


楽しそうな笑い声。


騒がしい会話。


いつも通りの昼休み。


……俺以外は。


「さぁ。」


松が勢いよく立ち上がった。


「運命の時間だ。」


「勝手に盛り上がるな。」


「無理だ。」


「無理じゃない。」


「いや、無理だ。」


本当に嬉しそうな顔をしている。


他人事だと思って。


「外で食おうぜ。」


松が提案する。


「何でだよ。」


「特等席だから。」


「特等席なんてない。」


「これからできる。」


意味が分からない。


そう言い返そうとした、


その瞬間。


「南大樹くん。」


……


終わった。


心の底からそう思った。


ゆっくり振り返る。


そこには、


まるで最初から約束されていたかのように、


八神舞夜が立っていた。


教室のざわめきが、


一瞬で静まり返る。


そして舞夜は、


普段と変わらない落ち着いた声で言った。


「行きましょう。」


……


「断る。」


「行きます。」


「断る。」


「行きます。」


「断る。」


「行きます。」


……


「……五分だけ。」


半分諦めながらそう答えると、


舞夜は小さく頷いた。


「十分です。」


……


十分じゃない。


全然十分じゃない。


俺の昼休みは、


まだ始まったばかりなのに、


すでに終わりかけていた。

「行きましょう。」


「……五分だけ。」


半分投げやりにそう言うと、


舞夜は小さく頷いた。


「構いません。」


……いや、


何が「構いません」なんだ。


俺の昼休みなんだぞ。


「よし!」


隣で松が勢いよく立ち上がった。


「ついにこの時が来たな!」


「お前は来なくていい。」


「は?」


「来るな。」


「は?」


松が信じられないものを見るような顔をする。


「親友を置いていく気か?」


「親友なら助けろ。」


「残念ながら、俺は観客席だ。」


「最低だな。」


「褒め言葉として受け取っておく。」


そんなくだらないやり取りをしていると、


舞夜が静かに松へ視線を向けた。


「松くんも来ますか?」


「行く!」


即答だった。


「おい。」


「やったぜ!」


「勝手に決めるな。」


「でも八神さんがいいって。」


「俺は嫌なんだよ。」


「多数決だな。」


「二対一でお前の負け。」


「いつから多数決になった?」


「今。」


こいつ、


完全に楽しんでやがる。


「……裏切り者。」


「安心しろ。」


松は俺の肩を叩いた。


「お前の最期は見届けてやる。」


「縁起でもないこと言うな。」


◇ ◇ ◇


校庭へ出る。


空は雲ひとつない快晴だった。


穏やかな風が吹き、


木々の葉が静かに揺れている。


最高の昼休み。


……俺以外にとっては。


中庭のテーブルへ向かい、


三人で腰を下ろす。


俺。


松。


そして――


八神舞夜。


……


気まずい。


とてつもなく気まずい。


「いやぁ。」


松が頬杖をつきながら笑う。


「歴史的瞬間だな。」


「黙れ。」


「無理。」


「無理じゃない。」


「いや、無理。」


もうこいつとの会話も、


さっきから同じことの繰り返しだ。


舞夜はそんな俺たちを気にする様子もなく、


静かに鞄を開いた。


そして、


弁当箱を取り出す。


……


完璧だった。


見た目も、


包み方も、


全部が綺麗すぎる。


「絶対うまいやつじゃん。」


松が感心したように言う。


「ありがとうございます。」


「いや、礼儀正しいな。」


「当たり前です。」


そのやり取りを聞きながら、


俺は自分の弁当を机の上に置いた。


その瞬間、


舞夜の視線がこちらへ向く。


「南くん。」


「……何。」


「何を持ってきたんですか?」


「弁当。」


「それは見れば分かります。」


「じゃあ聞くな。」


「中身です。」


「食べ物。」


「どんな食べ物ですか?」


「食べられる食べ物。」


……


舞夜は数秒黙り込んだ。


そして、


小さくため息をつく。


「見せてください。」


「嫌だ。」


「見せてください。」


「嫌だ。」


「見せてください。」


「嫌だ。」


……


「……一回しか言わないからな。」


俺は弁当箱を差し出した。


「変な感想は言うなよ。」


舞夜は静かに蓋を開く。


数秒、


中身を見つめる。


そして、


一言。


「普通ですね。」


……


「今の、


地味に傷つくんだけど。」


「褒めています。」


「全然褒められてる気がしない。」


「気のせいです。」


「絶対違う。」


すると、


隣で見ていた松が突然吹き出した。


「はははっ!」


「何笑ってんだ。」


「お前、八神さんに評価されてるぞ。」


「嬉しくない。」


「ちなみに俺は面白い。」


「知ってる。」


舞夜は弁当箱を閉じると、


何事もなかったかのように言った。


「次は私の番です。」


「……は?」


俺が嫌な予感を覚えた、


まさにその瞬間だった。

「次は私の番です。」


「……は?」


嫌な予感しかしなかった。


舞夜は静かに自分の弁当箱を開く。


綺麗に並べられた卵焼き、


色鮮やかな野菜、


丁寧に作られたおかず。


どう見ても、


俺の弁当より何倍も豪華だった。


「すげぇ……。」


松が素直に感心する。


「店で売ってるやつみたいだな。」


「母が手伝ってくれました。」


「いや、それでもすごい。」


俺も同意だった。


というか、


比較するのをやめてほしい。


地味に傷つく。


「南くん。」


「……何だ。」


舞夜は箸で小さなおかずをつまむ。


そして、


当たり前のように俺の前へ差し出した。


「食べてください。」


……


「断る。」


「食べてください。」


「断る。」


「食べてください。」


「断る。」


……


「何でそんなに食わせたいんだよ。」


「必要だからです。」


「その理由、便利すぎないか?」


「便利です。」


「認めるな。」


舞夜は平然としている。


まるで、


俺が断ることなんて最初から予想していたかのようだった。


「早く。」


「嫌だ。」


「早く。」


「嫌だ。」


「早く。」


「嫌だ。」


……


「これは独裁だ。」


「違います。」


「独裁だ。」


「違います。」


……


「少しだけ。」


「認めるなって。」


隣では松が肩を震わせていた。


絶対笑いをこらえてる。


「大樹。」


「何だ。」


「口を開けろ。」


「黙れ。」


「今しかないぞ。」


「何がだ。」


「青春だ。」


「絶対違う。」


「いいから開けろ。」


「嫌だ。」


「開けろ。」


「嫌だ。」


「開けろ。」


「嫌だ。」


「開けろ。」


「うるさい!」


周囲の視線が一斉に集まる。


……最悪だ。


もう逃げ場なんてどこにもなかった。


俺は大きくため息をつく。


「……恥ずかしいんだけど。」


「恥ずかしくありません。」


「恥ずかしい。」


「恥ずかしくありません。」


「恥ずかしい。」


「恥ずかしくありません。」


……


「……少しだけ。」


「いや、絶対恥ずかしいだろ。」


舞夜は不思議そうに首を傾げた。


本当に理解していないのか、


それとも分かっていてやっているのか。


たぶん、


後者だ。


「……分かったよ。」


諦めたように呟く。


「早くしてくれ。」


「はい。」


舞夜は小さく頷くと、


箸をゆっくり俺の口元へ近づけた。


「口を開けてください。」


「……。」


「早く。」


「……。」


「早く。」


「……分かったよ。」


観念して、


俺はゆっくり口を開く。


そして、


舞夜は当然のように俺へ食べさせた。


……


静寂。


いや、


違う。


静かすぎる。


嫌な予感がして、


ゆっくり周囲を見回した。


……


終わった。


周りの生徒たちが、


全員こっちを見ていた。


「……俺、死ぬかもしれない。」


思わずそう呟く。


すると、


松が楽しそうに笑った。


「まだ死なない。」


「まだって何だよ。」


「でも時間の問題だな。」


「笑い事じゃない。」


舞夜は俺の反応など気にせず、


静かに尋ねる。


「どうですか?」


口の中のものを飲み込み、


小さく答える。


「……うまい。」


「知っています。」


……


何なんだ、その自信は。


「腹立つな。」


「そうですか?」


「そうだよ。」


舞夜は少しだけ微笑む。


「ほら。」


「何が。」


「難しくなかったでしょう?」


「いや、難しかった。」


「難しくありません。」


「難しかった。」


「難しくありません。」


……


「……少しだけ。」


「絶対難しかった。」


すると、


舞夜は突然、


ほんの少しだけ俺との距離を縮めた。


「南くん。」


「……何だ。」


真っ直ぐ、


俺の目を見つめる。


そして、


静かな声で言った。


「これはまだ始まったばかりです。」


……


「……は?」


「私は。」


舞夜は迷いなく続ける。


「必ず、あなたを私に恋させます。」


まただ。


また、


その言葉。


だけど、


今度は少し違った。


宣言じゃない。


冗談でもない。


まるで、


それが未来の決定事項であるかのように聞こえた。


胸の奥が、


妙にざわつく。


嫌悪感でも、


怒りでもない。


もっと別の、


何か。


認めたくない感情。


「……お前、本当に厄介な奴だな。」


そう呟くと、


舞夜は小さく笑った。


「知っています。」


その笑顔を見た瞬間、


俺は理解した。


もう、


手遅れなんだと。


俺の平穏な高校生活は、


完全に終わったらしい。

第五話を読んでいただき、ありがとうございました。


ついに約束のお昼休みが始まりました。


大樹の平穏な日常は、少しずつ変わり始めています。


果たして、舞夜の「恋愛作戦」は成功するのでしょうか。


次回もぜひお楽しみください!


もし気に入っていただけましたら、ブックマークや評価をしていただけると励みになります。


それでは、また次回!

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