新しいクラスメイト
その声には聞き覚えがなかった。
だが、図書館の入り口に立っている少女が、俺たちと同じクラスの制服を着ていることだけはわかった。
肩まで伸びた茶色の髪。
白いカチューシャ。
そして、妙に自信に満ちた笑顔。
……。
こんなやつ、うちのクラスにいたか?
「何、その顔?」
少女は首をかしげながら尋ねてきた。
「幽霊でも見たみたいだけど」
「いや」
俺は正直に答えた。
「ただ、お前の名前を思い出そうとしてるだけだ」
……。
一瞬、静寂が訪れる。
そして次の瞬間――。
「あははっ!」
少女は図書館中に響きそうな勢いで笑い出した。
周りの生徒たちが一斉にこちらを見る。
もちろん、司書の先生も例外ではなかった。
「静かにしてください」
冷たい視線とともに、そう注意される。
「「「すみません」」」
なぜか、俺たちは三人同時に謝っていた。
少女はそのまま俺たちのテーブルまで歩いてきた。
そして、少しだけ身を乗り出しながら右手を差し出す。
「桜井愛莉です」
「ああ……」
その名前を聞いた瞬間、ようやく思い出した。
いつも窓際の席に座っているクラスメイトだ。
普段はあまり目立たない。
けれど、一度話し始めると、一気に周囲の空気を変えてしまうタイプだった。
俺も手を差し出す。
「南大樹」
「知ってるよ」
愛莉は楽しそうに笑った。
「今や学校中が知ってるんじゃない?」
……。
どう考えても褒め言葉には聞こえなかった。
愛莉はそのまま舞夜のほうへ視線を向ける。
「こんにちは、八神さん」
舞夜は静かに頭を下げた。
「こんにちは、桜井さん」
「もしかして、邪魔しちゃった?」
「いえ。プロジェクトの相談をしていただけです」
舞夜が落ち着いた声で答える。
「あ、じゃあ、ちょうどよかった」
「何が?」
思わず聞き返すと、愛莉は肩をすくめた。
「私のペア、風邪で休んじゃったんだよね。だから、資料を探しに来たの」
そう言いながら、彼女は俺たちの机の上に積まれた本を見つめる。
「少しだけ、ここに座ってもいい?」
俺は舞夜を見た。
舞夜も俺を見た。
そして――。
「「どうぞ」」
……また同時だった。
愛莉は片眉を上げる。
「二人とも、ずいぶん息が合ってるんだね」
嫌な予感しかしなかった。
愛莉は俺たちの向かいの席に腰を下ろした。
そして、分厚いノートを鞄から取り出す。
ページのほとんどが、細かい文字で埋め尽くされていた。
「二人とも、放課後まで残って勉強するタイプなんだね」
「まあな」
俺が答える。
「教室より静かだから」
愛莉は納得したように頷いた。
「確かに、図書館は落ち着くもんね」
そう言うと、彼女はしばらく黙ってノートに何かを書き始めた。
カリカリ、とペンの音だけが静かに響く。
数秒後。
愛莉は顔を上げないまま、ぽつりと口を開いた。
「じゃあ、噂は本当なんだ」
……。
俺は思わず顔を上げた。
「噂?」
「うん。二人がいつも一緒にいるって話」
「いや、それは――」
言いかけて、言葉が止まる。
文化祭。
帰り道。
放課後の図書館。
そして、このプロジェクト。
……冷静に考えると、最近の俺たちは確かに一緒にいることが多かった。
まったく反論になっていない。
愛莉は、そんな俺の反応を見て楽しそうに笑った。
「安心して。別にからかうつもりじゃないから」
その時、舞夜が静かに本を閉じた。
「気になるんですか?」
愛莉は頷く。
「うん。文化祭の前まで、二人が話してるところなんてほとんど見たことなかったから」
そう言って、俺と舞夜を交互に見た。
「なのに今は、すごく仲がいいでしょ?」
……。
俺も、舞夜も黙り込んだ。
簡単に説明できる関係じゃない。
だからこそ、余計に答えに困ってしまうのだった。
しばらくの間、図書館にはページをめくる音だけが響いていた。
愛莉はノートに何かを書き込み、舞夜は静かに本を読んでいる。
俺も資料を眺めていたが、どうにも落ち着かなかった。
すると、愛莉が突然ペンを止めた。
「でも、ちょっと意外かも」
「何が?」
俺が尋ねると、愛莉は頬杖をつきながら答えた。
「八神さんって、もっと一人で何でもやるタイプだと思ってたから」
舞夜は顔を上げる。
「そう見えますか?」
「うん。成績もいいし、文化祭でも中心だったし」
愛莉はそう言って、楽しそうに笑った。
「だから、誰かと一緒に放課後まで残ってる姿が新鮮なんだよね」
舞夜は少しだけ考えるように目を伏せた。
「……私も、一人でやるつもりでした」
「へえ?」
「でも、今回は二人でやる課題ですから」
そう言って、舞夜は俺のほうを見る。
「南くんと一緒に考えたほうが、きっと良いものになると思いました」
……予想していなかった言葉だった。
「そんな大したことしてないけどな、俺」
「そんなことありません」
舞夜は即座に否定した。
「南くんは、思っているより頼りになります」
その言葉を聞いた瞬間、愛莉が面白そうに目を細める。
「へえー」
嫌な予感しかしない。
「二人とも、本当に仲良くなったんだね」
俺と舞夜は、また同時に黙り込んでしまった。
気づけば、一時間が過ぎていた。
愛莉も資料を集め終えたらしく、大きく伸びをする。
「んー、疲れた」
「まだ一時間しか経ってないだろ」
俺がそう言うと、愛莉は不満そうな顔をした。
「集中すると、一時間って意外と長いんだよ?」
「それはわかるかも」
すると、舞夜が静かに本を閉じた。
「今日は、このくらいにしましょうか」
窓の外を見ると、空はすでに夕焼け色に染まり始めていた。
図書館の利用者も、少しずつ減っている。
俺たちは荷物をまとめ、席を立った。
「二人とも、明日も来るの?」
図書館を出ながら、愛莉が尋ねる。
「たぶん」
俺が答えると、舞夜も小さく頷いた。
「進捗を確認しないといけませんから」
「真面目だなあ」
愛莉は苦笑しながらそう言った。
「でも、なんだか楽しそうでうらやましいかも」
「どこがだよ」
「だって、二人とも一緒にいると自然だもん」
……。
最近、何人もの人間から同じことを言われている気がする。
だが、自分ではまったく実感がなかった。
いや――。
もしかすると、気づいていないのは俺だけなのかもしれない。
そんなことを考えながら、俺たちは図書館を後にした。
図書館を出るころには、空はすっかりオレンジ色に染まっていた。
愛莉は両腕を伸ばしながら、大きく息を吐く。
「ふぅ。今日はここまでかな」
「そうだな」
俺が答えると、愛莉は鞄を肩に掛け直した。
「じゃあ、私はこっちだから。また明日ね」
「また明日」
俺と舞夜が同時に返事をする。
愛莉は数歩歩き出した。
だが、三歩ほど進んだところで、突然立ち止まる。
そして、くるりとこちらを振り返った。
「あ、そうだ」
「ん?」
「二人とも、明日は大変かもしれないよ」
……嫌な予感しかしない。
「どういう意味だ?」
俺が尋ねると、愛莉は廊下の掲示板を指差した。
「まだ見てないの?」
俺と舞夜は顔を見合わせ、そのまま掲示板へ向かった。
そこには、さっき貼られたばかりらしい紙が一枚。
大きな文字で、こう書かれていた。
『二年生・相性の良いペアランキング投票』
……。
嫌な予感が、確信に変わった。
「嘘だろ……」
思わず声が漏れる。
隣では、舞夜が静かに掲示板を見つめていた。
「これは……少し困りますね」
「少しどころじゃないだろ」
俺がそう言うと、愛莉は楽しそうに笑った。
「結果、楽しみにしてるね」
そう言い残し、彼女は夕焼けの廊下の向こうへ消えていった。
俺はもう一度、掲示板を見る。
そして、深いため息をついた。
きっと明日には――。
また新しい噂が、学校中に広がっているんだろう。
そんな最悪の予感がしていた。
第三十六話『新しいクラスメイト』を読んでいただき、ありがとうございました。
新たなクラスメイト、桜井愛莉の登場によって、大樹と舞夜の日常は少しずつ変わり始めます。
そして、二人を待ち受ける「相性ランキング」の行方とは――。
それでは、次の話でお会いしましょう。




