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雨宿りのカフェ

雨は、まだ降り続いていた。


さっきまで激しく降っていた雨は少しだけ弱まっていたものの、止む気配はまったくない。


通りを歩く人の数も、いつの間にか少なくなっていた。


学校帰りの生徒たちも、足早に家へ向かっている。


そんな様子を見ながら、愛莉は空を見上げた。


「この調子だと……」


小さくつぶやき、灰色の雲を眺める。


「しばらくは止みそうにないね」


「そうだな」


俺は短く返事をした。


すると、隣にいた舞夜が腕時計に目を落とした。


「まだ時間はあります」


「時間?」


愛莉が不思議そうに首をかしげる。


「何の時間?」


舞夜は何も言わず、道路の向こう側を指差した。


その先には、小さな喫茶店があった。


木製の看板に、どこか懐かしい雰囲気の外観。


大きな窓は白く曇っていて、店の中の暖かさが外にまで伝わってくるようだった。


「雨が弱くなるまで、あそこで待ちませんか?」


舞夜が静かに提案する。


愛莉の表情がぱっと明るくなった。


「それ、すごくいい考え!」


「俺も賛成だ」


このまま昇降口で立ち尽くしているよりは、ずっとましだろう。


俺たちは顔を見合わせ、小さくうなずいた。


そして、雨の降る街の中を、喫茶店へ向かって歩き始めた。

喫茶店の扉を開けると――。


チリン、と小さなベルの音が店内に響いた。


同時に、淹れたてのコーヒーの香りが鼻をくすぐる。


外の冷たい空気とは違い、店の中は暖かかった。


広い店ではない。


客席もそれほど多くなく、窓際の席がいくつか埋まっている程度だった。


奥のカウンターでは、年配の男性が静かにコーヒーを淹れている。


すると、入口の近くにいた年配の女性が、優しい笑顔で迎えてくれた。


「いらっしゃいませ」


「お好きな席へどうぞ」


「ありがとうございます」


舞夜が軽く頭を下げる。


俺たちは窓際のテーブル席を選んだ。


席に座ると、窓の向こうには雨の街並みが広がっている。


ガラスを叩く雨粒を眺めながら、愛莉が大きく息を吐いた。


「生き返った……」


「大げさだな」


「大げさじゃないよ。あと十分外にいたら、私、雨に負けてたもん」


「雨に勝とうとしてたのか?」


「もちろん」


愛莉は真顔でうなずいた。


そんなくだらないやり取りをしていると、店員がメニューを持ってやって来た。


「ご注文はお決まりですか?」


愛莉は真っ先にメニューを閉じる。


「ホットチョコレートをお願いします。生クリーム多めで!」


「かしこまりました」


店員は微笑みながらメモを取る。


次に、舞夜のほうを向いた。


「私は、紅茶をお願いします」


「紅茶ですね」


そして、最後に俺を見る。


「俺はカフェオレで」


「かしこまりました。少々お待ちください」


店員が去っていくと、店内には再び静かな音楽と雨音だけが残った。


窓の外では、まだ雨が降り続いている。


どうやら、もう少しの間、この喫茶店のお世話になりそうだった。

飲み物が運ばれてくるのを待っている間、愛莉はテーブルに肘をつきながら、楽しそうに俺たちを見た。


「ねえ、また質問してもいい?」


「どうせするんだろ」


俺がそう言うと、愛莉は悪びれる様子もなく笑った。


「もちろん」


そして、少しだけ考えるように視線を上げる。


「もし、好きな場所に旅行できるとしたら、どこに行きたい?」


突然の質問だった。


舞夜はほとんど迷うことなく答える。


「京都です」


愛莉が興味深そうに身を乗り出した。


「やっぱり、お寺とか神社?」


だが、舞夜は静かに首を横に振る。


「いえ。本屋です」


「本屋?」


「京都には古い書店がたくさんありますから。一度、ゆっくり見て回ってみたいんです」


……なんというか。


その答えは、あまりにも舞夜らしかった。


思わず笑ってしまう。


「いかにも、お前らしいな」


そう言うと、舞夜は少しだけ首を傾けた。


「そうでしょうか?」


「そうだよ。京都に行っても、結局は本を読んでそうだし」


「否定はできませんね」


舞夜は小さく微笑んだ。


すると今度は、愛莉が俺のほうを見る。


「じゃあ、南くんは?」


少しだけ考える。


頭に浮かんだのは、雪に覆われた広い景色だった。


「北海道かな」


「雪が見たいから?」


愛莉が尋ねる。


俺は首を横に振った。


「いや、夜空が綺麗だって聞いたことがあるんだ」


「星を見るため?」


「そんなところだな」


愛莉はしばらく黙って俺たちを見比べていたが、やがて吹き出した。


「二人とも、本当に答えがそのままだよね」


「どういう意味だ?」


「八神さんは本が好きで、南くんは静かな景色が好き」


愛莉はそう言って、楽しそうに笑った。


「なんだか、すごく二人らしいよ」

それから数分後、注文した飲み物が運ばれてきた。


店員は、湯気の立つカップを一つずつ丁寧にテーブルへ置いていく。


愛莉のホットチョコレート。


舞夜の紅茶。


そして、俺のカフェオレ。


すべてが順調だった。


少なくとも、その瞬間までは。


「いただきます!」


そう言って、愛莉が砂糖入れに手を伸ばした。


だが、その時――。


コツン。


「あっ!」


愛莉の手がカップに当たり、ホットチョコレートが机の端へ滑っていく。


反射的に、俺は手を伸ばしていた。


ガシッ。


倒れる寸前で、なんとかカップを支える。


チョコレートは数滴こぼれただけで、ほとんど無事だった。


愛莉は大きく息を吐く。


「た、助かった……」


「危なかったな」


「あと一秒遅かったら、完全に終わってたよ」


そう言いながら、愛莉は胸をなで下ろした。


その隣では、舞夜が鞄からハンカチを取り出していた。


「少し汚れてしまいましたね」


そう言うと、彼女は落ち着いた手つきで、テーブルクロスについた小さなシミを拭き取っていく。


「あ、ごめん、八神さん」


「気にしないでください。このくらいなら、すぐに綺麗になりますから」


店員も様子を見に来たが、大事には至っていないとわかると、安心したように微笑んだ。


「何もなくてよかったです」


「すみませんでした……」


愛莉が申し訳なさそうに頭を下げる。


店員は優しく笑い、そのまま別の客のところへ向かっていった。


しばらくして、愛莉はホットチョコレートを見つめながらぽつりと言った。


「私、昔からこういう小さい失敗が多いんだよね」


「自覚はあるんだな」


「もちろんあるよ。でも、なかなか直らないんだよ」


そう言って苦笑する愛莉を見て、舞夜が小さく笑った。


店の外では、まだ雨が静かに降り続いていた。

それからしばらくして、会話はまた自然と続いていった。


好きな本の話。


最近よく聴く音楽の話。


厳しい先生の話。


そして、松がこれまでに起こした数々の意味不明な事件について。


「この前なんて、数学のノートと間違えて弁当を机に出してたからね」


愛莉が笑いながら言う。


「いや、あれは本当に意味がわからなかった」


俺も苦笑しながら答えた。


舞夜は小さく笑っている。


「松くんらしいですね」


三人でそんな話をしていると、時間が経つのが妙に早く感じられた。


愛莉はよく笑う。


どんな話題でも楽しそうに反応して、場の空気を明るくしてくれる。


けれど、ときどき――。


ふと黙り込み、俺たちを静かに見つめることがあった。


何かを考えるように。


何かを確かめるように。


そして、数秒後には、またいつもの笑顔に戻る。


しばらくして、愛莉はカップを両手で包み込みながら、小さな声で言った。


「私、やっとわかったかもしれない」


「何が?」


舞夜が不思議そうに尋ねる。


愛莉は少しだけ視線を落とした。


「どうして、私が二人と一緒にいるのが好きなのか」


俺と舞夜は顔を見合わせる。


愛莉は、温かいホットチョコレートを見つめながら続けた。


「二人といるとね――」


「無理に誰かにならなくていい気がするんだ」


その言葉に、俺たちは何も言えなかった。


短い沈黙のあと、舞夜が優しく微笑む。


「それを聞けて、嬉しいです」


俺も静かにうなずいた。


「ああ。俺もだ」


愛莉は少し照れくさそうに笑った。


けれど、その笑顔の奥には――。


ほんの少しだけ、寂しさのようなものが隠れている気がした。


本当に、一瞬だけ。


気のせいかもしれない。


それでも、なぜだろう。


俺は、愛莉にも誰にも話していない何かがあるんじゃないかと思ってしまった。

気づけば、窓を叩く雨音はずいぶん静かになっていた。


さっきまで激しく降っていた雨も、今では小さな雨粒が落ちるだけになっている。


舞夜は窓の外を見つめながら、静かに言った。


「……そろそろ帰れそうですね」


愛莉も窓の向こうを眺める。


「本当だ。いつの間にか、かなり弱くなってる」


俺も外へ目を向けた。


灰色の雲はまだ空を覆っていたが、さっきまでの土砂降りとはまるで違っていた。


「じゃあ、行くか」


そう言って、俺たちは席を立つ。


会計を済ませ、店の出口へ向かう。


扉を開けようとしたその時、最初に俺たちを迎えてくれた年配の女性が、優しく微笑んだ。


「仲の良いお友達なのね」


その言葉に、三人とも一瞬だけ足を止めた。


俺と舞夜、そして愛莉は、お互いの顔を見合わせる。


数秒後――。


なぜか、三人とも同時に笑っていた。


「そう見えますか?」


愛莉が楽しそうに尋ねる。


「ええ、とても素敵な関係に見えるわ」


女性はそう言って、穏やかに微笑んだ。


俺たちは軽く頭を下げ、店を後にした。


外へ出ると、雨はほとんど止んでいた。


湿った風が頬を撫でていく。


「なんだか、あっという間だったね」


愛莉が空を見上げながら言う。


「そうですね」


舞夜も静かにうなずいた。


そのまま三人で歩き始める。


さっきまでの穏やかな空気は、まだそこに残っていた。


――少なくとも、この時の俺たちは、そう思っていた。


翌朝。


教室に入った瞬間、いつもとは違う騒がしさが耳に飛び込んできた。


誰もが、同じ話題について話している。


「嘘だろ?」


「いや、でも本当らしいぞ」


「まさか、あの人が……」


何が起きたのかわからない。


席へ向かおうとした、その時――。


松が信じられないものを見るような顔で、俺の肩をつかんだ。


「大樹、お前……まだ知らないのか?」


「何をだよ」


松は、一枚の紙を俺に見せた。


そして、次の瞬間――。


俺たち二年生全員の日常を揺るがす、予想もしなかったニュースを知ることになる。


その時の俺は、まだ知らなかった。


それが、俺たちの日常を大きく変えていく始まりだったことを。

第四十二話『雨宿りのカフェ』を読んでいただき、ありがとうございました。


穏やかな時間を過ごした大樹、舞夜、愛莉。


しかし、その平穏は長くは続きません。


翌朝、クラスを揺るがす出来事が、三人を待ち受けていました。


それでは、次の話でお会いしましょう。

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