交流の始まり
「それで――」
校舎を出ながら、蒼太が隣で口を開いた。
「どこから案内してくれるんだ?」
俺は中庭の方へ視線を向ける。
あちこちで、青龍学園の生徒たちと案内役の生徒たちが一緒に校内を歩いていた。
「とりあえず、重要な場所からかな」
「いいね」
蒼太は軽くうなずく。
「ただ、あんまり期待はしないでくれよ。俺、観光ガイドの才能はないから」
そう言うと、蒼太は小さく笑った。
「迷子にならなければ、それで十分だよ」
「ずいぶんハードルが低いな」
「初めて来る学校で一番怖いのは、道がわからなくなることだからね」
「それは否定できない」
実際、この学校は無駄に広い。
一年生の頃なんて、特別教室の場所を覚えるだけで一か月近くかかった気がする。
蒼太は周囲を見回しながら、興味深そうに呟いた。
「でも、こうして別の学校に来るのって、なんだか新鮮だね」
「そういうものか?」
「うん。いつもと違う景色を見てるだけで、少し旅行してる気分になる」
その言葉に、俺は少しだけ納得した。
確かに、俺たちも青龍学園へ行っていたら、同じようなことを感じていたかもしれない。
「まあ、せっかく来たんだし、楽しんでいけよ」
そう言うと、蒼太は笑顔で答えた。
「もちろん。そのために来たんだから」
こうして、俺たちの校内案内が始まった。
最初に俺たちが向かったのは、学校の中央にある中庭だった。
春はすでに終わりかけていて、桜の木々もほとんど花を落としている。
今は、わずかに残った葉が風に揺れているだけだった。
「綺麗な場所だね」
蒼太が空を見上げながら言った。
「うちの学校には、こんなに広い中庭はないんだ」
「そうなのか?」
少し意外だった。
青龍学園はもっと大きな学校だと勝手に思っていたからだ。
蒼太はうなずく。
「その代わり、校舎の数は多いんだけどね。開けた場所は、こっちの学校ほど広くないんだ」
「なるほどな」
そんな話をしながら歩いていると、不意に前の方から大声が聞こえてきた。
「パスしろー!」
「絶対に嫌だ!」
「それ、俺に出す流れだっただろ!」
声のした方を見ると、そこにはサッカーボールを追いかけ回す松と涼の姿があった。
……まだ交流が始まって一時間も経っていないはずなんだけど。
「おい、待て!」
「校内で走るな!」
交換留学の担当教師たちが、慌てて二人を追いかけていく。
その光景を見つめていた蒼太が、ゆっくりと俺の方を向いた。
「……あの二人って、前から知り合いだったの?」
俺は少し考えるふりをしてから答える。
「たぶん、十分くらい前に初めて会った」
蒼太は数秒間黙り込んだ。
そして、小さく吹き出した。
「なるほど。全部理解したよ」
「理解できるのか」
「なんとなくね」
俺たちは顔を見合わせ、思わず笑ってしまった。
たぶん、松と涼は出会うべくして出会ったんだろう。
問題を起こす未来しか見えないけど。
次に向かったのは、図書館だった。
静かな廊下を歩き、自動ドアをくぐる。
中に入った瞬間、紙の匂いと落ち着いた空気が俺たちを包み込んだ。
蒼太は並んだ本棚を見渡しながら、感心したように呟く。
「思っていたより、ずっと大きいんだね」
「ここに住んでるんじゃないかって思うくらい通ってる生徒もいるぞ」
俺がそう言うと、蒼太は笑った。
「例えば、南とか?」
「残念ながら違う」
むしろ、図書館の住人に一番近いのは――。
そう考えた、その時だった。
「南くん」
聞き慣れた声が聞こえ、俺たちは同時に振り返る。
そこには、両腕に本を抱えた舞夜が立っていた。
その少し後ろを、蓮が静かについてきている。
「八神」
「そっちも図書館に来たんだな」
舞夜は小さくうなずいた。
「はい。藤林さんが見てみたいと言っていたので」
その言葉を聞いた蓮は、本棚の方へ視線を向ける。
「この学校は、日本文学の蔵書が充実しているって聞いてたんだ」
「本当ですよ」
舞夜が穏やかに答える。
「私も、よくここを利用しています」
蓮は小さく笑った。
「なんとなく、そんな気がした」
「どうしてですか?」
「八神さんが入ってきた瞬間、本棚が『おかえり』って言ってるように見えたから」
舞夜はきょとんとしたあと、小さく吹き出した。
「それは少し変ですね」
「確かに」
俺も思わず笑ってしまう。
そのやり取りを見ていた蒼太が、感心したように呟いた。
「なんだか、すごく落ち着く空気だね」
舞夜は少しだけ首を傾げた。
「そうでしょうか?」
「うん。図書館にぴったりな感じがする」
そう言われた舞夜は、少し照れくさそうに視線を落とした。
……やっぱり、舞夜には図書館がよく似合う。
そんなことを、改めて思った。
舞夜が蓮に見せる本を探し始めると、蒼太も別の棚へ向かっていった。
気づけば、俺と蓮だけが通路の近くに残されていた。
静かな図書館の中。
蓮は並んだ本の背表紙を眺めながら、ふいに口を開く。
「南」
「ん?」
「八神さんって、すごく優しそうな人だね」
あまりにも自然な口調だったから、俺はほとんど反射的に答えていた。
「ああ、そうだよ」
言い終わってから、自分でも驚いた。
迷うことなく、そう言い切っていたからだ。
蓮はそんな俺を数秒間じっと見つめる。
そして、小さく笑った。
「今の、ずいぶん早かったね」
「……そうか?」
「うん。普通なら少しくらい考えると思う」
そう言いながら、蓮は視線を本棚へ戻した。
俺は何も返せなかった。
確かに、俺は考える間もなく答えていた。
まるで、それが当たり前のことみたいに。
蓮は静かな声で続ける。
「でも、悪い意味じゃないよ」
「ただ、南は本当に八神さんのことをよく見てるんだなって思っただけ」
「そんなことないと思うけど」
俺がそう返すと、蓮は肩をすくめた。
「どうだろうね」
それだけ言って、何事もなかったかのように歩き出す。
俺も慌てて後を追った。
……さっきの言葉は、どういう意味だったんだろう。
考えれば考えるほど、わからなくなる。
その時、少し離れた場所から舞夜の声が聞こえてきた。
「南くん、この本はどうでしょうか」
舞夜は一冊の小説を手に、こちらを見ていた。
俺は慌てて頭を切り替える。
「いや、俺に聞かれても困るんだけど」
そう言うと、舞夜は小さく笑った。
そして、その隣では蓮が静かに俺を見ていた。
まるで、何かを確かめるように。
昼休みになると、交換留学生たちはそれぞれの案内役と一緒に中庭へ集まった。
先生の提案で、今日は全員そろって昼食を取ることになったらしい。
いくつかの机が円を描くように並べられ、その周りに次々と生徒たちが座っていく。
俺は蒼太の隣に腰を下ろした。
向かい側には舞夜と蓮。
少し離れた場所には愛莉とみすずが座り、楽しそうに話している。
そして、その円の中心人物になっていたのは、案の定――涼だった。
「すごいな! ここのカレー、めちゃくちゃうまい!」
大げさなくらい感動した声を上げながら、涼はスプーンを振り回している。
すると、隣の松が得意げに親指を立てた。
「だろ? だから言ったんだ。この学校の食堂は最高なんだよ」
「神崎くん、もう三回くらい同じこと言ってるよ」
愛莉が呆れたように言う。
「それくらい感動してるってことだよ!」
「単純ですね」
舞夜が静かに呟くと、みすずがくすりと笑った。
「でも、楽しそうでいいじゃない」
その言葉に、涼は大きくうなずいた。
「橘さん、話がわかる!」
一方、陽斗は静かに校舎を眺めながら昼食を取っていた。
蒼太は隣で穏やかに話を聞いている。
そして蓮は、特に何も言わず、時折舞夜と言葉を交わしていた。
こうして見ると、本当にいろいろな性格の集まりだ。
少なくとも、今のところは何の問題もなく交流は進んでいるように見えた。
……まあ、この学校で「今のところ平和」という言葉ほど信用できないものはないんだけど。
その時だった。
涼が突然、机を軽く叩きながら立ち上がった。
「よし、みんな!」
嫌な予感しかしない。
俺は箸を止めた。
「急にどうしたんだ?」
松が目を輝かせながら尋ねる。
すると、涼は満面の笑みを浮かべた。
「もっと仲良くなるために、ゲームをしよう!」
……やっぱり。
嫌な予感は、だいたい当たる。
「ゲーム?」
みすずが首を傾げる。
「そう!」
涼は嬉しそうに続けた。
「ルールは簡単。一人ずつ、自分についての本当のことを一つ話すんだ」
「へえ」
愛莉が興味深そうに身を乗り出す。
「で、残りのみんなは、その人に質問を一つだけできるってわけ!」
「面白そうじゃん!」
真っ先に反応したのは、もちろん松だった。
「俺もやる!」
「お前は絶対やると思ってたよ」
思わず呟くと、蒼太が小さく笑った。
「南、ずいぶん慣れてるね」
「長い付き合いだからな」
陽斗も静かに頷く。
「確かに、こういう機会じゃないと聞けない話もありますしね」
「でしょう?」
涼は得意げに胸を張った。
周りの生徒たちも次々と賛成し始める。
気づけば、反対している人間はほとんどいなかった。
……いや、正確には。
反対したところで止まらないと、全員が理解していたんだと思う。
「じゃあ、最初は誰からいく?」
涼が楽しそうに辺りを見回す。
その瞬間、俺の背中を冷たいものが走った。
なぜかわからない。
でも、ものすごく嫌な予感がした。
俺は、自分の運が決して良くないことを知っている。
そして、こういう時の予感ほど当たるものだ。
きっと、このゲームはどこかで危険な方向へ転がっていく。
そして、いつか誰かが――。
聞いてはいけない質問を口にしてしまう。
そんな気がしてならなかった。
第四十六話『交流の始まり』を読んでいただき、ありがとうございました。
校内案内を通して、少しずつ距離を縮めていく大樹たちと青龍学園の生徒たち。
しかし、涼が提案した何気ないゲームが、思わぬ方向へ進んでいくかもしれません。
何気ない質問が、誰かの本心や秘密を暴いてしまうこともある――。
果たして、この交流会はどのような展開を迎えるのでしょうか。
それでは、次の話でお会いしましょう。




