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君が話せるその日まで

ゲームは、それから数分ほどで終わった。


涼は最後までみんなの答えを思い出しては笑っている。


松はそんな涼と、どちらがサッカーが下手なのか本気で言い争っていた。


「いや、絶対お前のほうが下手だから!」


「何言ってるんだよ! この前だって俺のほうが点を取っただろ!」


「それは相手チームのオウンゴールだ!」


「細かいことは気にするな!」


……相変わらずだ。


少し離れた場所では、陽斗が先生と真面目に話をしている。


交流期間中の授業について質問しているらしい。


その隣では、みすずと愛莉が部活動の話で盛り上がっていた。


教室には、さっきまでの張りつめた空気はもう残っていない。


誰もが楽しそうに笑っている。


すべてが、いつも通りの日常へ戻ったように見えた。


――だけど。


俺だけは違った。


さっきの出来事が、頭から離れない。


蓮が舞夜を見ながら言った、あの一言。


「どこかで会ったことがある気がする」


そして、その瞬間に見せた舞夜の表情。


ほんの一瞬。


本当に一瞬だけだった。


すぐにいつもの穏やかな笑顔へ戻った。


それでも、あの表情だけは忘れられない。


まるで、心の奥に焼き付いてしまったみたいに。


あれは見間違いなんかじゃない。


舞夜は確かに――。


怯えていた。

その日の午後は、大きな問題もなく過ぎていった。


青龍学園の生徒たちは、まるで何か月も前からこの学校に通っていたかのように自然に授業へ参加している。


先生たちも、その理解の早さに驚いているようだった。


交流初日とは思えないほど、みんなすぐに教室へ溶け込んでいた。


やがて、放課後を告げるチャイムが鳴り響く。


「今日の授業はここまでです」


先生の声とともに、生徒たちは一斉に立ち上がり始めた。


教室には椅子を引く音や、友達同士で話す声が広がっていく。


俺も教科書を鞄へしまいながら、小さく息をついた。


その時だった。


「南くん」


静かな声が聞こえる。


顔を上げると、舞夜が俺の席の前に立っていた。


両手で鞄を抱え、いつものように穏やかな表情を浮かべている。


「どうした?」


そう尋ねると、舞夜は少しだけ視線を伏せた。


「少しだけ、お話しできますか?」


声はいつも通り落ち着いている。


けれど、どこかいつもとは違う空気を感じた。


「もちろん」


俺は迷わずうなずく。


舞夜も小さくうなずき返した。


そして俺たちは、誰にも何も言わず教室を後にした。

教室を出た俺たちは、人の少ない廊下をゆっくりと歩いていた。


放課後とはいえ、ほとんどの生徒はまだ教室に残っている。


廊下には、遠くから聞こえる話し声と足音だけが静かに響いていた。


舞夜は何も言わず歩き続ける。


やがて、一つの窓の前で足を止めた。


窓の外には、夕日に照らされた中庭が広がっている。


しばらく景色を眺めていた舞夜が、小さく口を開いた。


「……今日のこと」


「気になりましたか?」


何について聞いているのかは、すぐにわかった。


「少しだけな」


俺は正直に答えた。


舞夜は少し寂しそうに微笑む。


「ごめんなさい」


「なんで謝るんだ?」


思わず聞き返す。


舞夜は静かに視線を落とした。


「南くんを困らせてしまいましたから」


俺はゆっくりと首を横に振る。


「困ったわけじゃない」


「気になったんだ」


舞夜は何も言わない。


ただ、続きを待つように俺を見つめている。


俺は少しだけ息を吸った。


「気になったのは……」


「蓮があのことを言った時の、お前の反応だ」


言葉を選びながら続ける。


「一瞬だけだったけど」


「お前……」


そこで言葉が止まった。


どう表現すればいいのかわからない。


舞夜は俺の迷いを見抜いたように、小さく微笑んだ。


そして、自分でその続きを口にする。


「……怖そうに見えましたか?」


俺は静かにうなずいた。


否定はできなかった。


舞夜は窓枠にそっと手を添える。


夕方の風が、長い黒髪を優しく揺らした。


「……たぶん」


少しだけ目を閉じて、舞夜は静かに呟く。


「本当に、怖かったんだと思います」

その言葉を聞いて、俺は何も言えなかった。


舞夜が自分から「怖かった」と認めるなんて、思ってもいなかったからだ。


しばらくの間、廊下には静かな風の音だけが流れる。


やがて、舞夜はゆっくりと口を開いた。


「……でも」


「まだ、お話しすることはできません」


その声は、とても静かだった。


「理由は聞かない」


俺はすぐにそう答えた。


舞夜が少し驚いたように目を見開く。


「聞かないんですか?」


「聞きたい気持ちはあるよ」


正直な気持ちだった。


気にならないわけがない。


蓮の言葉。


舞夜の反応。


そのすべてに、何か理由があることくらいわかる。


それでも――。


「前にも言っただろ」


俺は穏やかに笑った。


「話したくなった時に話してくれれば、それでいい」


「無理に聞き出したくはない」


「お前が、自分で話そうと思える日まで待つよ」


舞夜は何も言わなかった。


ただ、静かに俺を見つめている。


夕日が窓から差し込み、その紫色の瞳を優しく照らしていた。


何秒経ったのかわからない。


長い沈黙のあと、舞夜はゆっくりと微笑む。


それは、学校でみんなに見せる上品な笑顔でもなかった。


恥ずかしそうに頬を染める時の笑顔でもない。


胸の奥から自然にこぼれたような、心から安堵した笑顔だった。


「……ありがとうございます」


「南くん」


その一言だけで十分だった。


俺は小さく笑い返す。


「どういたしまして」


あの瞬間だけは――。


舞夜がずっと一人で背負ってきた何かが、ほんの少しだけ軽くなったような気がした。

その頃――。


廊下の角を、一人の男子生徒が静かに歩いていた。


蓮だった。


特に急ぐ様子もなく、いつもの落ち着いた足取りで歩いていたその時。


「……南くん」


聞き覚えのある声が耳に届く。


無意識に足を止める。


声のした方向を見ると、少し離れた窓際に南と舞夜の姿が見えた。


二人は何かを話している。


だが、距離があるせいで、会話のほとんどは聞き取れない。


蓮は、そのまま立ち去ろうとした。


盗み聞きをするつもりはなかったからだ。


しかし――。


風に乗って、一つの言葉だけが耳に届いた。


「……お前が、自分で話そうと思える日まで待つよ」


蓮は小さく目を細める。


それ以上の会話は聞こえない。


舞夜が何と答えたのかもわからない。


それでも、その一言だけで十分だった。


「……そういうことか」


誰にも聞こえないほど小さな声で呟く。


その表情には、わずかな納得の色が浮かんでいた。


けれど、それ以上は何も言わない。


蓮は静かに踵を返し、そのまま廊下を歩き去っていく。


振り返ることもなく。


呼び止めることもなく。


ただ一人、静かに。


まるで、自分の中で何か一つの答えを見つけたかのように。

舞夜との話を終え、俺たちは並んで教室へ戻った。


廊下には、放課後の穏やかな空気が流れている。


教室の前まで来ると、一人の見慣れた姿が壁にもたれて立っていた。


「やっと終わった?」


愛莉だった。


腕を組みながら、いつものように柔らかな笑みを浮かべている。


「待たせたか?」


「そんなに待ってないよ」


そう答えたあと、愛莉は俺と舞夜を交互に見つめた。


まるで、何かを読み取ろうとするように。


数秒間、静かな時間が流れる。


俺は思わず身構えた。


愛莉なら、きっと何か聞いてくる。


「何を話してたの?」


そう聞かれても、おかしくないと思った。


けれど――。


「じゃあ、帰ろっか」


愛莉はそれだけ言って、歩き始めた。


「聞かないのか?」


思わず尋ねると、愛莉は振り返って笑う。


「聞いてほしかった?」


「いや、そういうわけじゃ……」


「だったらいいじゃない」


そう言って、彼女は小さく肩をすくめた。


「話したくなったら、その時に聞くよ」


その言葉に、舞夜は少し驚いたような表情を浮かべる。


そして、静かに微笑んだ。


「……ありがとうございます」


愛莉は照れくさそうに笑う。


「今日は、そういう日なんだね」


三人で階段を下りながら、夕焼けに染まる校舎をあとにする。


交換留学は、まだ始まったばかり。


それなのに、たった一日でいくつもの出来事が起きた。


そして俺は、確信していた。


蓮のあの一言で終わるはずがない。


舞夜の過去には、まだ誰も知らない何かがある。


そして、その秘密はきっと――。


この交流週間のどこかで、再び俺たちの前に姿を現す。


そんな予感だけが、胸の奥に静かに残り続けていた。

第四十八話『君が話せるその日まで』を読んでいただき、ありがとうございました。


大樹は答えを求めるのではなく、舞夜が自ら話せる日を待つことを選びました。


その約束は、二人の信頼をさらに深めることになります。


一方で、蓮は二人の会話の一部を耳にし、何かに気づいたようです。


舞夜の過去に隠された秘密とは何なのか。


交流週間はまだ始まったばかりです。


それでは、次の話でお会いしましょう。

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